「広島ブログ」

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2021年3月

2021年3月31日 (水)

3月のブルーベリー農園その4(東広島市豊栄町)

週末農業でブルーベリーを作っているので28日のように雨が降るといま真っ最中の剪定作業が滞るが、午後おそくには雨あがるとみて農園に行くが雨。30日はいい天気で気温も20度を超した。植物も動物も動きが早くなってきた。

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3月28日(日)は夕方まで雨で農園の茶臼山の麓に目をやるとコブシの花がぼんやり見える。

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ブルーベリー畑で1本だけ雨の合間をぬって小さい木の植え替えをしたときに地面でもぞもぞ動くものを見つけて撮影。アマガエルが冬眠から出てもうウロウロしている。

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3月30日(火)。農園に作業に行く。花壇のサツキの刈りこみのほぼ真ん中から一輪スイセンが顔を出すさまが笑える。

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この日の空は黄砂で茶臼山もかすんでいる。マスクに眼鏡で剪定作業をしない目も喉も危ない。

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農道にはクローバがぎっしり。ちらほらタンポポが咲く。

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ブンブンする音しきり。ミツバチがもう活動している。

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ブルーベリー畑のすぐそばのサクラは5分咲き。

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その木にスズメバチの捕獲機を取り付ける。穀物酢、ブルーベリー酢、黒糖酢、砂糖、少しの水を混ぜた液が入っている。全部で3か所にぶら下げた。

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夕方安芸の郷で会議があるので早めに作業を切り上げる。

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花壇のアネモネが開花。

2021年3月31日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2021年3月30日 (火)

県原水禁事務局長が交代―新事務局長は高橋克浩さん

広島県原水禁は、29日午後5時30分から、今年2回目の常任理事会を開催しました。今回の常任理事会で、事務局長の交代と1名の常任理事の追加などの理事会人事が承認されました。

事務局長の交代は、平和運動センターの役員交代に伴うもので、渡辺宏事務局長の後任として自治労県本部の高橋克浩さん(福山市職出身)が、新たに選出されました。交代時期は、4月1日からです。

渡辺宏さんには、21017年4月から4年間、事務局長の重責を担っていただきました。渡辺事務局長の活動の中で特に印象に残っているのが、昨年夏の原水禁大会です。コロナ禍で全国から参加しての原水禁大会の開催が出来ないという今までに経験したことのない事態に遭遇し、新たなオンラインでの原水禁大会の開催を余儀なくされましたが、原水禁本部と協力し、広島らしい大会をどう作るのか努力を続けてきました。8月6日に初めての試みとして実施した「原爆ドームを囲む集い」では、事前の調査も綿密に行い、参加者自らが作成した横断幕を手にし、約300メートルの原爆ドームを囲み、両手を広げてアピールする行動を見事に成功させました。その様子は、全国にオンライン中継され、全国の共感を呼びました。同じ日の午後に開催されたオンラインによる開会集会のエンディングで流れた「原爆を許すまじ」の歌声では、「難しい」と思われていた録画撮りも渡辺さんの努力で、広島からのたくさんの人たちの声を届けることが出来ました。もう一つは、毎年3月11日に開催してきた「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」です。各団体のまとめ役と務め、集会成功を成功させるため大きな役割を果たしてきました。

渡辺さんは、この4年間を振り返って次のように語っています。「4年間で一番印象に残っていることは、事務局長に就任した2017年の秋に福島を訪れたことです。現地、現場を見ることの大切さを改めて痛感しました。原点に学ぶことの重要さを確認できました。そのことが、その後の運動に行きました。もう一つは、やはり政治を変えないと私たちの課題を実現することは難しいということです。原水禁運動はだれでもできる運動ですので、事務局長は辞任しますが、これからは原水禁の個人会員として、これまでまなんだことを活かしていきたいと思います。」

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左が高橋克浩新事務局長、右が渡辺事務局長

新事務局長に就任する高橋克浩さんは、これまでも日常的には慰霊碑前の座込みや平和行進などの活動に参加するとともに、2010年には原水禁代表団に一員としてNPT再検討会議に参加されています。高橋さんは、次のように抱負を述べています。「これまでは、労働運動として平和・人権などの課題に関わってきましたが、その経験を活かして頑張りたいと思っています。ご協力をよろしくお願いします。」

今回新たに常任理事として選出されたのは、箕牧智之広島県被団協理事長代行です。坪井直常任理事が参加できない状況にありますので、箕牧さんには被爆者の立場から県原水禁の運動への提言を期待しています。また、これまで長い間県労被爆連の立場から常任理事を務めていただいた神崎昭男さんは一身上の都合で辞任され、また広島県護憲からは赤木達男さんが選出されていましたが、県護憲の事務局長を交代したということで、今まで個人として常任理事を務めていただいた藤本講治さんが、県護憲枠での常任理事となることが確認されました。

昨日の常任理事会で確認した今後の活動は、被爆者団体が呼びかける「日本政府に核兵器禁止条約署名・批准を求める署名」を取り組むことや4月26日には、例年通り「チェルノブイリデー座り込み」を実施することなどです。夏の原水禁大会に向けても意見交換をしましたが、確定していませんので、報告は省略します。

いのちとうとし

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2021年3月29日 (月)

長崎の原爆犠牲者数は?―長崎市へ質問状を送付

このブログでも何度かとりあげた「長崎の原爆犠牲者数」について、一昨日長崎市に質問状を送付しました。長崎市から「問い合わせ」を受け付けたと連絡がありましたので、質問状の前文を省略し、質問部分のみを紹介します。

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① 1976年に広島・長崎市の連名で出された「核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請」では、1945年末までの原爆による死亡者数として「長崎は、約7万人(誤差±1万人)」としています。

 さらに長崎市が1991年に岩波書店から発行された「ナガサキは語りつぐ 長崎原爆戦災誌」では、「ともあれ、長崎市では、人口調査などの数値から、死者7万余とする説を公式に採用している。」(P.105第2段落)と明記されています。

長崎市が「死者7万余を公式に採用」としているにもかかわらず、「原爆被爆者援護事業概要」では、「73,884人」を使われているのでしょうか。

もし長崎市の公式見解が変更されたのであれば、その時期と理由を教えてください。

② この疑問を質すのは、「残念ながら原爆被害の実数は特定できていない(事業概要でも「正確な死傷者を調査することは困難であった。」)」と考えているからです。にもかかわらず、「死者 7万3884人」と一ケタまでの人数を記載することになれば、この数字を読む人に、犠牲者数がきちんと調査が行われているという誤解を与えることになるのではないかと危惧するからです。この点については、どうお考えでしょうか。

こうしたことを私が考えるのは、そもそも広島、長崎の原爆犠牲について、国がきちんとした調査を行っていないことを問題にしてきたからです。当然のことですが、原爆被害の悲惨さから、残念なことですが、当時の被害の実態は、つかみきれないと思っているからです。

③ 確かに長崎市がいわれる「長崎市原爆資料保存委員会の昭和25年7月発表の報告」には間違いなく「73,884人」という数字が記載されています。ただ、この報告でも「死者のうち、1万7358人は、原爆直後死体検視済みのものである」と書かれており、「73,884人」の具体的根拠は、明記されていません。「長崎市原爆資料保存委員会の昭和25年7月発表の報告」の数字は、当時の住民数に爆心地からの被爆距離による被害率をかけて出されてものに過ぎないのではないでしょうか。もしその他に「73,884人」の具体的根拠(名前が明らかなど)があれば教えてください。

④ 付言すれば、長崎市、長崎県の「原爆被爆者援護事業概要」には、長崎と広島の被害の比較表が掲載されていますが、その比較表では、広島の「人的被災 死者数」は「118,661人」と一ケタまで明示され、出典として「人的被害 S.21.8.10 広島市調査を採用」と書かれています。

しかし、広島市は、広島原爆資料館とともに、1945年末までの死没者数は「14万人±1万人」(国連報告もこの数字)としていますので、私が、広島市に対し「長崎市の『原爆被爆者援護事業概要』に「死者数、118,661人」と記載されていることを指摘したところ、広島市の担当者は、その事実を承知したおらず、その後貴市に電話で「修正」を要請し、その結果「来年から修正する」ことになったと広島市の担当者から報告を受けています。

なお、ご承知のように長崎県の「原爆被爆者援護事業概要」にも、「73,884人」の数字が使われていますので、貴市の回答によって、長崎県にも問い合わせたいと思っています。

以上お尋ねしたいことは4項目ですが、なぜ私がこの数字にこだわるのかと言えば、重ねて言うようですが、一ケタまでの原爆犠牲死者数を記載することは、逆の意味で原爆被害の実態を誤って(きちんと調査ができず正確な人数を把握できないにもかかわらず、あたかも正しく把握しているかのごとくと)伝えることになるのではないか」という問題意識を持っているからです。さらに指摘すれば貴市は「今日の通説になっている」とされていますが、「通説」になったのは、貴市がずっとこの数字を使われ続けてきたからではないでしょうか。

貴市も広島市と同じように、「原爆被爆者動態調査」が行われていると思いますが、広島市においては犠牲者の14万人±1万人のうち、この動態調査で名前が明らかになっている人数は、89,030人(2020年3月末現在)のみです。

私も当然、実態を正確にするため、すべての犠牲者の名前が明らかにされるべきだと考えていますし、その努力を続けるべきだと思っています。しかし、どれだけ努力をしてもその正確な実態を明らかにできないのが原爆被害だというふうに考え、学習会などでは説明してきました。

こうした様々な思いから、あえて今回の質問を行うことにしました。


いのちとうとし

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2021年3月28日 (日)

Save Myanmar(Burma)ミャンマー(ビルマ)を救え―原爆ドーム前集会

2月1日に、ミャンマー(ビルマ)で軍がクーデーターを起こしてから55日あまりが過ぎました。その間、ミャンマー(ビルマ)では、市民が全土で非暴力・不服従の抗議行動がつづけています。しかし、軍はその市民に対し発砲し、さらに軍はヤンゴン、マンダレーなどの幾つかの地区に戒厳令を出し、市民への弾圧を強めています。弾圧は日毎にエスカレートし、3月27日現在少なくとも320人(NHK正午のニュース)が殺されました。

ミャンマー(ビルマ)での軍夜弾圧に対し抗議する行動が、日本国内でも在日ミャンマー(ビルマ)人を中心に取り組まれていますが、広島でも仏教者9条の会が企画し3月23日の午後6時から原爆ドーム前で、ミャンマー(ビルマ)の反クーデーターで闘っている市民を支援するための集会「ミャンマー(ビルマ)市民の訴えを聞く会 Save Myanmar(Burma)ミャンマー(ビルマ)を救え」が、開催されました。

( )付きで、ビルマと書きましたが、その理由をこの集会に参加して初めて知りました。長い間民主化運動をすすめてきた世代は、歴史の継承を重視し軍事政権が付けた「ミャンマー」ではなく「ビルマ」の国名を重視しているそうですが、現在、反クーデーターの前面に立っている若い世代は主にミャンマーを使っているので、この集会ではミャンマー(ビルマ)の表記を使うことになったそうです。市民の間では、ビルマという国名が今でも使われているのです。

午後6時から、原爆ドーム前で「犠牲者を追悼する集会」が開催されました。平和公園の「平和の灯」から採火された火が、祭壇に設けられたロウソクにともされ、全員で1分間の黙とうをささげました。

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その後、在日ミャンマー(ビルマ)人のレーレールィンさん、タウンミィンウーさんが、アピール。最後に参加者全員が、ミャンマー(ビルマ)の抗議行動と同じように3本の指を掲げて「抗議」の意思を表しました。

ここで原爆ドーム前での集会を終え、すぐ東隣の西向寺本堂に移動し、改めて二人からの訴えを聞きました。レーレールィンさんは、介護士として働きながら、不服従運動者への支援グループのリーダーの一人して活動を続けています。タウンミィンウーさんは、スーチーさんを党首とするNLD(国民民主連盟)の日本組織委員会議長です。

二人の訴えです。「ミャンマー(ビルマ)は、主要な8民族、そして135ともいわれる少数民族で構成されています。宗教は、仏教が中心で90%ですが、他にキリスト教やイスラム教などがありますが、抗議行動にはすべての宗教が参加しています。警察や軍隊によって殺されている人の圧倒的多くは、将来ある若い人たちです。子どもも60歳以上のおばあさんも犠牲になっています。今では、デモに参加している人だけでなく、自宅にも押しかけてきて逮捕される事態が続いています。すべての市民が、不安な状態にあります。私が、日本で活動することは、ミャンマー(ビルマ)に居る家族を危険にさらすことになりますが、それでもやらなければならないのです。日本は、ミャンマー(ビルマ)と深い関係にあります。軍と深い関係にある日本政府は、国民と軍が対決している状況の中で、私たちを支援してほしいと思います。しかし、2カ月たっても日本政府は、何の行動も起こしていません。ぜひ軍を動かしてほしいと思います。軍は、新しい大使を任命しようとしていますが、その人たちにビザを発給しないでください。」その他にもいくつか日本政府に対する要望がありましたが書きとることが出来ませんでした。特に印象に残ったのは、「27日は軍記念日(1945年に日本軍に抵抗を始めた日)で、軍事パレードを予定しています。各国を招待しているようですが、日本には絶対に参加しないでください」ということでした。このことが気になっていたのですが、昨日のTVニュースによれば、27日の軍事パレードは実施され、8カ国(昨年は30カ国)の代表が参加していますが、日本は出席しなかったようです。

ミャンマー(ビルマ)には、民主化以降日本からも多くの企業が進出し、政府も深いかかわりを持っていますので、この軍事クーデーターに対しても毅然とした態度が求められています。

コロナ過ということもあり、この集会は参加者が30人に限定されていましたが、もっと多くの人が関心を持たなければならない問題だと思いました。

いのちとうとし

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2021年3月27日 (土)

「厳しい過疎化の現実」

私は、広島市内での単身赴任生活が今年で15年目となる。実家は県北で島根県の県境に近い場所にある。週末はできるだけ帰省しているが、今の時期は積雪の時期も終わり、まだ寒いので田畑の草も伸びず、私にとっては「良い」季節である。

