自然災害の歴史から学ぶ (4)
――政府の姿勢を問うと、「受忍論」に戻ってしまいます――
前回、最後に問題にしたのは、大災害の被災者に対する政府の基本的姿勢でした。それは、私有財産に公費を投じる施策は取らないというものです。しかし、阪神淡路大震災後、世論の力で1998年に「被災者生活再建法」ができました。とは言えその法律には大きな欠陥がありました。まず、遡及適用がなされませんでした。つまり、阪神淡路大震災の被災者には適用されなかったのです。またこの法律が支給したお金は、住宅の再建には使えないどころか、補修にも使えない、基本的には住宅関連の費用に充てることはできなかったのです。つまり、本来の目標とはかけ離れた法律だったのです。しかも、最大の額が100万円でした。
何故、このように非人間的な対応になってしまうのかを知るには、当時の村山富市首相の発言、「自然災害により個人が被害を受けた場合には、自助努力による回復が原則」が役立ちます。
ここで論理的な立場から問題にしたいのは、「自然災害により個人が被害を受けた場合には」です。特に「には」です。その他の場合とは違って、自然災害という原因で個人が被害を受けた場合、という特定がされているからです。
こんな特定の仕方をされるとすぐ頭に浮かぶのが、1980年12月に「原爆被爆者対策基本問題懇談会」、略して「基本懇」が発表した意見書です。これまで何回も取り上げていますが、日本政府ならびに日本社会を牛耳ってきた人たちの基本的な考え方を忠実に示している文書ですので、これに対抗する枠組みが我が国にしっかり定着するまで、打破すべき対象として繰り返し掲げます。
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このような、戦争肯定とその被害に対する開き直りを、恥じることなく言語化した人たちが誰だったのかも記憶し続けなくてはなりません。
委員(全員故人)は、
茅誠司・東京大名誉教授(座長)
大河内一男・東京大名誉教授
緒方彰・NHK解説委員室顧問
久保田きぬ子・東北学院大教授
田中二郎・元最高裁判事
西村熊雄・元フランス大使
御園生圭輔・原子力安全委員会委員の7人
茅、大河内の二人は東大の総長を務めた人たちです。日本政治を動かしてきた官僚組織・制度や日本の思考の元となる学問の世界、その他にも財界や産業界等、いわゆるエスタブリッシュメントを構成するエリートたちを育ててきた人たちです。
改めて、この「基本理念」を読み直したのですが、今回も腹の立つことに変りはありません。先月も一通りの批判をしましたが、毎月一回は腹を立てていることになります。再度お読み頂ければ幸いです。
先月問題にしたのは、「国をあげての戦争」という部分に注目して、せめてそれが真実であるのなら、つまり、国民投票なり世論調査に基づいて全国民の意思を確かめ、その結果、「戦争をしよう」ということになったのであれば、その戦争の結果生じる犠牲を「一般の犠牲」として、全国民が等しく「受忍」するという論の立て方は、それなりに論理的だと考えられるという点でした。
しかし、主権は国民にはなく天皇にあったのですから、「国家の意思」と国民の意思とは別物だったのです。
本論に戻りましょう。1998年の「被災者生活再建法」から始まって、国の施策も徐々に改善されていることは事実です。しかし、2007年に二度目の改正がされたこの法律には、まだ大きな問題が残されているのです。
この法律の趣旨は、災害によって引き起こされた被害から生活を再建するための「支援金」を支給することなのですが、それは「基礎支援金」と「加算支援金」の二本立てになっています。「基礎」の方は、住宅の壊れ具合で決まるのですが、全壊の場合には100万円が支給されます。「加算」は、住宅の再建方法で決められます。新築や購入だと200万円で、補修だと100万円ということになっています。
大きな問題点は、このお金が「補助金」ではなく「見舞金」だということです。つまり、国の大方針である「私有財産の価値を高めるために公費は使わない」には反していないのです。住宅の再建や補修のための「補助金」ではなく、「家が全壊して大変でしたね、お見舞い申し上げます。その印です。」という趣旨なのです。
実はそれにもメリットはあります。実際にかかった費用が支給額より低くても、全額支給されという点です。建設や修理のための補助金ではなく「見舞金」だからです。
このような形で法律を作る国の姿勢は、「被爆者援護」施策における国の姿勢と並行しています。基本懇の基本理念でも被爆者援護法制定後の援護の実態を見ても、「戦争による犠牲は国民が受忍すべき」という基本方針は変えていないからです。
基本理念では、持って回った言い回しで、放射線による被害が戦争の結果生じ、それに対して国の責任があるのだとは明言していないのです。ですから被爆者に対する援護も、戦争と被爆者の被った被害・犠牲との因果関係を認めているのではなく、戦争の結果生じた犠牲に「相応」する形で、それに対する補償に「相当」する措置を行うという、分り難いけれど戦争責任を避ける表現になっているのです。簡単にまとめれば、お金に換算すれば「相当」する額を出しているのだから、「何故」出すのかという点にまで文句を言うなということです。
「被災者生活再建法」では、被害に「相当」する金額を「見舞金」として支給することにしたのと同型の、論理のすり替え、「最後はお金でしょ」という人間の尊厳無視の姿勢です。
1994年、被爆者援護法が制定されたとき、それを無視して法律を作った政府に対して、国の戦争責任に基づく国家補償を求めていた被爆者たちの気持を代表する言葉が残っています。広島県被団協の理事長だった伊藤サカエさんによる、「せめて線香の一本でも供え、悪かったと言ってほしい」です。日本政府が主権者である国民一人一人を尊重する気のないことを余すところなく伝えています。
[2021/4/21 イライザ]
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