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2021年5月17日 (月)

原爆医療法の成立を急がせた中国からの被爆者救援金

 

第1回原水禁世界大会(1955年)に参加した中国代表団から贈られた被爆者支カンパ5万元(約720万円)について、昨年7月13日からこのブログ(中国から贈られた被爆者支援カンパ その1ー原水禁世界大会への中国代表団の参加 : 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com))で、「余話」を含め5回にわたって連載しました。

その時、書くことをためらったことがあります。それは、森瀧市郎先生が、1985年に中国を訪問されたとき語られた「そのお金で被爆者はどれだけ救われたことか。外国から慰問金が届くのに、政府は何をしているのかと世論が高まり、それがきっかけとなって、その翌々年に原爆医療法が成立したのです」や、森瀧先生の日記をもとにしてまとめられた「ヒロシマ40年森滝日記の証言」では、「中国の援助は、被爆者に対する日本政府の関心を呼び起こし、『原爆医療法への大きな力となったはず』と森瀧さんは強調する。」と書かれていることです。このことを書くのをためらったのは、この「中国からの援助金が原爆医療法の成立の力となった」ということを裏付ける資料を見つけることが出来ずにいたからです。

ところが、最近そのことを裏付けるといってよい資料を見つけることが出来ました。その資料は、広島大学平和科学研究センターが1996年に発行した「広島平和科学19号」に掲載された「原爆医療法制定のころ―藤居平一氏に聞く」です。藤居平一さんは、自身は被爆者ではありませんが、原爆で父を亡くし、民生委員として被爆者援護に関わり、第1回原水禁世界大会の開催に尽力し、1956年に結成された日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の初代事務局長に就任し、森瀧市郎先生などと一緒になって原爆医療法の制定に尽力されています。「原爆医療法制定のころ―藤居平一氏に聞く」は、広島大学の船橋 喜恵教授(当時)が、藤居さんに行ったインタビューをまとめたものです。

学ぶことはたくさんありますが、今日は、森瀧市郎先生の言葉を裏付ける「中国代表団から被爆者支援のために送られた救援金が原爆医療法成立に影響した」ことを証言する紹介します。

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国会請願活動であいさつする藤居平一さん

「1956年(昭和31年)5月に広島被団協(いのちとうとし注:広島県被団協は、日本被団協よりも3カ月早い5月27日に結成された)をつくるときに、来年までに援護法をつくるという確信をもったのも、これがあったからです。この確信をもたせたのは中国からの救援金です。自民党が震えあがったんです。香川県選出の代議士で厚生省関係の人がおりましたが、彼のところへ頼みにいったら中国からの救援金をすぐ中国へ返してくれ、すぐ法律をつくるからといいました。そんなことはできません。もらった救援金を返すような失礼なことはできやせんです。もしそれで法律がでけんなら、でけんでええという態度で接しました。震えあがっとりました.、じゃから落城間近かだと思ったのも確かです。」(原文のまま)

この藤居さんの話に続いて、このインタビューに同席していた宇吹暁さん(広島大学原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術資料センター)が、次のように語っています。「厚生省も最初は広島と長崎の原対協だけを対象に試験的に金をだしとりましたが、次いで広島県と長崎県へと広げ、県内の保健所を通じて検診を行うようになります。藤居さんの側から見れば、要求が認められたようにみえるんですけど、厚生省の原調協(1953年に作られた原爆症調査研究協議会のこと)からみれば、全く別の論理で広げていくわけで、両者ちょうど重なるわけです。今度は広島・長崎両県だけでなく、全国に広げる予算を組むんですが、その実施の段階で医療法ができるので、結局は全国的に行われるようになります。(略)もし原水禁運動がなければ、あくまでも調査費がずっと全国化したと思います。」

これで、森瀧先生が言われた「中国の援助は、『原爆医療法への大きな力となったはず』」ということが、どういうことなのかを理解することが出来ましたし、広島市の原対協に200万円寄託したことがどんな意味を持っていたのかを改めて確認することが出来ます。

藤居さんの証言とともに、宇吹さんの発言を紹介したのは、「検診」と「調査費」という言葉に注目する必要があるからです。当時厚生省は、医療費ということを全く考えていなかったことがわかります。

この壁を乗り越えたのは、中国からの救援金だけではありません。当然のことですが、広島、長崎両市や原水爆禁止署名運動に立ち上がった被爆者の人たちの懸命な努力があったからです。

いのちとうとし

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