間もなく、稲作の時期が始まる。4月初めには、地域総出で田圃の用水路を整備する。堆積した砂をかき上げて流れを良くする水田づくりの準備だ。

 地区の集落の戸数は次第に減少し、現在11戸となった。そのうち、常時居住しているのは9戸。2戸は普段は空き家で、地域の行事などがあれば帰省して参加されている。一人暮らしはないが、80歳を超えた高齢者夫婦の世帯もある。近年は過疎化に伴い耕作放棄地が目立ち始めた。区画整理事業により広く整備された田圃でも後継ぎがいないため放置されている。

 

人の手が入らなくなった山林や田畑には雑草が生い茂り、野生動物のすみかとなる。私の地区では猪による被害が大きい。

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中央に延びるのは猪の獣道

 以前は田圃の周辺に電気柵を張っていたが、それでは防ぎきれなくなり、最近は鉄製の柵を張り巡らせた。しかし、それでも猪は柵の下を掘り起こし、時には突き破って田圃に侵入する。

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猪によって掘り返された道路法面

 猪に入られると、稲が倒されて収穫ができなくなる。また、畔(あぜ)を掘り返して破壊する。そうなると人力ではどうにもならず、建設業者に依頼して補修工事をすることになる。稲作による収入をはるかに超える費用が必要となっている。昨秋には夜間に走行中、猪と衝突して自動車が壊れた。急に道路わきから飛びだしてきて、跳ね飛ばしたというより,側面にぶつかってこられたという感じであった。避けようがない。

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朝起きてびっくり!畑の作物は全滅

 子どものころから、母や祖母の仕事の手伝いをしながら農作業を見てきた。その母たちも亡くなった今、今度は私が主になってやっていく番となっている。わずかな面積の稲作では収支勘定は全く元が取れないが、それでも可能な限り農業は続けたいと思う。農業は、単に米や野菜を作るだけが目的ではない。水田に水を張ることで土地の保水力を高め、ダム機能、洪水調整の役割を果たす。田畑を管理することで、土地の荒廃を防げる。とは言え、相変わらずの単身赴任で、たまの週末の休みだけでは十分な時間が取れず、稲作づくりは成り立たない。もうしばらくは近所の方々に手助けをいただきながらの農業である。

 近い将来、今の仕事を終えた後は、余暇を農業に使いたい。それが、私の今の夢の一つである。私の代では何とか稲作りをしているが、子どもの代にはどうも望むべくもない。あまり先のことは考えず、自分のできる範囲でやるしかない。

 

私の好きなテレビ番組に「ポツンと一軒家」というのがある。人里離れた辺境の地で暮らす人々を紹介する番組である。紹介をされる人のほとんどが高齢者である。離れて暮らす家族や地域の住民の助けも借りながら、決して便利とは言えない生活ではあるが、しかし自立した生き方をしている。その姿に共感しているのであろう。私自身、歳を取ったら通院はそうするか、日常の買い物はどうしようかなどと今から考えてしまうが、やはり故郷に住み続けると思う。

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もうすぐ桜の季節(昨年春の風景)

 広島県ではちょうど今、各地で自治体選挙が行われている。4月には参議院広島選挙区の再選挙も行われる。これまでの町村合併による役場機能の再編・縮小、学校統廃合、郵政民営化等々は地域の「拠点」をなくし、過疎化に拍車をかけた。産業の都市への集中、効率優先、効率化を推し進めた結果が果たして住民にしあわせをもたらしているのか、だれのための幸せか。立候補者の政策をしっかり聞いて、党利・党略、私利・私欲にとらわれない候補者を選びたい。

<農家の息子>

<編集後記>原文の雰囲気を活かすため、そのままの文体でアップしました。

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2021年3月26日 (金)

完全に舐められている私たち ――河井夫妻からも、政府・自民党からも、東電からも――

完全に舐められている私たち

――河井夫妻からも、政府・自民党からも、東電からも――

 

災害についての基本的な知識を確認するシリーズを始めたのですが、前回は、明治以降の震災被害の内、大きなものを振り返るため、表を作りました。そのチェックの段階で、1989年のサンフランシスコ地震の際の建設省や専門家の御託宣を取り上げました。

 

高速道路が崩壊したりといった大きな被害が出た地震でしたが、今もはっきり覚えているのは、建設省の関係者そして専門家と称する人たちがテレビで得意顔をして、「日本の技術は優れているから、日本でこの規模の地震が起きても、同じような被害は起きない」と宣言している姿です。これは、6年後の阪神淡路大震災で、嘘であることが証明されてしまっているのですが、サンフランシスコ地震についての言明について、建設省や専門家たちがどのような反省をしたのかが未だに分りません。この点についても検証したいと考えています。

 最悪の場合、このような立場の人たちが誤った「自信」と「傲慢さ」を持ち続けているとすると、現時点でこうした人々の発するメッセージに対する信頼度が無くなるからです。

 

最近ニュースで取り上げられた大きな出来事いくつかに注目しただけでも、「自信」と「傲慢」は、見出しに掲げた、「河井夫妻、政府・自民党、東電」には、立派に生き残っています。「傲慢」だけでは言い尽くせないほどの低劣な品性の持ち主なのですが、品性を問題にするのではなく、「結果」にシフトしましょう。

 つまり、そんな人たちに、私たちは完全に舐められているという事実です。その証拠になるいくつもの言動があるにもかかわらず、私たちの側から、目の前で効果の出るカウンター・パンチを繰り出せないのが何とも歯痒いのですが、いくつかを確認しておきましょう。

 元々、無罪を主張していた河井夫妻が、「今になって」その主張を引っ込めたのがその一つです、二人とも「有罪」を認めました。案理氏は、121日の東京地裁の有罪判決に対しての控訴は行わず、23日に辞職しました。克行氏は、323日に行われた被告人質問の中で、それまでの無罪主張を一転、有罪を認め議員辞職することも表明しました。さらに25日には、辞職願を提出、来週にも衆議院本会議で認められるとのことです。

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東京地方裁判所

 

まず、案理氏の一審判決が確定し、当選は無効になった意味と自民党の責任について、元広島地検特別刑事部部長、東京地検特捜部でも活躍した郷原信郎弁護士が分り易く説明してくれています。

 

「広島県政界に広く現金がばら撒かれたこの事件は、まさに党の組織としての重大不祥事である。1億5000万円の選挙資金と現金買収の原資との関係や、安倍氏や菅氏の案里氏の立候補及び選挙運動への関与や認識などを明らかにし、また、広島県政界に事件が波及した構造を解明して、是正を図らなければ、自民党が公正な選挙を行うことへの信頼も期待もあり得ない。」

 (出典は、「ヤフーニュース」です)

こうした努力は全く行わずに、「候補を一本化」することが、この不祥事に対する答だとの主張を行っている自民党の県連は、今回の「再選挙」の意味を無視し、選挙とは「政局」つまり、権力闘争の一場面であるとしか考えていないことを示しています。

それは、選挙そのものの意味、民主主義と国民主権についての自民党の基本姿勢を具体的に示している行動でもあるのです。

再び郷原氏に登場して貰うと、

 

「自民党が、広島県の政界の体質に目を向けることなく、単に、過去の与野党の票差と、野党側の選挙事情だけに目を向けて、再選挙に公認候補者を擁立しようとしているとすれば、広島県民を舐めきった「思い上がり」以外の何物でもない。」

 

次に取り上げたいのは、「一転して、有罪を「今」の時点で認めることになった」理由です。これほどの「変心」には何らかの理由があるはずです。改めて、説明しなくても皆さんにはお分りかもしれませんが、念のため、整理しておきましょう。

① お金が欲しかった―――歳費と文書交通費だけでも、月に200万円以上の収入になります。またボーナスもあるのですから、二人合わせると恐らく4,000万円くらいにはなります。そのお金が欲しかった、という理由かもしれません。「無罪」を主張し続けたのは、議員でいる限りこの収入が入ってくるからだという説明には、そのことが正しいかどうかの判断とは別に、説得力があります。

 ② 補欠選挙を遅らせたかった―――案理氏の場合、控訴をして、時機を選ぶことで衆議院選挙と参議院選挙を同じ日にすれば、保守王国の広島では選挙が有利になると考えられます。しかしこの目論見は衆議院の解散があると外れてしまいます。さらに、弁護のための費用もかなり掛かりますので、そのバランスで「今」になったのかもしれません。克行氏の場合は、316日以降に辞職すれば、10月には確実に衆議院議員選挙があるのですから補欠選挙は行われなくなります。それを狙ったのかもしれません。

 この点については、ヤフーニュースに、大濱﨑卓真さんが詳しく分り易い記事を載せてくれていますので、お勧めします。

 この他にも理由はあるのでしょうが、「舐められている」証拠のもう一つに移ります。二階自民党幹事長の「他山の石」発言です。

案理氏を公認候補として担ぎ出し、選挙費用に15,000万円出したのは自民党に「他」なりません。応援演説のため何度も広島入りした自民党の幹部たちは、実は「他党」のスパイだったとでも言いたいのでしょうか。嘘をついても何を言っても問題にはならない、国会でもマスコミでも大問題としては取り上げない、世論は無視すれば良い、と我々を舐めきっているからこその発言なのではないでしょうか。

 東電の柏原刈羽発電所については、回を改めます。

 [2021/3/26 イライザ]

 

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2021年3月25日 (木)

二つの原発裁判で思うこと

 3月18日、同じ日に広島高裁と水戸地裁で、原発に関する二つの判断が行われました。

  広島高裁では伊方原発の「再稼働」を認める決定、そして水戸地裁では、東海第二原発の運転を差し止めるという判決です。

伊方原発の決定は、なんとも軽いというか本気で考えることをしないで、下したとしか言いようがないものでした。これまで原発についての裁判で、電力会社寄りの判決に多く遭遇してきましたが、「悪(わる)は悪なり」に、それなりに裁判官の判断の尺度というのが見られました。しかしこの度の広島高裁の判断は「ようわからんから、電力会社のいう通りにする」というのがミエミエです。

この決定で大きく反応したのは四国電力の株価でした。決定が出るまで840円くらいをウロウロしていたものが、午後2時と同時に900円くらいに跳ね上がりました。いかに投資家が、人の不幸で金儲けしたいというのが分かりました。

 私が最初に原発裁判に接したのは、1978年4月25日、松山地裁で判決が下されたやはり伊方原発に関するものです。今は亡き森滝市郎さんと判決前日に松山の旅館に宿泊し傍聴に臨みました。

 敗訴でしたが春の暖かい日射しの中、原告の広野房一さんが「辛酸入佳境(しんさんまたかきょうにいる)」という垂れ幕を出して法廷から出てこられたのを、昨日のことのように覚えています。

「辛酸入佳境」とは足尾銅山鉱毒事件を戦った田中正造が好んでいた言葉で、「何事もすべてを打ち込んで事にあたれば、どんな苦労もかえって喜びになる」というものです。

 

一方、水戸地裁の判決は、原発事故時における避難計画が実効性の無いことを示した内容で、判決要旨には「実現可能な避難計画及びこれを実行し得る体制が整えられているというにはほど遠い状態であり…」としていました。

原発事故への備えでは、この段階で失敗しても次で食い止められるという「深層防護」という考え方があり、レベル1~5までの対策があります。1~4までは原発内でのことで、これは原子力規制委員会の基準に基づいて電力会社が責任を負うことでしょう。しかしレベル5は避難計画に関するもので、その責任は日本では自治体や内閣府が担うことになっています。それがしっかりと実効性が無ければ、「再稼働」などあり得ないと思うのです。

コロナ禍の中コロナを防ぐには、風通しを良くして密を避けて避難する。原発事故では放射能が来ないように窓を閉めて避難する。この相反する対策を自治体がどう落とし前を付けて実行するかが問われています。

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今日、広島県原水禁の金子哲夫代表ら9人と、広島県庁の危機管理監を訪ねコロナと島根原発の避難との関係で、説明を聞きにいきました。島根原発の避難計画の問題では、このブログに何度か書いていますから省略しますが、コロナ禍に対応する避難計画は今現在も策定されていません。

水戸地裁の判決を観れば、避難計画が策定されてない状況では「再稼働」などあり得ないと思うのです。今の状況なら再稼働はしないでいうのは当然のことではないでしょうか。

島根原発2号機は、5月頃にも原子力規制委員会の「合格」が出ると予想されています。しかしコロナ禍に対応した避難計画は明らかにされていません。いつもいうことですが、実効性のある避難というのはあり得ないと思いますが、今後の動きは注目です。

木原省治

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2021年3月24日 (水)

日本政府に「核兵器禁止条約」の批准を求める被爆者7団体の署名活動がスタート

広島の被爆者7団体の「日本政府に核兵器禁止条約の署名批准を求める署名」活動が、核兵器禁止条約が発効してから2カ月目の一昨日(22日)午後0時30分から元安橋西詰付近で、修復を終え、足場が取り除かれた原爆ドームをバックにスタートしました。

時折霰混じりの小雨が降る天気でしたが、15人の被爆者のみなさんが、マイクをもって平和公園を訪れた観光客、署名への協力を呼びかけました。30分間の行動で、しかも署名台が2台だけでしたが、37筆の署名が集まりました。

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署名者の中には、広島在住の人もいましたが、京都から卒業旅行で訪れた2人連れ女性や小学生の孫と一緒に平和公園を訪れた77歳の男性などの姿があり、その人たちからは「日本政府は何故批准しないのか?他の国に先駆けて批准すべきだ。」「署名するという良い機会に巡り合えました。」「資料館を見たばかりですが、戦争は絶対してはいけないと思いました」などの声を聴くことが出来ました。今回の行動は、被爆者団体のみで行うということでしたので、私もブログの取材ということで参加しましたが、ついつい「署名に協力してください」と声をかけていました。

