ベトナムの歴史(その2)ベトナムの国名
歴史上最初の統一国家、阮(グエン)王朝が命名
ベトナム(Việt Nam)は漢字では「越南」と書きます。これは1802年5月、ベトナム全土を初めて統一した王朝であり、また最後の王朝となったグエン(阮)王朝の初代皇帝、ザーロン(Gia Long:嘉隆帝)帝が付けたものです。それまでのベトナムは紀元前111年から938年までの1000年余にわたり中国に支配された時代と、その後900年におよぶ中国に対する抵抗と朝貢の独立王朝時代で、統一国家ではありませんでした。
ちなみに、阮朝の首都は多くの歴史的建造物を残すベトナム中部の世界遺産のまち、古都フエ(Huế)です。
フエ:王宮内を見学 2013年「第8時平和友好訪問団」
ザーロン帝は全土平定の報告とともに、清王朝に国号(国名)をNam Việt(南越)にしたいと願い出ますが、認められず、やむなくViệt Nam(越南)にしました。そこには今日に至るベトナムと中国との長い歴史的怨讐が横たわっています。これらについては、のちのち紹介してゆきたいと思います。
「南越」(Nam Viet)を認めなかった清朝
紀元前3世紀頃の中国は、春秋戦国時代で皆さんもよくご存知の秦(しん)の始皇帝が活躍した時代です。その強大な秦朝も始皇帝の死去後、急速に衰え、秦王朝に反逆した秦の将軍・趙陀(ちょうだ)が、紀元前203年、中国南部に「南越国」(Nam Việt)を建てました。南越は今の広東を首都に、広大な中国南部一帯を支配し、秦朝滅亡後に成立した漢朝も悩ませました。
中国にとって南越(Nam Việt)は好ましくない国名なのです。南越国は漢の武帝によって滅ぼされた紀元前111年まで92年間続きます。以降、938年までベトナムの中国支配が続くことになりますが、これらも後に紹介します。
時代は下り2000年の時を経た1802年、初めてベトナム全土を統一した阮王朝が、ベトナムの独立を内外に宣言する国名:「南越」(Nam Việt)を名乗ることを快く思わない清王朝は認めませんでした。やむなく、ザーロン帝は国名を「越南(Việt Nam)にしましたが、清王朝に対する正式文書には越南(Việt Nam)を用い、それ以外では「大南国」(Dai Nam)や「大越南国」(Dai Việt Nam)を使うなど、面従腹背の姿勢を貫いていました。
(出典:ウィキペディア「南越国」)
上の地図で、赤く塗ったところが南越国です。赤い囲みが現在のベトナムです。
このあたりも、ベトナムの反骨で、粘り強くて、他からの圧力になかなか屈しないというしたたかな一面を窺うことができます。
次回は、「ベトナム語の表記の歴史」を紹介します。
(2021年4月20日、あかたつ)
【編集者記】18日の「広島市議会・政策立案検討会議傍聴記―その1」で記載した「核兵器禁止条約」に関する意見書の採択状況について、広島市議会事務局に問い合わせました。その結果、「両意見書とも全会派共同提案なので、全会一致で採択されています」とのことでした。政策立案検討会議の委員は、1名を除き3期以上の議員ですので、両意見書とも賛成だったということになります。1期の1名は、2019年4月の選挙で初当選していますので、2017年9月29日の採択には関わりがありませんが、2020年10月27日の意見書の採択では、賛成されていることが確認できました。(いのちとうとし)
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