広島銀行慰霊碑
今年3月に、竣工した「ひろぎんホールディング本社ビル」(以下「広銀ビル」)の広島銀行本店が、営業開始して一カ月余りが過ぎました。
時々小雨がぱらつく昨日、買い物途中でこの「広銀ビル」の北側の道路を歩いていた気づいたことがあります。これまでも何度か、この道は通っていたのですが、見過ごしていました。
それは広銀ビルの北側に作られた緑地帯の中に設置されたモニュメントがあることです。樹木で整備された緑地帯の東側部分に据えられた被爆時の建物・芸備銀行本店の柱の頭部に取り付けられていたギリシャ風イオニア式の装飾が目に入りました。
いつもの方向、道路を東側から西向きに進むと木に隠れていてちょっと気付きにくいのですが、昨日は反対方向から東向きに歩いていましたので、気づくことが出来たようです。
碑の右側には説明版があります。当時の写真とともに簡単な解説が書かれています。
写真では見にくいのですが、当時この飾り石が使われていた位置が記されています。この写真からは、大きさが想像できないのですが、実物を見るとずいぶんと大きなものだったことがわかります。
広島市発行の「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建物は語る」には、被爆当時の様子が次のように書かれています。「爆心地から250メートルで被爆した芸備銀行は、屋根が押し下げられ、窓枠や金具類もアメのように歪み、いたるところで発火した火災は8月10日まで続き、内部は灰燼に帰し、本店勤務者20人が犠牲となり、鎮火後に収容された遺体は、男女の区別もつかずなかば白骨化していたという。」
芸備銀行は、その後広島銀行と名をかえましたが、この建物は使われ続けました。5階建ての建物でした。しかし、1962年11月に解体されました。
この被爆柱頭と向き合う位置に、「広島銀行役職員物故者慰霊碑」があります。
この慰霊碑は、広銀ビルが建て替えられる前はビルの屋上に設置されていました。そのため、事前連絡が必要といわれていましたので訪れたることがなく、私が目にしたのは、今回が初めてです。
碑の横に設置された説明版には、「芸備銀行(広島原稿の前身)のうち、広島市内本支店には、役職員約450名が勤務していましたが、このうち144人が死亡、33人が重要を負い、生存した職員もほとんど負傷しました。店舗は、本店をはじめ8店が全焼し、3店が半焼しました。」と被爆時の被害の状況が書かれています。その後に、「被爆後から苦難の道を切り開いてきた」との歴史が書かれています。
最後は、次の文章で締めくくられています。「本慰霊碑は、原爆死没者をはじめ、創業以来の全物故役職員の御霊を慰め、その偉業をたたえるため、創業90周年となる1968(昭和43)年11月2日に建立されました。作・伊藤顕」
「原爆の碑」を紹介した本の中の多くが、「広島銀行慰霊碑」とだけ紹介していますが、この説明文を読むと、この慰霊碑は、原爆犠牲者だけでなく、これまでに亡くなられた全ての行員のみなさんの御霊を慰める碑として建立されたことがわかります。
台座の表面には「慰霊」、裏面には、「役員物故者のみたまここに鎮まる その偉業をたたえ景慕敬弔の誠を捧げる」と当時の頭取井藤勲雄さんが揮毫された文字が刻まれています。
ただ、現在の碑は、台座の周りだけでなく、すぐ後ろには木が植えられ、きれいに整備されていますので、裏面を見ることは難しいような気がします。私も、裏側は見ていません。
この碑の訪問記の一つに「2002年5月22日に再度訪れたら、ちゃんと案内出来る方が配置されており体験記なども含めた資料を頂けました。」と書かれているのを見つけました。今度この碑を訪れた時には、資料が今も配布されているのか、聞いてみようと思っています。
いのちとうとし
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