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2016年から続けられて来た「ヒバクシャ国際署名」運動が一定の役割を終え、広島県推進連絡会(81団体・2個人:広島県原水禁も参加)は、昨年末で活動を終えました。ただ、日本政府が「核兵器禁止条約」の批准をしない姿勢に対し、政策の転換を求める活動が求められてきました。そこで、被爆者7団体は、核兵器廃絶へ向けた第2段階の行動として、今回の署名活動をスタートさせることになりました。今回の署名用紙には次のように呼び掛け文が書かれています。

「被爆75年の節目となる2020年(令和2年)、核兵器禁止条約は、批准国が50に達して2021年1月22日に発効しました。核兵器の全廃と世界中の核被害者(ヒバクシャ)の救済を求めた画期的に国際法です。

しかし、核保有国が反対し、わが国も背を向けています。条約を機能させるためにはどうしても、国民、国会が合意できる環境を早くつくり、政府を参加させることが必要です。それが核保有国の参加に道をつける被爆国の責務です。

私は、日本政府に核兵器禁止条約の署名、批准を求めます。」

広島県原水禁は、共に署名活動を進めたいと広島県被団協を通じて、「ヒバクシャ国際署名」と同じような取り組みとなるよう働きかけをしています。今回は、被爆者団体だけでの取り組みとなりましたが、次回5月22日に行われる街頭署名活動(奇数月の発効日「22日」に実施)までには、活動への参加の呼びかけがあると思われますので、広島県原水禁としても積極的に協力したいと思っています。

日本被団協は、11月に第1次集約を予定しているようです。

いのちとうとし

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2021年3月23日 (火)

3月のブルーベリー農園その3(東広島市豊栄町)

彼岸の2日間は雨模様で家族の雑用もありいづれの日も午後から農園に出かけることになったので、農作業は湿り気味。農園のブルーベリーの花芽は膨らんだが葉はまだ出ていない。

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3月20日(土)。

今日は息子の趣味のミニカーの発売日。3台購入しそのあと本屋で本を買うのを付き合ったら12時を過ぎてしまった。安芸区の自宅周辺は雨が降っていたが、一応車で一人農園に出かけるも小雨。2時間余りブルーベリーの手入れをしてこの日はおしまい。ブルーベリーの木は葉も花もまだ出ておらずそっけないがスイセンが咲き、

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シデコブシの花が曇り空に舞う。

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3月22日(日)。

広島市内は昨夜からの雨が朝も残る。ネットで雨雲の様子を調べる。午後からは曇りなので昼ご飯を食べてから農園に出かける。ブルーベリー畑の中のスイセンも開花。毎年株が大きくなる。

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ボケの花も開花。

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花壇のヒヤシンスも開花。

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その近くのムスカリも開花。

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ざっと眺めながら農作業を始める。3段あるブルーベリー畑の真ん中の畑の剪定を続ける。

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もう一方で雨の降った後でブルーベリーの植え替えにいい状態なので一番上の畑の南側のまだ木が小さいか、枯れてしまっている場所でブルーベリーを掘り上げ同じ畑の別の場所に植え替える。理由は早生のブルーベリーをまとめて防鳥ネット内に収めたいため。それにしてもスコップを使う作業は腰に来る。

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剪定で出た枝の山は19日(金)に妻とその友人2人の援農できれいに燃やしてくれたので感謝。「熱かった」そうだ。

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蔵のある隣の庭のツバキがきれいに咲きだした。蕾がまん丸なタイプで花びらの数が多くバラのような咲き方だ。気前よく切って自宅の玄関の前に置いてある甕にどさっと飾った。

 

2021年3月23日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2021年3月22日 (月)

3月の「19日行動」-三原地区・府中地区

今月の「19日行動」の様子が、三原は藤本講治さん、府中は小川敏男さんから届きましたので、今日はその報告です。

 

三原地区

冬季期間,土曜日の昼間に実施している「19日行動」は、今月が最後となりましたが、3月20日13時30分からいつものように三原駅前で実施しました。今回は、16人の参加がありました。

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今回の街宣行動でマイクを握って訴えたのは、高木武子市議など7人でした。それぞれが次のようなテーマで訴えました。

①10年目を迎えた「東日本大震災・福島原発事故」、特に原発再稼働に対する懸念や核政策に後ろ向きな日本政府の姿勢を厳しく問う、②私たちの行動のスタートとなった憲法違反の安保法制成立後から急速に進む軍備費の増大、③国内での発症が確認されてから1年以上が経過してもつづくコロナ禍、特にその中で拡大する雇用や生活に対する不安が増大している私たちの生活の実態、④迷走する国会論戦に象徴される主権者を(国民)をないがしろにする菅政権の政治姿勢に対し警鐘を鳴らし続けることが必要だ、などです。

そして最も強調して訴えたのは「今こそ,憲法と民主主義・いのちと暮らしを守る政治を求めていこう」ということです。

4月からは、本来の「19日」17時30分から街頭行動を行うことにしています。

 

府中地区

今月も、定例の19日に、上下Aコープ前と府中天満屋前の2カ所で街頭からのリレートークを実施しました。

上下Aコープ前は、午後3時30分から30分、水田豊市議を中心に、そしていつものように最後は市民グループの石岡真由美さんのトークで終了しました。参加者は8人でした。

2カ所目は、場所を府中天満屋前に移動し午後5時から30分間、土井基司市議などがマイクを握り、最後はここでも石岡真由美さんのトークで終了しました。参加者は、上下よりも少し多くなり12人でした。

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府中でも三原と同様に訴えたことは、①原発問題、10年経っても何も解決していない福島原発事故、特に前日に判決のあった四国の伊方原発問題を取り上げ「核と人類は共存できない」ことを強調 ②対応が不十分な菅首相のコロナ対策 ③総務省の接待問題は、菅首相が起こした問題、その真相解明が必要だ、などです。特にリレートーク者が強調して訴えたのは、これまでも府中では毎回必ず訴え続けてきた広島県の恥ともいえる「河井案里・克行が起こした贈収賄事」問題です。そして4月8日告示、4月25日投票で参議院再選挙が実施されますので、「二度と起こさせないため」「金権政治打破のため」に、この選挙で「自民党に鉄槌を下だそう」と強く訴えたのが特徴です。

「安保法制に反対する取り組み」は5年経過しました。私たちの行動に対し、反対の声があってもよいように思いますが、この間具体的な反対の声は、最初の頃1回あっただけです。それどころか毎回多くの皆さんが車の中から手を振って共感の意を示してくださいます。これはやはり憲法9条の戦争放棄ということが国民に支持されているからだと思います。憲法9条の戦争放棄こそ日本の誇りです。

ですから、今後も粘り強く「戦争法と言われている安保法制がなくなるまで頑張ります。みなさんのご支援をお願いします」と訴えつづけたいと思います。

いのちとうとし

<編集後記>送っていただいた原稿をもとに編集しましたので、文責は編集者のいのちとうとしにあります。

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2021年3月21日 (日)

自然災害の歴史から学ぶ ――基本的事実から始めましょう――

自然災害の歴史から学ぶ

――基本的事実から始めましょう――

 

来月、台湾で開かれる「2021 Asia-Pacific Disaster Management Summit」、つまり、アジア太平洋地域の防災会議に参加するため、勉強を続けています。その中で、私自身の知識がまだまだ足りないことに気付きました。これまでかなり勉強してきた積りですし様々な形で防災には関わってきましたので、「こんなことも知らなかった」という事実に吃驚しています。同時に、私の勉強の中身を多くの皆さんと共有することも大切なのではないかと考えることにもなりました。長いシリーズになるかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。

今回は、その決意表明といくつかの基本的事実をお浚いしておきたいと思います。

まず、明治以降に起きた地震で、死者数からどのくらいの被害があったのかを表にすると、次のようになります。年代順に整理しましたが、死者・行方不明者数からも、被害の大きさが分ります。

 

 

被害順

発生日時

名称

 

マグニチュード

死者・行方不明者数

1891-10-28

濃尾地震 

8.0

7,273

1896-06-15

明治三陸地震津波

8.5

21,959

1923-09-01

関東大震災 

7.9

105,385

1927-03-07

北丹後地震

7.3

2,925

1933-03-03

三陸沖地震

8.1

3,008

1943-09-10

鳥取地震 

7.2

1,083

1944-12-07

東南海地震 

7.9

1,223

1945-01-13

三河地震

6.8

2,306

1946-12-21

南海地震

8.0

1,432

1948-06-28

福井地震 

7.1

3,728

1995-01-17

阪神淡路大地震 

7.3

6,437

2011-03-11

東日本大地震

9.0

18,430

 

ここで、改めて分るのは、関東大震災での死者・行方不明者数が桁違いに大きいという点です。10万人を超えているのですから、東日本大震災と比べると、正に桁が違うのです。

 しかも、その内の9割が、火災によって亡くなっているのです。地震の起きた時刻が1158分と丁度お昼の支度をしている時間帯で、しかも、当時の煮炊きは薪や炭、ガスが中心だったので、倒壊した建物に火が付いたのですが、その日の関東地方には強い風が吹いていたことも相俟って、短時間で火の手が広がったと考えられています。

 私たち世代が子どもの頃、親からも学校でもその他の場所でも、徹底して教えられたのは、「地震があったら、火を消しなさい」ということだったのですが、それは、関東大震災の教訓が生きていたからなのだということも、今回、一覧表を見て納得できたことの一つでした。

 この表を見てもう一つ気付いたのは、1940年代に被害の大きい地震が多発していることです。偶然のなせる業なのか、人為的な要素があるのか、その辺についてこれから調べる積りです。

 もう一つの問題点として、1989年にサンフランシスコで起きた地震があります。高速道路が崩壊したりといった大きな被害が出たのですが、今もはっきり覚えているのは、建設省の関係者そして専門家と称する人たちがテレビで得意顔をして、「日本の技術は優れているから、日本でこの規模の地震が起きても、同じような被害は起きない」と宣言している姿です。これは、6年後の阪神淡路大震災で、嘘であることが証明されてしまっているのですが、サンフランシスコ地震についての言明について、建設省や専門家たちがどのような反省をしたのかが未だに分りません。この点についても検証したいと考えています。

 最悪の場合、このような立場の人たちが誤った「自信」と「傲慢さ」を持ち続けているとすると、現時点でこうした人々の発するメッセージに対する信頼度が無くなるからです。

 簡単な年表を見ただけでも、次から次へと疑問が湧いてきたのですが、「出来る範囲でしか」と言う他はないのですが、出来るだけ事実を掘り起こして、次のステップにつなげて行きたいと思っています。

 [2021/3/21 イライザ]

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2021年3月20日 (土)

ベトナムの歴史(その1)ベトナムってどんな国?

「ヒロシマとベトナム」、201964日に初めて寄稿して以来、37日で26回を数えました。月初め(5日)の「ヒロシマとベトナム」に加え、20日にベトナムの歴史を紹介しながら日本との関わりを紹介する「ベトナムの歴史」を寄稿させていただくことになりました。

1回目は「ベトナムってどんな国?」と題し、簡単にベトナムを紹介します。

国名:ベトナム社会主義共和国。日本の西南西~南西の範囲に位置し、東京から首都ハノイまで3,660km、広島から3,012kmの距離にあるS字型(「天秤棒に似ている」)の細長い国です。中国、ラオス、カンボジアと国境を接し、南北1,650km、東西幅600kmで最も狭い部分は僅か50kmもありません。

面積:32万9,241km2(日本の面積の87.6%)に、約86%を占めるキン族(ベト族)のほか、53の少数民族が暮らす多民族国家です。

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人口:2020年のベトナム統計総局資料によると9,762万人、平均年齢は31歳と若く、2026年には1億人を突破すると言われています。

宗教:大乗仏教(12.2)、カトリッ(6.8%)、カオダイ教(4.8)、プロテスタント(1.5)、ホアハオ教(1.4%)、残りの73.2%は無宗教(伝統宗教43%、無宗教30%)と言われています。(2014年・ベトナム政府調査)

※伝統宗教:自分たちの先祖や土地神、地域の英雄などに祈りや感謝を捧げる信仰。

通貨:ドンで、日本の1円が≒0.0047円に相当します。初めてベトナムを訪れた人で、誰もが驚くのが「バイクの洪水」と買い物などをするときの支払いです。「856万ドン」と言われて、“びっくり!”! でも、日本円で≒4232円です。

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経済:20年余り7%前後の経済成長を続け、2019年は+7.02%の成長、GDP額は6,037兆3,000億ドン(2,603億米ドル、約28兆円)です。「コロナ禍」の2020年は前年の7.02%から大きく下がったものの、先進国が軒並みマイナスに陥った中でも+2.91%を記録し、国際通貨基金(IMF)は2021年の経済成長率を+6.5%と予測しています。

2019年のベトナム国民一人当たりのGDPは2,715米㌦(1㌦:108.66円≒29万5,012円)です。ちなみに同じ年の日本の国民一人当たりのGDPは4万791ドル(同≒443万2,350円)です。

 (注)1986年以降、価格の自由化、国際分業型産業構造、生産性の向上を主な柱とするドイモイ施策(刷新)が進められ、

政体:社会主義共和国でベトナム共産党が唯一の合法政党です。1月末に開かれた第13回共産党大会でグエン・フー・チョン(Nguyễn Phú Trọng) 書記長が3選されました。

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国家元首兼書記長 グエン・フー・チョン

国家元首、首相、国会議長をはじめ他の要職は5月に開会が予定されている次期国会で決定されます。

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フック首相

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ガン議長

日本に住むベトナム人は2020年6月時点で42万415人、ベトナムに住む日本人は2019年10月時点で2万3,148人です。10年前ベトナムを訪れた日本人は35万9千人余りでしたが、2019年には95万2千人余へと2.7倍に増えています。同じ2019年に日本を訪れたベトナム人は前年比27.3%増の49万5千人でした。

身近になりつつある「アジアで最も緊密な国」をご紹介する旅、次回は「Viet Nam(越南)」というベトナムの国名の由来とベトナム語表記法の歴史について紹介したいと思います。

(2021年3月20日、あかたつ)

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2021年3月19日 (金)

はるがきた

外出を控える中、ネットで地図を辿ってみる。

旅行で行ったところ。散歩道。通学路。空き地。

記憶の中の道や景色。

すっかり様子が変わっていたり、

思いっきりショートカットして覚えていたりと、なかなか面白い。

 

大きな水たまりがあれば魚が釣れると思っていた頃、見つけた不思議な場所は、

地図の中にまだあった。

上空から見て、納得。

そこは海からつながる細い水の通り道。

道路と線路の下をくぐり抜け、陸の中に小さな海が広がる。

記憶の中、木造の船が一艘。

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長引いた自粛生活。

普段の生活、時間の過ごし方が変わった。

収入は減。消費の抑制。景気下押し効果の強まり。失業率の高まり。切り捨てられる仕事。学生の貧困による休学や退学の増加。新規採用は見送ると言う企業。

 

伸びるためには縮む、と言う。

しんどいとき、普段はあまり聞かないストレートな熱い思いをのせた歌を聞く。

そんなの無理だわ、とつぶやきながらも、

自分をなんとか奮い立たせる。

Spring has come!

