ベトナムの歴史(その3)ベトナム語表記法の歴史
中国語と漢字文化の強い影響
3月20日の「ベトナムの歴史(その1)ベトナムってどんな国?: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で、ベトナムには86%を占めるキン族(ベト族)のほか53の民族が暮らしていることを紹介しました。ベトナム語はキン族(ベト族)の母語でベトナムの公用語です。先に見たように、中国との長い歴史的関わりから、中国語と漢字文化の強い影響を受けています。隣国、カンボジアは主要民族であるクメールが母語になっておりクメール語とも呼ばれています。古くからインド文化の影響を受けていることからパーリー語、サンスクリット語に似ていると言われています。他の東南アジアでも大陸の国々の多くがインド文化の影響を受けていますが、ベトナムは例外的と言えます。
漢字圏のベトナム語の表記は漢字ですが、対応する漢字がない場合は、漢字を応用した独自の文字、チュノム(Chữ Nôm:𡨸喃)が使われていました。
フランス人宣教師によるラテン・アルファベット表記、チュ・クオック・グー
17世紀に入り、その漢字表記に変化が起こります。1619年にインドシナに布教に赴いたフランス人宣教師、アレクサンドル・ドゥ・ロード(Alexandre de Rhodes)が、チュ・クオック・グー(Chữ Quốc Ngữ)と呼ばれるベトナム語のラテン・アルファベット表記を考案し、1651年に『ポルトガル語-ラテン語-ベトナム語辞典』を編纂しました。しかし、このチュ・クオック・グーは、もっぱら宣教師のベトナム語習得用と布教用に使われ、ベトナム人に普及することはありませんでした。
上:チュ・クオック・グー 下:漢字
カンボジア語(クメール語)
フランス植民地支配とチュ・クオック・グー
それが大きく変わったのが19世紀に入ってからのフランスによるインドシナの植民地化です。それまで中国王朝からの度重なる侵略を受けつつも、なんとか独立王朝を維持していたベトナムですが、中国・清の力が衰えてきた1800年代後半に、「カトリック宣教師団の保護」を名目にフランスがスペインとともに中部ダナンでベトナムへの攻撃を開始し占領します。1847年にフランス艦船がダナン港に侵入、ベトナム艦船を砲撃。1857年にはダナン上陸、1861年のサイゴン侵攻とベトナム南部(コーチシナ)を制圧、1887年までにベトナム全土を支配し、フランス領インドシナ連邦を成立させました。この間の戦いは「コーチシナ戦争」と呼ばれています。
フランス時代のサイゴン大教会(聖マリア大聖堂)
フランスの植民地支配は、その後1940年9月~1945年8月までの日本軍の侵攻支配を除き、1954年5月の「ディエンビエンフーの戦い」で敗退するまでの約100年余り続きます。
フランスの植民地政策とともに推し進められたのがベトナム語表記のチュ・クオック・グー化です。学校ではフランス語のカリキュラムが導入され、これまで使っていた漢字は禁止、代わりにアルファベットを使ったチュ・クォック・グーによるベトナム語表記のみが許されました。さらにフランスは1906年にインドシナ大学を設立し、高等教育をすべてフランス語で行うなど、フランス同化政策をベトナム国民に強いたのです。
アイデンティティー確立・民族独立とチュ・クオック・グー
一方、過酷なフランスの植民地支配に抵抗する闘いが知識人や労働者、農民へと広がってゆきました。そうした人びとの中からも、チュ・クオック・グーを蛮夷の文字として単に排斥するのではなく、受容することで識字率を高め、話し言葉と書き言葉を一致させ民族としてのアイデンティティーを獲得し、民族独立を勝ち取ろうという動きも出てきました。
このような経過をたどりながら、1945年9月2日、ホーチミンの発した「独立宣言」で成立したベトナム民主共和国によって、漢字・漢文によるベトナム語表記は廃止され、もっぱらチュ・クオック・グーのみのベトナム語表記になり、今日に至っています。
民族の歴史や文化に大きく関わる言葉や文字表記の変遷をみても、決して民族としての誇りやアイデンティティーを失うことなく、柔軟かつ大胆に未来志向で対応するベトナムらしさを感じます。
あれッ!日本語とよく似ている!
長くなりましたが、語彙(い)も発音もよく似ている言葉を「下表」に紹介します。
私は、この話をするとき右欄の「感謝」(ありがとう)をよく紹介します。感謝の意を伝えるとき「カムーン」と言います。ベトナムでは漢字で「感恩」と書きます。すなわち、恩を感じていると言う意味です。まだまだ、たくさん有ります。皆さんも調べてみてください。
次回からは、歴史を追いながら日本との関わりを紹介する旅を進めたいと思います。
(2021年4月29日、あかたつ)
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