学徒動員と原爆被爆その6-鳥取県への帰郷の路(中部地区)
4月14日に掲載した「学徒動員と原爆被爆その5-鳥取県への帰郷の路」では、鳥取県立鳥取工業高等学校の「創立三十周年記念誌」に掲載された「学徒勤労動員の思い出」を紹介し、鳥取県東部の学校が、呉の動員先から帰郷の路が、「呉線三原経由」だったことを紹介します。
さらに「鳥取県中部の倉吉市内の学校(倉吉中学など)の帰路が判明していませんが、地理的にみると同じ経路をたどり、鳥取駅から山陰線で倉吉に帰郷したと予測されます」と推定の経路を記載しました。
しかしどうしても気になりましたので、改めて「鳥取県中部の学校の帰郷経路を記載したものはないでしょうか」と鳥取県立図書館に追加の調査をお願いしていました。先日、その調査結果として、鳥取県立図書館から下記のメールが届きました。短い文章ですので、全文紹介します。
「断片的な事実となるかと思いますが、以下ご案内いたします。『日本海新聞』の連載企画『鳥取県の学徒勤労動員』(平成13年8月~平成17年8月、河辺収著)において、鳥取県中部関係の記事を確認しましたのでご連絡いたします。
平成17年8月14日付の連載(第5部36号)『呉・広海軍工廠/従事した仕事(11)』に由良の育英中学校の帰郷記事が見えます。
8月17日に呉駅で切符を購入。翌18日呉発糸崎行き、翌19日岡山発伯備線にて、伯耆大山駅経由、由良駅着です。
井上金臣先生の日記を利用されたことが、7月31日の第5部34号に記載が確認できます。」(原文のまま)
ここに出てくる由良の育英中学校からは、昭和19年9月21日の日本海新聞によれば、215名が、動員派遣されたことがわかりますので、私が調べようと思っていた学校の一つということになります。由良育英中学校は、現在県立鳥取中央育英高校となっていますが、学校は由良駅のすぐ隣にあります。
この由良駅は、由良駅は山陰本線の倉吉駅から米子方面(下り)に二つほど寄ったところの駅です。米子までは直線距離で38キロ余り、鳥取までは直線距離で43キロのところに位置していますので、まさに鳥取県の中間に位置する駅ですので、鳥取県の中部地区にある駅と言えます。
予測したとおりに、鳥取県から呉に学徒動員された生徒たちのうち、中部の学校も東部の学校と同じように、帰郷路は、呉線三原経由だったことが確認できました。
やはりと思うと同時に、この学校は、経路として米子駅の東隣の伯耆大山駅を経由しているにもかかわらず、なぜ米子駅で下車する米子工業は、なぜ芸備線木次線経由で帰郷したかという疑問が起こります。残念ですが、今までに知ることのできた資料からでは、この疑問を解くのは困難です。解けない疑問ですが、一つ疑問が解明できると何故か新たな疑問が湧いてくるのが、今回の調査です。いつかこの疑問も解明できればと思っています。
ところで、このメールに出てくる「日本海新聞の連載企画『鳥取県の学徒動員』」に興味が湧きます。メールでは、この連載は「平成13年8月~平成17年8月」に連載されたことになっていますが、さらに詳しく調べてみると「第1部が13号、第2部が20号、第3部が19号、第4部が33号、第5部が38号」で、計123回という長期の連載企画だったようです。かなり細かなところまで調べられていると思いますので、全部目を通したい気になります。一冊の本にまとめられているとよいのですが、残念ながら一冊の書籍にはなっていないようです。時間があれば、全部の紙面を読んでみたい気がしますが?
それでも、今回は鳥取県立図書館のおかげで、新たな事実を学ぶことが出来ました。
いのちとうとし
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