踏ん張れ。

 

              (はたや)

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2021年3月18日 (木)

「明日の神話」1号原画

昨日紹介しましたが、広島現代美術館コレクション・サテライト展示「どこかで?ゲンビ NHK de ミジカにアート」の最初の展示されている作品は、岡本太郎の「明日の神話 1号原画」です。

原爆をモチーフにした巨大壁画「明日の神話」の展示場所として、広島市も誘致を希望したのですが、展示方法、保存方法などが検討され、最終的に東京渋谷の渋谷マークシティ内の京王井之頭線の渋谷駅とJR渋谷駅を結ぶ連絡通路が選ばれ、2008年10月から常設展示され、多くの人が目にすることが出来ます。

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「明日の神話」は、大阪万博のシンボルタワー「太陽の塔」と共に、岡本太郎の代表作と言われていますが、1968年から69年にかけてメキシコで制作されたものです。その巨大壁画「明日の神話」には、何枚か下絵が描かれていますが、今回展示されている「明日の神話 1号原画」は、そのうちの一枚です。「1号原画」とあるのですから、「その最初に描かれたもの」と言えばよいのですが、簡単にそう云えないのです。

「明日の神話 1号原画」に付されたキャプションには「壁画のための原画。5枚書かれているうちの最初のものです。」と書かれています。「5枚」という数字が気になったものですから、会場にいた学芸員に訊ねてみました。「渋谷に展示された当時は、4枚の下絵が見つかっていました。その4枚の下絵は、小さなサイズから徐々に拡大していき、最終的には壁画の3分の1サイズの下絵が制作されていることがわかっています。この絵が一番小さいので最初のものと確認できたのです。」と説明を受けました。

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ちなみのこの絵のサイズは「48×195cm」です。後で調べて分かったのですが、「4号原画」と言われる最後の下絵のサイズは「177×1085cm」です。この「4号原画」は、一度メキシコに渡ったようですが、日本で開催される美術展に出品することになり帰国したため、実際にメキシコでの「明日の神話」制作の下絵となったのは「3号原画」(132×728cm)だったようです。4枚もの下絵を画いたことからも岡本太郎がこの作品に込めた思いの強さが想像できます。なお現在渋谷で展示されている巨大壁画のサイズは「5.5×30m」です。この絵のサイズの単位は、メートルです。

学芸員の話には続きがありました。「当時分かっていた下絵は4枚だったのですが、その後岡本太郎のアトリエからもう一枚見つかりました。この絵は、キャンバスが白く塗りこめられていましたので、それまで気付かなかったのですが、赤外線をあてて調べたところ、その下に『明日の神話』の下絵が描かれていることがわかったのです。この絵には、『明日の神話 0号原画』のタイトルが付けられ、『2号原画』とともに富山県立近代美術館が所蔵しています。」

長く行方が分からなかった「明日の神話」がメキシコで発見され、再生され渋谷に展示されるまでの経過を詳しく紹介した「明日の神話 岡本太郎の魂」(「明日の神話」再生プロジェクト編著・2006年刊)には、4枚の下絵がすべて原色で掲載されています。それを見ると、4枚の下絵には、構図やモチーフに大きな変更が見られませんので、「1号原画」を見ることで、大壁画を想像することが出来ます。

ところで、この「明日の神話 岡本太郎の魂」では、「1号原画」(本では「下絵NO.1」となっている)は「岡本太郎記念館蔵」(岡本太郎の青山のアトリエ)となっています。その「1号原画」が現在広島現代美術館にあるのは「渋谷に大壁画の展示が決まった後、岡本太郎記念館の好意で、広島市現代美術館が寄託していただいたからです」ということでした。

ちなみに、他の2枚の原画は、「3号」は名古屋市美術館、「4号」は川崎市岡本美術館(川崎市は岡本太郎の生誕地)が所蔵しています。

昨日も書きましたが、収蔵作品はいつも展示されているわけではありませんので、この機会にぜひ「明日の神話 1号原画」を見てほしいと思います。

いのちとうとし

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2021年3月17日 (水)

「どこかで?ゲンビ」‐広島現代美術館コレクション・サテライト展示

比治山にある広島現代美術館は、改修工事のため昨年12月28日から休館となっています。その間、現代美術館がコレクションする作品と市民が出会う機会を作ろうと、広島市内・県内のいろいろな場所で「まちのどこかで、ゲンビとであう」というプログラムが予定されています。

2月20日からは、旧日銀広島支店で「スペシャル公募」展が開催されましたが、今第2弾の「まちのどこかで、あなたとゲンビが、ふとであう。」広島市内編が、3月8日から開催されています。会場は、「広島市役所」と「NHK広島センタービル」の2カ所です。

「市役所編」には、8作品が出品され、1階西口市民ロビー、1階東口受付台、2階、3階、4階のEVホール、2階講堂横に展示されています。階段を使って移動しながら、各階の作品を見て回りました。特に4階のEVホールに展示された作品が印象に残りました。平和記念公園南側平和大通り緑地帯に設置されている「教師と子どもの碑」の原型です。原型ですので、大きさは、高さ35センチほどです。芥川永(ひさし・当時比治山女子短大教授)の代表作と言われています。作品そのものは、撮影禁止ですので、EVホールで展示されていることがわかるように撮影しました。奥に小さく映っているのが、「教師と子どもの碑の原型」です。

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1階東口受付台では、加藤立の映像作品「I am a museum」が上映されていました。この作品は、自分が描いた油絵を背負い、街中に出て作品を見てもらう様子を撮影したものです。タイトルには詩が付けられています。

「私は一枚の絵画を背負い、美術館の外に出る。/美術館の外は美術の外、というわけではない。/私の絵は作者ではなく、美術家でもない。/私は美術家ではなく、美術館だ。/美術館の外に出た時、私は美術館となる。/私という美術館は作品とともに新たな観客を求めて街をさまよう。/公園の散歩道で新たな観客は作品と出会う。(以下略)」

この映像作品は、平日の夜間(17時半から20時半まで)に市役所西口の外壁に投影されていますので、その時間に見に行ってきました。

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市役所から「NHK de ミヂカにアート」の会場、NHK広島放送センタービルに移動しました。

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この会場は、1階の1フロアーに11作品が展示されています。その中には、広島出身の三宅一生、殿敷侃などの作品も展示されていますが、岡本太郎の代表作が複数展示されているのが特徴です。私がこの展覧会を見に行こうと思うきっかけも、岡本太郎の「明日の神話 1号原画」が展示されていることを知ったからです。その作品は、会場入口を入るとすぐの場所に展示されています。学芸員の方からいろいろな話を聞いたのですが、「明日の神話」にまつわる話は、改めて明日紹介したいと思います。

岡本太郎の作品は、この他に2点展示されています。「明日の神話 1号原画」のすぐ隣に、1963年に製作された「座ることを拒否する椅子」が展示されています。陶でつくられた何とも座り難そうな椅子が5脚並んでいます。

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ロープで囲われた展示場は、二つに区分されていて、二つ目のゾーンの中心作品は、岡本太郎のブロンズ作品「若い夢」です。

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「若い夢」は大きなブロンズですので「まちなかで会えるのは今回だけ!」(広島現代美術館のホームページより)だそうですから、一度足を運ぶ価値はあると思います。収蔵品のほとんどは、通常展示されていませんので、その意味でも今回は良い機会だと思います。作品を見終えると、最後に関連企画のNHK広島放送局・NHK放送技術研究所が製作した「バーチャル・明日の神話」の体験コーナーがあります。東京・渋谷駅に掲げられた全長30メートルの巨大壁画を間近で体験できる」コーナーになっています。

多くの展示会で、作品撮影は許可されませんが、今回は岡本太郎記念現代芸術振興財団から「撮影許可」が下りたということで、岡本太郎の作品のみ撮影が許可されていましたので、このブログでも紹介することが出来ました。

会期は、広島市役所は19日まで、NHKは21日までとなっています。

いのちとうとし

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2021年3月16日 (火)

広島市の平和推進条例案は、憲法や被爆者援護を無視 ――元々の根っこは「受忍論」にあり――

広島市の平和推進条例案は、憲法や被爆者援護を無視

――元々の根っこは「受忍論」にあり――

広島市議会が検討している「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」について、216日、217日、221日そして311日に取り上げました。今回もその続きですが、まず、条例の素案を読めるサイトを紹介しておきます。ここです

 前回取り上げたのは、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」と同趣旨の条例を制定している国内他都市の場合、今回は苫小牧市、藤沢市、宝塚市の三市に限りましたが、その内容が広島市とはどのように違うのかを俎上に載せました。

 これらの都市では、憲法や非核三原則への言及があるだけでなく、苫小牧と藤沢では、それが条例の中心的な位置を占めています。前回はその点を指摘しました。

今回は、それだけではなく、広島市の場合、何故「わざわざ」、つまり意図的に憲法や非核三原則を外したのかについて考えなくてはなりません。

 市でも市議会でも、公的な文書を作成する際には複数のお役人が関わります。「官僚」と言っても良いのですが、その官僚が徹底的に訓練を受けているのが、「前例」と「横並び」についてのチェックです。

 ある問題についての文書を作る際に、まず、これまでどのような文書が作られてきたのかについて歴史的なチェックを行って、出来る限り「前例」を踏襲するという方針を守ろうとするのです。そして、国の方針はどうなのか、そして他都市ではどのような文書を作っているのかについてもチェックを行い、国や他都市の実例に沿った方向で、つまりできるだけ「横並び」になるような文書を作ろうとします。

 平和推進について、全国の都市をざっと眺めただけでも憲法や非核三原則を盛り込んで条例を作っているところが多いのですから、「前例」を踏襲し「横並び」を尊重する「無難」な案を作ろうと考えれば、広島市でも憲法や非核三原則を盛り込んだものになっても、誰からも文句を言われる筋合いはありません。(と書いてしまって気付いたのですが、実は、「誰からも」という点でどこかから文句を言われるかもしれないという「忖度」が働いたのか、あるいはもっと直接的に「圧力」が掛かったのかという点も、論理的には問題にしないといけませんね。)

 しかし、こと平和に関しては、広島市の持つ歴史的・世界的な責任は大きいのですから、他都市にはないような「踏み込んだ」条例にしたいと考えるお役人や市議会議員がいても良いどころか、私たちにはそう期待したい気持があるのではないでしょうか。となると、ちょうど今年の一月に発効した核兵器禁止条約について言及したり強調したりしても、何の不思議もありません。

 官僚としての仕事の流れからすれば、選んで当然だというよりは、選ばないとおかしいと思われる選択をしなかったのですから、それは、「意図的に」外したとしか考えられないのです。その「意図」は何なのかを考えたいのですが、そのためにも、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」の中で触れられていない、もう一つのテーマが大切です。それは、被爆者援護です。

 条例の素案では、前文で被爆者が味わってきた苦しみや悲しみ、そして痛みに触れています。「生き残った人々も,急性障害だけでなく,様々な形の後障害に苦しめられている。さらに,被爆者に対する結婚・就職等での差別により,後に,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の適用を受けることが困難になるなどの被害もある。また,放射性物質を含んだ黒い雨による被害の議論は,いまだに続いている」

 であれば、現在も続いている被爆者の苦痛に対して、国としてまた広島市として何をなすべきかという方向性をきちんと示すべきなのではないでしょうか。被爆者や被爆二世、三世に対しての国の責任放棄について、市民、特に被爆者の代弁者として国に注文を付けるのも、市としての立派な仕事です。それが何故、この条例案には書き込まれていないのでしょうか。

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 答は、「受忍論」にあります。これが、今回の条例案の背後に隠れていると仮定すると、この条例案についてこれまで掲げてきた疑問が全て説明できるのです。

 例えば、条例案の5条と6条で、平和に関しても、国家という権力が憲法や平和を踏み躙る可能性、特に戦争を始める可能性には口を閉ざしていること、市民に対しては「権威に対して従順でなくてはならない」(とまで言っていませんが、そうとしか解釈できません)という価値観を振りかざしている点、そして被爆者援護についての責任には頬っ被りするという姿勢の説明が付くのです。

 「受忍論」とは、国の諮問に対して1980年に、「原爆被爆者対策基本問題懇談会」という有識者による意見書として発表された考え方の本質を表す言葉です。その後の国の被爆者施策は、この答申に沿って行われているという事実が大切です。この懇談会の委員は全員故人ですが、茅誠司・東京大名誉教授(座長)、大河内一男・東京大名誉教授、緒方彰・NHK解説委員室顧問、久保田きぬ子・東北学院大教授、田中二郎・元最高裁判事、西村熊雄・元フランス大使、御園生圭輔・原子力安全委員会委員の7人です。当時の我が国のエスタブリッシュメントそのものです。

 結論は、「基本理念」という形で次のようにまとめられています。

  Photo_20210315202101

これを、もう少し分り易く絵解きすると、日本国政府の持っている「戦争観」とは「受忍論」だということになります。その内容は次のとおりです。

  • 戦争は国が始める
  • でも、戦争による犠牲は、国民が等しく受忍しなくてはならない
    • ただし放射能による被害は特別だからそれなりの配慮は必要
    • しかし、一般戦災者とのバランスが大切
  • 国には不法行為の責任や賠償責任はない

