何故ワクチン接種が遅れているのか
――これから発生する被害のかなりは「人災」と言えるのではないでしょうか――
昨年の4月初めから5月まで、コロナについての情報をできるだけいろいろな方法で集めました。最終的にはネットから優れた情報や最新のデータを得ることができましたので、それらをまとめて、何とか全体像をお伝え出来たのではないかと思います。
それから一年、政府の対策は一向に進んでいないようです。それでもオリンピックを強行するという方針だけは揺るがないようですので、オリンピック・パラリンピックとコロナとの関連を軸に、現状を切り取っておきましょう。
一年前にこのブログで皆さんにお伝えした内容を、以下かなり単純化して議論をするつもりです。その前に、一年前にも皆さんに是非読んで頂きたいと考えていたTomas Pueyo氏の一連のサイトを紹介した記事も念のため紹介しておきます。より詳しい説明がありますので。
Pueyo氏の結論は、コロナの感染が起きたら、まずは「ハンマーで叩く」ように、「ガツン」とした手段で感染の防止をする、つまり「ロックダウン」のような措置を取るということです。その後は、その措置をある程度は緩めて通常の社会生活に近付ける。しかし再度、感染が広まったら、最初の「ハンマーで叩く」までの状態になる前に感染予防の措置を強める、というものです。これをPueyo氏は、「ダンス」と呼んでいます。
そして、最終的にコロナを鎮圧するためには、ワクチン接種か、有効な治療法の発見しかない訳ですので、各国の政府としてはこれらの開発を奨励する必要がある、というものでした。
その後、12月にはイギリスでファイザー社のワクチンが承認され、日本では2月に承認されています。その他にアストロゼネカ社やモデルナ社のワクチンも承認申請中です。政府も「ワクチン接種」を奨励しているように見えますが、誰の目にも明らかなのは、ワクチンの絶対量が足りないという事実です。
にもかかわらず、マスコミが強調しているのは、「皆さん、ワクチン接種をして下さい」ですし、そう言われたら、すぐ申し込んで接種して貰いたいと思うのが人情です。でもワクチン接種申し込みの手続きをしようとしても「電話がつながらない」、「市役所では受け付けない」、「個々の病院には連絡しないで下さい」等々といった理由で、接種の「受け付け」さえままならないのが実情です。
自治体の答えは「ワクチンが届いていない」ですし、調達量が少ないからだということは明らかです。次のグラフを御覧下さい。(クリックすると、大きく鮮明になります。)

日本経済新聞の「チャートで見る接種状況 コロナウイルス」から
そして、4月末の接種済みの人数は、約250万人です。人口1億2千万人として、約2パーセントです。各国との比較をすると、次のようになります。

https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/vaccine.html?n=j&s=y
接種率が10パーセント以上の国から日本に旅行する、あるいは何らかの目的で、例えばオリンピックに出場するためにやって来るのには躊躇するような数字です。
この他にも、中国やイスラエルなども接種率は高いので、日本の低さが目立ちます。コロナの「頼みの綱」はワクチンということ、そして昨年11月頃からワクチンができることは分っていたのですから、製薬会社と交渉して自国民に接種できよう準備をしていたのはどの国も同じでしょう。日本もそんな努力をしているという印象を与える報道はありましたし、まさか、今ほど酷い状況になるとは当時、一般市民は考えもしなかったでしょう。しかし、専門家や政府の担当者なら当然、先を読んで自国民のためにワクチンの必要量を確保すべきだったのではないでしょうか。
もし他国とワクチンの「取り合い」になったとしたら、コロナ禍でもオリンピック・パラリンピック開催を国策の最優先事項にしているとしか見えない日本政府なら、「オリンピック・パラリンピックを開くためには、日本国民への接種が優先さるべきだ」という主張をするくらいはしないとその本気度は示せなかったのではないでしょうか。
今月初めに開かれた、オリ・パラのテスト大会を兼ねた飛び込みのワールド・カップ (W杯) には、オーストラリア選手の姿はありませんでした。選手派遣をしなかった飛び込みのオーストラリア連盟は、「W杯に先立って予防接種はできなかった。現時点で公正で安全な五輪予選イベントの開催は不可能というのが私たちの立場です」と述べています。ワクチンの確保へさえ十分にできていない日本サイドのコロナ対策では選手を送れないという判断です。
世界の厳しい判断が示されるにつれて、組織委員会でもそれなりの対応をしています。例えば、4月28日に更新版が公表された選手向けの「プレーブック」には、関係者には毎日PCR検査をすることが盛り込まれています。
しかし、一年前の日本政府は、PCR検査数を増やすべきではないことを、三つの理由を挙げて主張していました。次の三つです。
(1) 検査の精度が高くないこと。
(2) 検査のためには多くの人手が必要であること。
(3) 陽性者が増えると、医療関係者の負担が増え、医療崩壊につながること。
日本政府が忘れていても、これが日本のコロナ対策の基本であることは知れ渡っていますし、オーストラリアと同じく、どの国も自国の選手の命や健康を最優先するでしょうから、日本側のコロナ対策が本当に信頼できるものなのかどうかは丁寧に検証するでしょう。そして、上記の三命題は時間の経過によって改善される性質のものではないことも併せて判断の材料にするはずです。
今からでは遅いかも知れませんが、一年前に日本政府、あるいは専門家が決断すべきだったことは、
(a) コロナ対策としては、次のようなシナリオを国民と共有すること。つまり、最初のハンマーの効果が現れた段階から、「ダンス」の段階に入って、感染の拡大と抑制という山と谷を繰り返すことになる。それは、ワクチン接種が全国民に行き渡るまで続くので、それまでの時間稼ぎに必要不可欠な国民的協力をしてもらうために、「山」から「谷」への明確な移行基準を国民と共有する。
(b) 医療体制の整備は勿論、経済を回してゆくために必要な環境を整えておくこと。例えば開店自粛や時短の協力者への補償する覚悟をしっかり示すこと。
(c) 何としても他国に先駆けてワクチンを確保すること。
このような判断ができるだけの材料は一年前にはなかった、という反論が出てくるかもしれません。でもそんなことはありません。昨年の2月末には、北海道で二人の10代の感染者が出たこと、そして全国1700以上ある自治体の中で二つの自治体が小中学校の休校を決めたという事実から、「全国一斉休校」という大胆な決断のできる政権だったではありませんか。それに比べれば、(a)(b)(c)は皆、きわめて合理的かつ論理的な結論です。できなかったはずはないのです。
ゴールデン・ウイークが終り、おそらくこれからの感染者数は急激に増えると予測されています。その内のかなりの数は、一年前に政府の不作為によって起きたと考えても良いということになります。つまり、コロナのせいというよりは、「人災」に分類されるべきなのです。
[2021/5/6 イライザ]
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