 国の主張の歪みを理解するためには、「受忍論」を少し変えて、「国民主権受忍論」とでも名付けたいものに言い直すことが役立ちます。それは、「戦争は、主権者である国民の意思によって始められるものであるから、その結果生じる犠牲については、原因を作った主権者である国民が等しく受忍すべきである」という内容です。これなら、原因と結果というつながりから、それなりの理解は得られると思われます。

 しかし、これは太平洋戦争 (第二次世界大戦、15年戦争等の別称もあります) には当てはまりません。主権者は国民ではなく、国民が戦争を始める力は持っていなかったからです。にもかかわらず、その結果として生じた、生命も含む犠牲については、国民が「等しく受忍」しなくてはならないというのが、国の立場なのです。これは、戦争という、国民にとって(そして国家にとっても)、最大限の犠牲が生じる出来事について、国が「支配し」国民が「支配される」という関係を描いています。戦争を起こした責任、そして生命や財産、その他の犠牲を国民に強いることになった反省も後悔も、もちろん賠償の意思も全く考慮されていないのです。

 だからこそ、犠牲者に対する国の姿勢は、国の「恩恵」をどう分配するのかという経済的配慮が中心になってしまうのでしょう。

 先ほど「疑問」として指摘したことの内、国が憲法や平和に対するコミットメントを蔑ろにする可能性に広島の条例案が口を閉ざしているのは、「受忍論」では国が戦争を始める権利を認めているのですから、その延長線上にあると考えると、それなりに筋は通っていることになります。

 「市民が権威に従順であれ」は、そもそも「受忍論」が成り立つ上での大前提でしょう。また、被爆者の援護に言及がないのは、国の戦争開始の責任も不法行為への賠償責任も認めていないことからの帰結です。

 ここまで深読みする必要はないのかもしれません。でもこれも、あまりにもお粗末な「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」案が何故出て来たのかを理解しようとする努力の一環です。さらに、「一般戦災」との関連、また福島での被害や犠牲との関連も重要です。こうした点も含めて、条例案の内容が改善されるか、撤回されて最初からやり直すかという結果になれば、もっと建設的なアイデアをいくつも提案したいと考えています。

 [2021/3/16 イライザ]

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2021年3月15日 (月)

3月のブルーベリー農園その2(東広島市豊栄町)

9日からの農作業は風も吹いて体感温度が少し寒くて冬の服装で行った。それでも日差しは明るいのでブルーベリーの花芽は膨らみ葉の出る準備がなされ、新しい根の出る準備が進んでいるはず。農園のある場所ではクリスマスローズの花はまだ咲かずようやく蕾が顔を出したところ。

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3月9日(火)は3段あるブルーベリー畑の一番上の剪定があと5本となったので農園にいき剪定作業を行う。

①.畑にタンポポが顔を出す。

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②.一番上の段のブルーベリー畑は道路沿いにある。この日の剪定でこの畑の約180本がすんだ。剪定もあと数本で一区切りとなるとどうしても早く終わらせたくなる。

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3月13日(土)。薄曇りの一日で寒く作業も冬の服装で行う。

①.真ん中のブルーベリー畑剪定を始める。

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②.剪定作業に鋸は必需品。新しくミカン用(一番下)、梨用(下から2番目。アサリがミカン用より細かい)をネット通販で買って早速使う。先が細くなっていてサクサクとよく切れる。一番上の鋸は竹用、その下が型枠用でこれまで剪定に使っていたもの。ちょっと分厚い。

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3月14日(日)。時々小雨の一日。

①.ブルーベリーの枝を野焼きする場所の下によく燃えるように耐火煉瓦を敷いた。

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②.早速火をつける。

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③.花壇のスイセンの蕾がもうすぐはじけそう。

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④.ブルーベリーの花芽。

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⑤.剪定した切り口に癒合材を塗っておく。今年の剪定は枝の出た所から切るので楕円形の切り口になる。

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⑥.庭のツバキ。侘助タイプ、抱え咲きでこれからどんどん花開く。

 

2021年3月15日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2021年3月14日 (日)

「被爆者の森」の植栽と樹名板の取付け

平和大通りの東側(鶴見橋西詰から田中町交差点の間)にある「被爆者の森」で、3本に樹木が新たに植栽されました。

今回の植栽は、昨年11月に「被爆者の森」の樹木に1本が枯れていることを見つけたこと(昨年11月9日のこのブログ「『平和大通り樹木探索の集い・秋編』に参加しました。」(kokoro2016.cocolog-nifty.com/shinkokoro/2020/11/post-dcfdc5.html)で紹介)がきっかけとなり、広島県被団協、広島市原爆被害者の会のみなさんが広島市に要望し実現したものです。

今回は、私が見つけた北海道のライラック(エゾマツの代木)の他に石川県のアスナロ、高知県のシラカシ(ヤナセスギの代木)の3本が新たに植栽されました。

10日午前9時、広島市の委託を受けた造園業者による作業が開始されました。最初は、石川県のアスナロです。もと植わっていた附近が掘り起こされ、新たな肥料や土壌活性剤などによって土壌を改良した後に植樹が行われました。5~6年ものの成木で、高さは約1.7メートルです。穴に土を入れながら水がたっぷりとかけられます。最後に整地をし、支柱を建てて植栽が終了しました。簡単に終わるのかと思っていましたが、丁寧な作業ですので、1時間近く時間がかかりました。

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次は、北海道のライラックです。道木のエゾマツは、温暖な広島の気候では育たないということで、代木としてライラックが選ばれましたが、しかし、ライラックも広島の気候に合わないのか、3回ぐらい枯れたようです。広島市の担当者の話では、「今回植える木は、広島の気候に合うようにと温かい土地で生育したライラックを植えることにしています」ということでしたので、造園業者の「どこで育った木ですか」と訊ねてみました。「うちの会社は、九州から気を取り寄せていますので、この木もそこからだと思います」との返事でした。はっきりした場所は確認できませんでしたが、一応温暖な地域で育てられた木のようです。

ライラックも同じような手順で、作業が進みました。この木は、2~3年の成木で樹高は約1メートルとかなり小さめです。

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周りの木と同じぐらいに育つまでには、相当の時間がかかりそうですが、何とか広島の気候に慣れて、今度は枯れずに育ってほしいと思います。

3本目は、高知県のシラカシです。高知県の県木ヤナセスギは花粉症の原因になるということで、この木が選ばれたそうです。

シラカシは、枯れた木の大きな切り株が残っていましたので、ショベルカーを使って株を掘り起こすことから作業が始まりました。

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株を撤去した後の作業はこれまでと同じです。この木の樹高は、3.5メートルありますので、2脚鳥居型の支柱にもう1本が加わり、しっかりと固定されました。

20210310_114732

3本の植栽が終了した時には、ちょうど正午を迎えていました。

新たに植え替えられた3本の樹木が、今度はしっかりとこの場所になじみ、大きく成長することを願っています。

ところで、この時期に植栽するのは、間もなく休眠期を終え、活性期を迎える樹木にとってちょうどよい時期にあたるからだということでした。

今回は、3本の植栽に合わせて、15枚の「樹名板」の取付けが行われました。被爆者の森の樹木には、それぞれ樹名や被爆者団体名を記載した「樹名板」がついています。

長い間に、文字が薄くなり読みにくくなったり、無くなったりした樹名板がいくつかあります。この樹名板についても、復旧・補修の要望が出されていました。

樹名板の取付け作業は、12日の午後1時過ぎから雨が降る中、業者によって行われ、1時間ほどで終了しました。私の出身県島根県の樹名板も、文字が薄くなっており、取り換えられました。

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被爆者団体が要望した課題は、「被爆者の森」の整備は、今回の一連の作業で一応終了しました。今後も広島市と被爆者団体が連携して整備され、市民の憩いの場として、又平和学習の場として活用されることが期待されます。

せっかくの植栽でしたが、残念なことに広島市は、この作業についてマスコミに伝達しませんでした。中国新聞が記事にしたのは、たまたま私からの情報によってです。全国の被爆者団体の思いがこもった「被爆者の森」ですが、残念ながらこの存在を知っている人は、多くありません。様々な機会を使って広く周知することが必要だと思っています。その意味で、今回は絶好の機会でした。「平和を強調し、「『平和大通りのにぎわいづくり』という広島市なのに、なぜ?」という疑問が残ります。

いのちとうとし

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2021年3月13日 (土)

「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」開催-その2

昨日の「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」の報告のつづきです。福島からのメッセージの紹介に続いて、福島から広島に避難している渡部美和さん(福島原発ひろしま訴訟団団長)です。

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「10年前、一生懸命語りました。この10年しがらみなどの連続で、発信も難しくなりました。福島の自宅で原発事故を体験し、広島に来て10年。子どもも育ち、よくケンカするようにもなりましたが、支えてくださった皆さんに感謝しています。祖母は広島の入市被爆者。核のことを知っているつもりでしたが、無知なことを知らされました。原爆は過去のことではなく現実のことです。黒い雨訴訟は、避難地域に指定されなかった私たちと重なります。この地で裁判を続けることが出来たのは奇跡です。多くの人たちの支援、努力があったからです。亡くなった人たちのためにもがんばりが必要と思っています。この10年刊は、一日一日が大変で、泣いたり笑ったりの日日でした。東電や国は事故は防げなかったと主張し、原発の再稼働を進めていますが、避難者も残った人も原発はだれも望んでいません。失ったものも多くありますが与えていただいたこともたくさんあります。」と声を詰まらせながらの訴えは、参加者の共感を呼びました。

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そして、集会の最後に下の「3・11ヒロシマからのアピール」が提案され、参加者全員の大きな拍手で確認されました。そして全員が「フクシマを忘れない」や「さようなら原発」と書かれたプラカードを掲げてアピールを行い、集会は終了しました。例年は、この後デモ行進で市民へのアピールを行ってきましたが、今年は中止しここで今年の行動を終了しました。

集会の参加者は、250名でした。なお、毎年行っている中国電力への申し入れは、日を改めて3月19日に行うことになっています。


3・11ヒロシマからのアピール

「この10年間、言葉にならない悲しみや苦しみ、身内の死亡を経験もした。国や東電がやるべき安全対策をしなかったために事故が起きた。なぜ責任を認めないのか、全く理解できない。」

 福島県いわき市から群馬県前橋市に避難した住民は、国の責任を認めなかった東京高裁の判決に、声を震わせてこう訴えた。

 2011年3月11日、東日本大震災が発生、東電福島第一原発はチェルノブイリと同じレベル7という事故を起こし、福島県は壊滅的被害を受けた。それから早くも10年を迎えた。

 政府が発した原子力緊急事態宣言は未だに解除できていない。今年1月末に福島県が発表した福島県内外への避難者は3万6千人とされているが、実際はその倍の7万人にのぼると推測されている。福島原発の廃炉作業は停滞したままだ。格納容器の上蓋は4京ベクレルという途方もない放射能に汚染されていることが原子力規制委員会から報告された。さらに増え続ける他の核種を含むトリチウムの汚染水など、人類が制御できない放射能ゆえに原発事故の怖さを見せつけている。

日本政府は「ALPS処理汚染水」の環境放出や、除染土を全国の公共工事などに再利用することを目論んでおり、新たな被曝が強いられようとしている。

 問題は廃炉のロードマップだけではない。特に子どもたちの甲状腺ガンの増加についても福島県は原発事故との因果関係を認めようとしていない。降り注いだ放射性セシウムは今も森林に残留し生活圏への流入が危ぶまれている。老朽原発のさらなる運転延長、行き場のない「核のゴミ」処分の問題。政府、そして原発推進を目論む機関はこの事故から何を学んでいるのだろうか。東京電力元経営陣の刑事責任を問う裁判において、安全対策を怠った経緯が明らかとなったが、東京地裁は三人の被告人を無罪とした。これから東京高裁で審理が行われる予定である。福島からの避難者が集団で国と東電を訴える損害賠償事件は30を超える。広島地裁は黒い雨裁判の判決において、内部被曝による健康被害の可能性を認めた。この判決が福島原発事故による広範な放射能被曝被害を解決する指針になることを願わずにはいられない。

 世界は再生可能エネルギーにシフトしている。日本は菅政権がやっと「2050年までに、脱炭素の実現をめざす」と宣言した。しかし、検討されている「エネルギー基本計画」は原発の再稼働や新増設も視野にあるという。わたしたちは、再び福島原発事故のような惨事を起こさないために原発ゼロをめざさなければならない。そのためにも、コロナ禍での緊急事態宣言と原子力緊急事態宣言という2重の困難を抱えているフクシマを、わたしたちは決して忘れない。

2021年3月11日

「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」 参加者一同


いのちとうとし

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2021年3月12日 (金)

「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」開催-その1

東京電力福島原発事故から10年目を迎えた昨日、午後6時から30分間原爆ドーム前で「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」が開催されました。この集会は、事故が起こった翌年の3月11日に、同じ核被害を受けた広島が、福島の被害者への連帯の思いを表し、被害者の救済とすべての原発の廃炉を求める行動として始まり、それ以降毎年3月11日を中心に実施されてきました。

今年もコロナ過ではありますが、「フクシマを忘れない」広島の思いと脱原発社会実現に向けての決意を表すため、短時間での集会を実施することになりました。

2012年以来、この集会は、幅広く、出来るだけ多くの人に参加してほしいとの思いから呼びかけ人方式で実施されてきました。今年も昨年に続き秋葉忠利さん(前広島市長)、岡田和樹さん(有機農家)、坪井直さん(被爆者)、森瀧春子さん(市民運動家)、山田延廣さん(弁護士)の5人の呼びかけで開催されました。

集会は、福島原発事故で広島に避難している人たちを支援する大月純子さんの司会で始まり、まず東日本大震災で犠牲となられて人たちへの黙祷をささげました。続いて呼びかけ人を代表して山田延廣さんがあいさつ。山田さんは「原発事故から10年。今や事故はなかったようにされている。イライラする思いがする。現実は、帰還できない避難者、取り出す方法すら決まらないデブリ。これにどう立ち向かうのか。集会を始めた原点に返ること。『核と人類は共存できない』核兵器被害の広島、原発被害のフクシマが連帯し、核のない社会を目指すしかない。あきらめず闘っていこう」と訴えました。

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今年はコロナ過で毎年続けてきた福島からの参加が出来ませんでしたので、福島の原発事故被害者団体連絡会事務局の大河原さきさんから、次のようなメッセージが届きました。全文を紹介することはできませんが、マスメディアでは伝えられない、福島の現状が訴えられていますので、その一部を紹介します。

「原発事故の影響はこのような原発サイト内ばかりではなく、生活のあらゆるところに及んでいます。国の『復興加速化方針』に逆行する、避難、放射能汚染、被曝は、NGワードとして人々の目や耳から遠ざけられています。絶対安全だと言われていた原発が事故を起こした後は、『放射能被爆安全神話』が巧妙に流布されています。

それは、政府が帰還困難区域を除染しないで解除することや、環境省が除染した汚染土そのものに食用野菜を栽培して放射能は移行しないとする実証実験や、文部科学省の『放射線副読本2018年度改定版』から『汚染』『子どもの被爆感受性』などのことばが削除されるなどに表され、地元メディアもNGワード関連の記事はごく少数です。

福島県は20173月の避難指示区域外避難者(いわゆる自主避難者)の住宅無償提供を打ち切ったのを手始めに、避難指示区域の避難者の住宅提供も打ち切り、経済的な困窮や病気などの事情で転居したくてもできない国家公務員宿舎に入居している避難世帯に対し20194月から2倍の家賃を請求し、そればかりか2020年には裁判に訴えて追出しにかかっています。

福島県が今年1月末に発表した県内外への避難者数は36千人ですが、実際はその倍の7万人に上ると推測されます。国も福島県も、放射能汚染が続く福島を証明する存在である避難者を切り捨てようとしていますが、避難者の権利は、原発事故の加害者である国が守るべきです。」

福島の今に続く被害を過少に評価し、被害者の切り捨てが、進んでいることがわかります。これを読んでいただければ、集会のタイトルが「フクシマを忘れない」となっていることの意味が、理解できると思います。

さらにメッセージは、広島との連帯も訴えられています。「10年経った今でも福島の空間放射線量は、低いところでも事故前の2倍~3倍はあります。福島で暮らすことは低線量被曝、内部被曝に晒されることです。昨年7月の『黒い雨裁判』の判決は、低線量被曝、内部被ばくについて認めた今までにない画期的な内容でした。そのため国は原発事故損害賠償裁判への波及を恐れ、すぐさま控訴しました。私たち原発事故被害者団体連絡会は、広島の団体を含む5団体共同で、控訴の取り下げを求めて抗議声明を発出し、厚労省、広島県、広島市に手渡しました。」

このメッセージを聞きながら、広島に住む私たちが、原発事故被害者団体連絡会が、広島県・市に「黒い雨訴訟の控訴取り下げを求めた抗議声明」を出したことをどれだけ知っているだろうかと思わされました。

集会はこの後、福島から広島に避難している渡部美和さん(福島原発ひろしま訴訟団団長)のあいさつへと続きましたが、続きは明日報告します。

いのちとうとし

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2021年3月11日 (木)

「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」が残念な理由 ――国内他都市の条例と比較しても問題あり――

「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」が残念な理由

――国内他都市の条例と比較しても問題あり――

 

広島市議会が検討している「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」について、216日、217日、221日と取り上げましたが、その続きです。まず、条例の素案を読めるサイトはここです

 221日には、世界という舞台で「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」がどんな役割を果すのか、特に世界からどのような期待を持たれているのかという視点からこの条例素案を取り上げました。今回は、日本国内の他の都市が、平和について、また核兵器の廃絶についてどのような条例を作っているのかを見てみましょう。スペースに限りがありますので、北から、苫小牧市、藤沢市、宝塚市と三市の条例をまず、読んでみて下さい。

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苫小牧市非核平和都市条例(平成14年4月1日公布)

 わたしたち苫小牧市民は、安全で健やかに心ゆたかに生きられるように、平和を愛するすべての国の人々と共に、日本国憲法の基本理念である恒久平和の実現に努めるとともに、国是である非核三原則の趣旨を踏まえ核兵器のない平和の実現に努力していくことを決意し、この条例を制定する。

 目的

1条 この条例は、本市の平和行政に関する基本的事項を定め、市民が安全で健やかに心ゆたかに生活できる環境を確保し、もって市民生活の向上に資することを目的とする。

 恒久平和の意義等の普及

2条 市は、日本国憲法に規定する恒久平和の意義及び国是である非核三原則の趣旨について、広く市民に普及するように努めるものとする。

 平和に関する交流の推進

3条 市は、他の都市との平和に関する交流を推進するように努めるものとする。

 その他平和に関する事業の推進

4条 市は、前2条に定めるもののほか、平和の推進に資すると認める事業を行うように努めるものとする。

 平和の維持に係る協議等

5条 市長は、本市において、国是である非核三原則の趣旨が損なわれるおそれがあると認める事由が生じた場合は、関係機関に対し協議を求めるとともに、必要と認めるときは、適切な措置を講じるよう要請するものとする。

 核兵器の実験等に対する反対の表明

6条 市長は、核兵器の実験等が行われた場合は、関係機関に対し、当該実験等に対する反対の旨の意見を表明するものとする。

 委任

7条 この条例の施行に関し必要な事項は、市長が定める。

 附則

この条例は、公布の日から施行する。

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次に、藤沢市です。

○藤沢市核兵器廃絶平和推進の基本に関する条例

平成7330日条例第47

 (目的)

第1条 この条例は,藤沢市核兵器廃絶平和都市宣言(昭和57年藤沢市告示第29号)に基づき,核兵器廃絶を目指す国是としての非核三原則の厳守及び日本国憲法の基本理念である恒久平和の実現に関する基本原則を定め,もつて市民の平和で安全な生活の維持向上に資することを目的とする。

 (定義)

第2条 この条例において「核兵器」とは,核分裂,核融合又はそれらを組み合わせた爆発的原子核反応によつて放出される原子核エネルギーを用いて人間を殺傷し,又は器物,建造物若しくは自然環境を破壊するものをいう。

 (基本原則)

第3条 市は,第1条の目的を達成するため,不断の努力をするとともに,市民の協力を得て平和行政を推進する。

2 市は,市内での核兵器の製造,保有,持込み及び使用に協力しない。

3 市は,核兵器廃絶の実現に向けて国内又は国外の都市等との連携を深める。

4 市長は,3に定める事項の推進に努めなければならない。

5 市民は,1の目的を達成するため,自主的に平和に関する活動を行うとともに,第1項から第3項までに定める事項に関して積極的に協力するものとする。

(平和事業)

第4条 市は,前条の基本原則に基づき,次に掲げる事業を行う。

(1) 核兵器廃絶及び平和の意義の普及

(2) 核兵器廃絶及び平和に関する情報の収集及び提供

(3) 核兵器廃絶の実現に向けて他の都市等との平和に関する交流

(4) 前3号に掲げるもののほか,市長が必要と認める事業

2 市は,前項の事業の計画に当たつては,その基本的事項について市民の意見を聴くものとする。

 (委任)

第5条 この条例の施行について必要な事項は,市長が別に定める。

附 則

(施行期日)

1 この条例は,公布の日から施行する。

(藤沢市平和基金条例の一部改正)

2 藤沢市平和基金条例(平成元年藤沢市条例第23号)の一部を次のように改正する。

〔次のよう略〕

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そして、最後に宝塚市です。

○宝塚市核兵器廃絶平和推進基本条例

平成15919日条例第35

 宝塚市は平成元年37日に「非核平和都市宣言」を行いました。「青くすみきった空、清らかな武庫川の流れ、緑あふれる六甲・長尾の山々……。この素晴らしい自然と明るくおだやかな暮らしは宝塚市民すべての願いです。このような私たちの願いに反し、世界では依然として、人類同士の悲しむべき争いが絶えず、しかも地球上の全生命を滅ぼすことのできる核兵器が蓄積されてきました。しかし、人類の平和への切実な願いが全世界に高まり、大きなうねりとなって、ようやく戦略核兵器の縮小や、各地域の紛争解決への明るい兆しが見えようとしています。私たちは、このようなときにこそ、戦争を、そして核兵器をなくし、世界の恒久平和を強く願わずにはいられません。ここに、宝塚市は憲法の平和精神に基づき、恐るべき核兵器の廃絶を願い、永遠の平和社会を築くことを誓い、「非核平和都市」とすることを宣言します。」と世界にむけて非核平和の決意を明らかにしました。

 このような認識の下に、市民と市が非核平和の基本原則を共有し協働して、市民の平和で安全な生活の維持向上に努めるため、この条例を制定します。

 (目的)

第1条 この条例は、本市の非核平和都市宣言(平成元年3月7日宣言)に基づき、市民と市が協働して平和で安全なまちづくりを進めるための基本的な原則を定め、もって市民の平和で安全な生活の維持向上に資することを目的とする。

(定義)

第2条 この条例において「核兵器」とは、核分裂、核融合又はそれらを組み合わせた爆発的原子核分裂によって放出される原子核エネルギーを用いて人間を殺傷し、又は器物、建造物若しくは自然環境を破壊するものをいう。

 (基本原則)

第3条 市は、第1条の目的を達成するため、不断の努力をするとともに、市民と市が協働して平和事業を推進する。

2 市は、核兵器廃絶の実現に向けて国内及び国外の都市等との連携を深める。

3 市長は、2に定める事項の推進に努めなければならない。

4 市長は、核兵器の実験等が行われた場合は、当該実験等に対する反対の旨の意見を表明するものとする。

5 市民は、1の目的を達成するため、自主的に平和に関する活動を行うとともに、第1項から第2項までに定める事項に関して積極的に協力するものとする。

(平和事業)

第4条 市は、前条の基本原則に基づき、次に掲げる事業を行う。

(1) 核兵器廃絶及び平和の意義の普及

(2) 核兵器廃絶及び平和に関する情報の収集及び提供

(3) 核兵器廃絶の実現に向けて他の都市等との平和に関する交流

(4) 前3号に掲げるもののほか、市長が必要と認める事業

2 市は、前項の事業の計画に当たっては、その基本的事項について市民の意見を聴くものとする。

(委任)

第5条 この条例の施行に関し必要な事項は、規則で定める。

附 則

この条例は、公布の日から施行する。

 

以下、コメントですが、もうかなり長くなりましたので、詳しくは次回にも続きます。

 まず、三つの条例とも似た形をしています。これは、平和推進条例だけに限ったことではなく、国が法律を作ったり、何かを推進しようとするときには、地方自治体に「ひな形」を示します。多くの自治体は、固有名詞だけを自分たちの自治体名にすればそのまま条例になるような「ひな形」を前に、ほとんどの場合、その通りのことをしています。とても「親切」ですね。とは言え、これでは「地方自治」ではなく、中央集権国家による自治体の「支配」なのですが、この点についてはまた別の機会に取り上げましょう。

 もっとも、平和推進条例の場合は、長い間の日本政府の方針とはちょっと違っていますので、これは国の方針として「ひな形」を作ったのではなく、全国的に「非核宣言都市」や「平和推進条例」が注目されていたときに、平和活動家や専門家が作ったものかもしれません。

 それはともかくとして、三つの条例に共通している事柄で、「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」にはないものがいくつかあります。

 一つは、「憲法」という言葉、あるいは「非核三原則」という言葉です。条例が国のレベルでのどの法律に依拠しているのかを示すことは、条例の意味を明確にする上でとても重要です。それは、憲法94条があるからです。

 94条  地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

 そして、三つの条例のうち、苫小牧の場合には第5条で、「国是である非核三原則の趣旨が損なわれるおそれがあると認める事由が生じた場合は、関係機関に対し協議を求めるとともに、必要と認めるときは、適切な措置を講じるよう要請するものとする」とまで踏み込んで、仮に国が非核三原則に反する行為を取った場合には、「文句」を言うとまでは書いてありませんが、抗議の意思を示すと謳っています。

 藤沢市でも、第3条の2で、「市は,市内での核兵器の製造,保有,持込み及び使用に協力しない」と、非核三原則の遵守を国に求めています。

 それは、憲法99条の公務員の憲法遵守義務に従うという意思表示なのですが、地方公務員だけではなく、国家公務員、それも国会議員や総理大臣等にも同じ遵守義務があるという事実を国に対して突き付けていることでもあるのです。

 では、広島市の場合はどうなのか、スペースの都合で次回に回しますが、一言で広島市の条例をバッサリ切れば、憲法に関しては、国への「忖度」としか言いようがありません。

 [2021/3/11 イライザ]

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2021年3月10日 (水)

3・11から10年、政治は世論に応えよ

福島県いわき市に住んでいる友人、彼の伯母さん(お母さんの妹)は福島県楢葉町に住んでいました。あの日津波が襲ってきた時、足が不自由なので近所の人に背をわれて逃げようとしたのですが、逃げきれませんでした。

翌日、友人は伯母さんを探しに行こうとしましたが、12日の早朝この地域の放射線量が上がったために、外部の人がこの地域に入ることが出来なくなりました。

伯母さんの捜索に入れたのは、事故から1か月以上が経過した4月~5月です。ただ死体が放射化(放射線を受けて、放射性物質に変化すること)していて、伯母さんであることの確認はDNA鑑定で行われたのです。

こういう事態は楢葉だけではなく、富岡、浪江、双葉でも各地で見られたことでした。翌日にでも探しにいくことが出来たら、救われていたのではないかという悔やみの気持ちを持っている人は多数おられます。

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福島原発事故から10年が経ちますが、事故によって発生した問題は何ひとつ解決していないように思います。地球の歴史からすれば10年など、「アッ」にもならない時の流れでしょう。しかし生きている人間にとっては「10年ひと昔」、様ざまな難問が相次ぐ社会では、忘れられてしまいそうなことです。今の福島原発事故が抱えている主な問題を、項目だけでも書いてみたいと思います。

1:廃炉作業に向けての使用済み核燃料とデブリの取り出しのこと

2:廃炉終了の目途が立たないこと

3:原発汚染水の処理のこと

4:除染作業で出た廃棄物の処分のこと

5:中間貯蔵施設から最終処分場に移す見通しのこと

6:住民の帰還が困難な状況のこと

それぞれ全てが難題ですし、しかも何一つ解決の見通しが示せないというのが、なんとも情けないことだと思います。その根底は政府も電力会社にも「臭い物には蓋」「見た目だけが良ければ…」という感覚が強すぎるように思えるのです。

あれだけの大事故を起こしたのですから、放射性物質という厄介極まりない物が相手ですから、短い時間で解決するはずがありません。しかし放射能には半減期というのがあるので、時間が経過すれば放射線量は弱くなっていきます。しっかり管理して「時の流れ」を待つことではないでしょうか。

しかしその大前提は、これ以上原発を増やさない、運転させないことではないでしょうか。放射性廃棄物の処分について一方で「厄介だ。難題だ」ということを何十年も前から聞かされながらも、それでも原発を作るという理屈は世の中に通用しません。

せめて「これまで〝豊かな暮らし〟ということで原発からの〝恩恵〟を受けてきましたが、これは間違いでした。もうこういう発電装置は止めますから、みんなで解決策を考えませんか」というのなら、まだ考えてみようという気持ちになるかも知れませんが。

ここ10年、この3月という時期は本当に落ち込む状態になります。決して僕の責任ではないと思うようにしたいのですが、何世代か先の人たちにとっては、我われ世代トータルの責任といわれるでしょう。

3月7日の新聞に、日本世論調査会が実施した福島原発事故後10年を前にした全国世論調査の結果が掲載されていました。76%の人が脱原発を志向していること、再び深刻な原発事故が起きる可能性があるとした答えは90%に上ったという内容でした。

少し落ち込み状態から救われました。政治はこの調査結果に向き合うことです。

木原省治

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2021年3月 9日 (火)

世界の一歩

アメリカでは、バイデン対トランプの決着がつき、トランプが民主主義の負の教科書のようなものを見せてくれ、次の一歩を踏み出したようです。一方日本はどうでしょうか。森友、加計、桜、何も決着していません。そんな中、コロナ対策である政治家が、「再度10万円の一律給付を行うと後世に借金を残すことになる」と発言していました。今日明日の生活をどうしようかと困ってる人がたくさんいるのに、議論のすりかえやごまかしばかりしています。世界は一歩ずつすすんでるのに。

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我が家には二匹猫がいます。過保護なほどかわいがっていますが、一匹が病気がちで病院によく通っていました。フードなど試行錯誤して、やっと病気することなく二匹で元気に走り回るようになりました。人間にもいろんな子がいます。愛情だけではだめで、その子にあった食事や教育が必要です。

戦後、食べるのものにも困っていた時、みんなが幸せになるために教育を国が保障するべきだと、すべての子どもたちに教科書が必要だと、私たちの先輩はそこから道筋を作ってくれました。このコロナ禍でさらなる道筋を私たちは作れるでしょうか。ワクチンを配ったらそれで終わりではありません。

Ⅿ&F

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2021年3月 8日 (月)

3月のブルーベリー農園その1(東広島市豊栄町)

ブルーベリーの剪定が続くがまだ約1100本あるうちの5分の1が終わったところ。暖かくなったので農作業はさくさくと進められるのがうれしい。サクラの開花までひと月もない。

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3月6日(土)

①.写真手前からいち、にぃ、さんの3段の畑でブルーベリーを栽培している。今は一番上の畑で剪定を続けている。

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②.ブルーベリー畑の地面にはツクシも所どころに顔を出している。

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③.畑の道を挟んで大豆などを植えている畑に菜の花が4~5株咲いている。暖かくなるにつれて背がだんだん高くなる。

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④.庭に咲く赤い花。(名前知らず)

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⑤.ブルーベリーの剪定を始める前に里山の竹を数本伐採したが、2m位にカットしてほぼ先っちょまでくるとツタが蛇のようにぐるぐると巻き付いた所にきて「蛇か」と思って一瞬ぎょっとした。

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3月7日

①.近くの田んぼの法面のシバザクラの花ががちらほら咲きだした。

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②.道路そばの一番上のブルーベリー畑の剪定もあと6本切るとこの場所は終了。

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③.新しいブルーベリーの仕立て方を試みる。新しく伸びた枝を麻の紐で縛って垂直にしてまとめる。こうすることで植物ホルモンの活動が活発になるので肥料をやらなくて良くなるそうだ。

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④.エビネも竹を立てて葉をひもで縛って垂直に仕立ててみた。さてどうなるか。

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⑤.ブルーベリー畑の地面にスイセンがにょきにょき。遠くでケーンとキジの鳴く声が聞こえた。元気なようだ。

2021年3月8日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2021年3月 7日 (日)

ヒロシマとベトナム(その22-2)

―ほとんどいない上限を守る「送出し機関(送出し業者)」―

前号でお話ししましたが、技能実習生は送出し機関(送出し業者)に手数料として、上限3,600US㌦(≒38万1,600円)を支払うだけで良いはずです。しかし、これを「守っている送出し機関(送出し業者)はほとんどいない」と言われ、結果、ほとんどの技能実習生が借金して手数料を払い、日本に来ているのです。

そこには、「確実に日本に行け」、「人気の高い業種に就き」、「お金を稼いで帰国したい」という技能実習希望者の強い思に巣喰う構造があります。

ベトナムでは技能実習を希望する若者が多く、人手不足に喘ぐ日本の企業にとっては「買い手市場」になっています。そのことは、ベトナムの送出し業機関(送出し業者)と日本で実習生を斡旋する管理団体との力関係を規定します。送出し機関(送出し業者)としては、何とかして管理団体に多くの実習生を売り込みたいと躍起になり、管理団体へのキックバックや、面接に訪れる際の渡航費や宿泊費の負担、さらには接待・・・が横行していると言われています。日本の管理団体は非営利団体ですが、激しい競争と買い手市場から、送出し機関に便宜を求めるブラックな団体も少ないと言われています。

それら諸々の費用が技能実習生から手数料として徴収されているのです。例えば人気の高い食品加工業では一人につき25万円の手数料、農業や水産業では10万円、建設業は5万円などと言われています。ベトナムの大学卒の初任給が250㌦(≒2万6,500円)ですから、ベトナム政府が上限とする手数料3,600us㌦(日本円で約38万円)でも大変な金額です。

いま私は、ある技能実習生の事案に関わっていますが、彼は「(送出し機関に)100万円、日本語の勉強でヒューマンアカデミーに40万円、計140万円を払った」と言っています。実にベトナム大学卒業者の4.4年分の賃金に相当する金額です。貧しい家計を支え、家族を養うために日本を目指す技能実習生の家庭に、そんな莫大な手数料が払える蓄えがあったとはとても考えられません。親戚や友人、銀行などからの借金なのです。

 

―借金に縛られ我慢、失踪・不法就労・不法滞在、巻き込まれる事件・事故―

日本で働いて得られる賃金は、せいぜい手取りで10万円少々です。これまでも多くの実習生から、「一年間で借金を返し、残り2年~4年で300~500万円貯めて帰国する」と聞きました。彼や彼女たちは、切り詰めに切り詰めた生活で借金を返し、仕送りを続け、少しでも多くの蓄えを持って帰えろうと必死です。

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文中とは関係ありません。あかたつ後援会「親睦交流会」(梨狩り)に参加した技能実習生。(2016年)

私が関わった何人かの技能実習生の相談事案には、ノルマを達成するために残業や休日出勤を強いられ、「国に帰す」などの脅迫めいた暴言やいじめにあい、それでも「国にいる3歳の娘のために仕事を辞められない」と頑張っていましたが、耐えられず「失踪」してしまったケースもあります。相談を受け、会社に改善を求め幾度も交渉を重ねている最中での失踪で、いまでも悔やまれてなりません。

5年前のことです。当然、現在は彼女のビザは切れ(不法滞在)ています。いま、彼女は、どこでどの様に暮らしているのか・・・・。生きてゆくためには働かなければならず、不法就労もせざるをえません。もちろん、役所に転入届を出すことも国民健康保険の手続きもできませんし、社会保険にも入れません。病気や事故などでも何らの公的支援もありません。

いまから始まるコロナワクチンの摂取は外国籍市民も対象者ですが、当然、これもフォローされません。職務質問など何らかで不法滞在が明らかになれば、入国管理局に収監され強制退去です。

このような大きなリスクと不安の中に追い込められてゆく技能実習生が後を絶ちません

昨年11月、東広島市で起きた技能実習生による保護者責任遺棄致死・遺体遺棄「事件」は記憶に新しいと思います。起訴されたスオン・ティ・ヴォットさんの「出産すればベトナムに帰される」という言葉の根底には、こうした借金の問題が大きく横たわっていると思います。

(2021年3月7日、あかたつ)

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2021年3月 6日 (土)

「官僚のお手盛りで作られた法律を変えよう!」 ――主権者としての力は使わなければなくなります――

「官僚のお手盛りで作られた法律を変えよう!」

――主権者としての力は使わなければなくなります――

 

2月26日の本コラムでは、私たち広島県民が、自民党と自民党広島県連に「舐められ続けて」も良いのかという問題提起をしました。その点を最も明確に筋道を立てて論じている、元広島地検そして元東京地検特捜部の、郷原信郎弁護士を引用したのですが、我が国の政治を立て直すためには、それだけでは不十分です。

その際にも、問題なのは河井夫妻の買収事件だけではないことを同じくらい強調したのですが、今回は、そちらに力点を移しましょう。

総務省の幹部職員が東北新社から、公務員倫理法に反する接待を受けていた事件で、おそらく多くの皆さんがおかしいなと思ったのは、事件が発覚した時点で既に総務省から内閣府に移動していた山田真貴子(その時点での)内閣広報官については、お咎めがなかったことなのではないでしょうか。しかし、問題が大きくなり、山田広報官は「自主的に」給与の6割を返納することになったのですが、これってお金の問題ではないですよね。

さらに、中央官僚が地方に出向して、例えば自治体の副市長等の幹部になるケースは日常茶飯事です。仮に、この官僚が中央官庁で何か悪事を働いたとしても、自治体に移動してしまえば、元の官庁からのお咎めはなくなってしまうのです。

言葉として「悪事」を使いますが、公務員の倫理規定違反の扱いが良く分らないからです。法律的に厳密な定義を当てはめた場合に、「犯罪」になるのかどうかなのですが、倫理規定違反も「悪い事」には違いありませんので、とりあえず「悪事」と表現します。それ以上の贈収賄等の刑事罰に相当する行為が「悪事」であることは勿論です。

ここで問題にしたいのは、ある官僚が「悪事」を働いても、発見されたときに (しかもまだ時効になっていないときに) 他の省に「異動」になっていれば、通常、何のお咎めもなくなってしまうという点です。山田前広報官の場合がこれに相当します。

その他にも、「森加計桜」関連でもこのような扱いがありました。でもこれっておかしくないですか?

しかし、現行の法律体系の中では、これが罷り通っています。つまり合法なのです。私たちは、そう説明されて、納得は行かないまま、「法律がそうなら仕方がない」と考え勝ちなのですが、ここで提起したい問題は、そもそもそう判断する基礎になっている「法律」そのものの考え方がおかしいのではないか、という点なのです。

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ここで、一つ大きな仮定を設けます。私たちの理想や願望とは違うのですが、「法律を作る立場の人たちは、自分に都合の良い内容の法律を作る傾向がある」、という仮定です。「お手盛り」という言葉があるように、国会でも多くの地方議会でもしばしば問題にされてきた議員の報酬が典型的な例です。何やかやと理屈を付けて、場合によっては有無を言わせずに、議員報酬は議員の得になるような方向で変えられ、批判があっても「だんまり」を決め込むというのが定番だ、と多くの人は思っています。

官僚の作った倫理規定も、同じように官僚に都合の良いものになっていても不思議はあません。省が変ると「悪事」がないことになるのは、「悪事」をためらいもなく働く官僚にとっては都合の良い制度です。でも、その官僚が、本来であれば最大限優先しなくてはならない主権者から見ると、変なのです。主権者の利益を優先するのではなく、悪徳官僚の利益や省の利益、つまり省益が優先されているからです。

省が変わっても、悪徳官僚の本質が、その境界線で善人に生まれ変わるはずはありません。そんな欠陥のある人物は、別の省に移っても、主権者の利益を優先することはないでしょう。となると必要なのは、省を越えたとしても、前の省での「悪事」がきちんと把握され、その再犯を新たな省で防ぐことのできるような新しい法律なり、制度です。

先ほどの仮定に戻って考えると、このような新たな法律や制度を、自分の利益中心に考える官僚が、自分たちの手で作ることはあり得ません。となると、ここでも私たち主権者の声が頼りです。

省が変っても、「悪事」を「悪事」として認めた上で、それを適正に罰する新法あるいは制度を作れ、と大きな声を上げるべきだと思いますが、如何でしょうか。

 [2021/3/6 イライザ]

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2021年3月 5日 (金)

ヒロシマとベトナム(その22-1)

なぜ、技能実習生は多額の借金?

―技能実習を希望する多くの若者―

2020年6月末時点、日本に暮らす外国籍の人は2885,904人です。そのうち技能実習生は13.9%、402,422人です。ベトナム人技能実習生は219,501人と、半数以上を占めています。2015年の技能実習生数は181,436人でしたので、僅か5年間に2.2倍も増えたことになります。その中でもベトナム人技能実習生は45,144人から約22万人へと4.8倍と激増です。こうした傾向は、当分の間続くと思います。

同時点、広島県には56,229人の外国人が暮らし、技能実習生は16,912人、30%を占めています。広島県の技能実習生数は愛知県の4923人、大阪の18,790人、千葉の18,790に次ぎ4番目に多い県です。ちなみに在住外国人に対する技能実習生の比率で見ると、広島県が301%で愛知県(148%)を大きく引き離し全国トップです。

ベトナムは近年高い経済成長(注1)を遂げているとはいえ、地方都市や農村部ではまだまだ働く場は少なく、賃金も高くありません(注2)。

そうした中で、「日本でお金を稼ぎ、家族を養う」「兄弟姉妹に学費を送る」、「お金を貯めて帰国したら家を建てる」「なにか事業を始める」、「日本語を身に付けて、帰国後、日系企業で働く」・・・・と、技能実習を希望する数多くの若者が多くいます。

(注120年余り7%前後の成長を続けているベトナム。「コロナ対策の優等生」と言われ、「コロナ禍」の2020年でも3%近くの成長を遂げています。

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(注2)ベトナム労働総連盟が行った2018年の月平均賃金の調査結果では553万ドン(≒2万5,991円)です。

下表は在越日系企業178社を対象にしたベトナム人従業員の給与動向に関するアンケートです。数値はベトナム人の役職毎の給与額(中央値)ドンの推移、単位はKVND(×1,000)。日系企業に働く行員の2018年の月給(中央値)は5,838×1,000ドン=5838千ドン≒27,437円です。

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日本での技能実習を目指す場合、ベトナムにある送出機関(送出し業者)に登録し、その送出機関(送出し業者)の研修施設で日本語や日本の文化、マナーなどの入国前研修を6ヶ月間受けます。その間に技能実習生を受け入れる企業や仲介の管理団体の面接を受け、実習(就労)先の企業が決まります。そして、来日です。実習生は来日後すぐに技能実習(就労)先である企業に入るのでなく、日本語や生活に関する学習、日本に在留するための法律的な研修などを一ヶ月間受けます。その後、各企業での技能実習(就労)が始まります。

 

―ほとんどの実習生が100万円前後の借金を抱え来日-

その技能実習生のほとんどが、100万円前後の借金を負って日本に来ています。

日本語学習などの入国前の研修費用や渡航費から入国後1ヶ月間の研修費用など技能実習生の受け入れに係る費用は、すべて技能実習生を受け入れる企業が支払うことになっています。では、なぜ、技能実習生は多額の借金を負ってしまうのでしょうか。

 

―実習生の支払う手数料は3,600US㌦が上限―

日本で技能実習生の失踪や自殺などが大きく取り上げられ始めた2015年頃、ベトナムでは悪質な送出し機関(送出し業者)の摘発をはじめ是正が取り組まれました。2016416日、所管の労働・傷病兵・社会省が、「日本へのベトナム人技能実習生送出し業務の運営是正策実施の継続について、派遣契約によりベトナム人労働者を海外に送り出す業務を実施する機関」宛てに次の様な通達を発出しています。

「技能実習生から徴収することができる費用」として、「3年契約の場合には3,600US㌦以下、1年契約の場合には1,200usドル以下により定められている手数料。送出し機関は実習生との契約を締結し、日本が在留資格認定証明書を発給した後にのみ、技能実習生から徴収できる。在留資格認定証明書が発給される前に、技能実習生から費用の徴収を行うことは、いかなる形においても厳禁とする。」と明記されています。

にもかかわらず、借金を負ってしまう構造的な問題は次回(3月7日)に述べたいと思います。

(2021年35日、あかたつ)

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2021年3月 4日 (木)

2021年初めての「3の日行動」

「戦争させない・9条壊すな! ヒロシマ総がかり行動実行委員会」は、昨日午後5時30分から本通電停前で、3月の「3の日行動」を行いました。コロナの感染が拡大したため今年に入り中止を余儀なくされていましたので、今回の街頭行動は、昨年12月以来、3カ月ぶりの行動となりました。

この3カ月の間に、止まらないコロナの感染拡大とその対策の遅れ、東京オリンピック組織委員会森前会長の差別発言による混迷、河井案里被告の買収事件の刑の確定、総務省、農水省の接待問題などなど、長期政権のひずみ、国民生活を軽視する菅総理の政治姿勢が、次々と明らかになりました。

訴えたい課題は、山積しています。今月の街宣行動には、「市民が変える 政治を変える 選挙で変える」「お金の選挙 自公の責任 金をもらった県議・市議は辞職せよ」「改憲より政治を変えよう」などのスローガンが書かれた横断幕4枚が準備されました。

街頭宣伝活動は、3月に入り、日の入り(昨日は、午後6時8分)も遅くなり、まだ明るさが残る午後5時半ちょうどに藤元康之世話人の司会でスタートしました。

最初は、「コロナ対策不備と五輪開催の問題点追及」をテーマにした、川后和幸共同代表がマイクを握りました。次は、共同代表の山田延廣弁護士の訴えです。テーマは「河井買収事件と4・25参院再選挙」です。今のところ、4月25日投票で実施される国会議員補欠選挙は、衆議院が北海度2区、参議院が長野選挙区と広島選挙区の3つが予定されていますが、その中でも特に重要で全国から注目されている選挙が、この参議院広島選挙区の補欠選挙です。山田さんは、「金権政治に対し、広島県民が、はっきりとNOの意思を示す大事な選挙です。広島選挙区で、野党が勝利することが出来れば、政治の流れを大きく変えることが出来ます。そのために、市民と野党がしっかりした共闘を組むことが大切です。広島から大きなうねりを作りましょう」と強く訴えました。

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次に藤井純子世話人が、森発言から大きくクローズアップされた「ジェンダー平等」の課題を訴えました。続いて、福島からの避難者を支援する大月純子世話人が、「福島原発事故から10年という節目を迎えた今、改めて脱原発社会の実現しなければならない」と呼びかけました。

私も最後に「まとめ」のアピールを行いました。私がもっとも強調したことは次の点です。

「国内のコロナの感染が始まって1年が過ぎた。この一年間、喫緊のコロナ対策だけが注目されたが、抜本的なコロナ対策は置き去りのまま。昨日、来年度予算が衆議院を通過したが、真にその中身が問われただろうか疑問を感ずる。防衛費予算は、毎年毎年増額され続けている。『安全保障が大事』と主張するが、国民の生命や財産を守るためのコロナ対策だって重要な安全保障政策のはず。防衛費を抑えてでも、このコロナ対策に万全を期すことこそが、今求められている安全保障政策のはず。さらに、ワクチンがコロナ対策の柱と言われているが、すべて外国製品頼み。なぜ日本発のワクチン製造ができないのか。目先の利益のみを追い求める構造改革によって、基礎研究などがないがしろにしてきたつけがこの現実を招いているといわざるを得ない。規制緩和による格差拡大社会の問題の根深さをコロナ社会は明らかにしてきた。当面のコロナ対策も重要だが、これまでの政治のありようを抜本的に見直すことなくして、真の問題解決はないと思う。これは与野党を超えて、問われている課題だといえる。それは、一人ひとりの市民にも求められていること。その意味で4月25日は、私たち市民が、その意思表示できる絶好のチャンス。その機会を活かそう。」

私のアピールで、今年初めての「3の日」街頭行動は終了しました。昨日の行動には、45人が参加しました。

いのちとうとし

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2021年3月 3日 (水)

学徒動員と原爆被爆その4-被爆者健康手帳の取得

島根県の被爆者健康手帳所持者は、2020年3月末現在、直接被爆者(1号)が249人、入市被爆者(2号)が436人となっており、全国では珍しく入市被爆者が多いことを1月27日のブログ「入市被爆者が多い島根県の被爆者」で紹介しました。

その大きな要因が、「島根県から2000人近くの学徒動員があった」ことだということが、これまでの調査で明らかになりました。

そこで気になったのが、「いつ頃から入市被爆者の被爆者健康手帳取得が増えたのか、その要因となったのは?」ということです。そこで被爆者健康手帳の取得状況を調べるため広島原爆資料館資料室に行き、毎年広島市が発行する「原爆被爆者対策事業概要」を調べました。この「原爆被爆者対策事業概要」が最初に発行されたのは1965年(昭和40年)ですが、全国の都道府県ごとの「被爆者健康手帳所持者数」が掲載されるようになったのは、1975年(昭和50年)からです。毎年その年の3月末現在の人数が発表されますので、1975年の数字は、1974年(昭和49年)度分ということになります。

島根県のその年の直接被爆者は、1464人、入市被爆者は621人です。直接被爆者(1号)は、資料のあるかぎりでは、この年が最も多い人数で、それから毎年わずかですが減少し続けています。

ところが、入市被爆者は、毎年増え続けています。1978年には、前年から63人増え、以後1984年まで毎年50人を超える人数で増え続け、7年間で合計597人増えています。その間に亡くなられた方もあることを考えると、実際の取得者はもっと多かったことになります。特に1981年の入市被爆者の手帳取得者は195人も増加しています。

その結果、1984年には、直接被爆者の人数(1266人)と入市被爆者の人数(1288人)が逆転し、それが現在も続いています。入市被爆者の手帳所持者も、1992年(平成4年)の1,432人をピークに、それ以降毎年減少していきます。ちなみに、全国の被爆者健康手帳取得者数が最大になったのは、1980年度で、その人数は372,264人です。

学徒動員で広島に動員された人数が多かったことが、入市被爆者が多くなった原因ですが、後で紹介する同じぐらいの人数が動員された鳥取県と比べて圧倒的に島根県が多いのはなぜか、なぜこの時期からなのかです。

その一つのヒントが、吉田文子さんの被爆体験記に記載されていました。吉田さんは「県立浜田高女勤労学徒報国隊員」として動員されていますが、その体験記の最後の部分に「あの動員頃から半世紀を経た今、同じ釜の飯を食べた仲間は50代の頃から、毎年、各地で同窓会をもっては、当時を偲んでいます。」と書かれています。50代と言えば、被爆後35年、1980年頃になります。この同じ時期に、入市被爆者の手帳取得者が増えているということは、同窓会などで情報が共有されたからだと想像できます。1985年に発行された益田市原爆被爆者の会の体験集「ピカ」には、当時の益田市の被爆者実態として「直接被爆者109人、入市被爆者137人」と、特徴的な実態が記載されています。体験記も益田高等女学校の学徒動員者の体験記が冒頭に掲載されています。

三刀屋中学から学徒動員された泉忠敬さんの体験記にも、同窓会で情報を得たことと共に「平成2年(1990年)12月4日付で申請し、翌年2月2日に手帳交付を受けました。もし同窓会に出席していなかったら…。本当に感謝しています。」と記されています。

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鳥取県原爆被害者協議会の被爆体験記

同じように同窓会が契機となったことは、鳥取県の米子工業学校で動員を体験した木村朝春さんの体験記にも記されていました。「平成元年(1989年)2月11日、卒業後44年経過した年に(還暦)60歳を記念して、機械科の同期生会を開催した。その時、Y君が被爆者に該当するらしいという。Y君、T君が中心となり米子保健所、米子工業学校、県会議員などを尋ねたが資料説明がはっきりせず、最終的に県議会議員が知事に質問。該当することを確認。応用化学科、電気科にも話しかけ、3科合同で被爆者健康手帳を取得。米工生74名(県内51名、県外23名)が取得した。」

この様子は、鳥取敬愛高等学校社会部が行った米子工業学校卒業生へのアンケートにも記載されています。このことを証明するように鳥取県の1989年(平成元年)の入市被爆者の手帳取得数が、前年まで一ケタ台だったものが「66人増」になっています。たった一人の情報提供が、同窓会の場を通じて、多くの被爆者健康手帳取得を促したことがわかります。

しかし、こうした例があるにもかかわらず島根県以上の生徒が学徒動員によって広島に派遣されていたにもかかわらず、鳥取県では入市被爆者の手帳取得者数は1989年の339人が最大ですから、島根県の1,432人とはあまりにも大きな開きがあります。

なぜ、これほどの違いができてしまったのか、解明すべき課題が残りました。少し時間をかけて調べてみたいと思います。

いのちとうとし

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2021年3月 2日 (火)

学徒動員と原爆被爆その3-帰郷への道

これまで2回にわたって紹介した呉海軍工廠へ動員された島根・鳥取両県の学徒動員の生徒たちが、終戦とともに動員解除となり、どんな経路をたどって帰郷し、被爆することになったのかが今日のテーマです。

動員出発時の実態は、地元の新聞に掲載された記事によってある程度知ることが出来たのですが、帰郷時の様子をまとめて知ることのできる資料は、今のところ見つけることが出来ていません。そこで、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が所有する被爆体験記から学徒動員者の体験記を探すことにしました。

 

島根県関係は、先に紹介した「島根県原爆被爆者協議会結成50年史」の他に「松江八束地区原爆被爆者協議会」「島根県原爆被爆者協議会浜田支部」「同温泉津支部」「益田市原爆被爆者の会」が発刊した被爆体験記が所有されていました。

一冊一冊丹念に探すと、幾編かの学徒動員者の体験記を見つけることが出来ましたが、帰郷の経路が書かれているのは僅かでした。それでも、私の知りたい情報は得ることが出来ました。広島駅に着いた時の様子も書かれていますので、一、二紹介します。

浜田高等女学校の生徒だった米山建子さんの手記です。

「8月15日に終戦になり、学徒は動員解除となって、一刻も早く帰省するように指示があり、その夜のうちに準備して、16日の早朝狩留賀寮を後にして、呉線吉浦駅より汽車で、広島駅に午前11時ころ着きました。広島市内は見渡す限り焼け野が原で、皆呆然として言葉もなく、爆弾の物凄さを感じました。芸備線乗り換えの汽車はいつ来るとも知れず、屋根もないホームで炎天下のどが渇きじっとしておられず、水をさがして近辺を歩き回り、やっと曲がりくねった水道管を見つけ回りのものを取り除いて、皆で水を飲み、時を過ごしました。夕方6時ころ汽車に乗り、備後落合まで行き、そこで一夜を明かし、翌17日、木次線山陰線と乗り継いでふるさと井田へ帰りました。」

この手記によれば、芸備線、木次線、山陰線を乗り継いで、浜田に帰ったことがわかります。もちろん松江などに帰った人もこの経路をたどっています。

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被爆後の広島駅構内

一方で山陽線経由で帰郷したという手記もあります。教員補充のため8月12日に除隊になり帰郷した益田高等女学校生の渡辺環香さんの手記です。

「迎えに来られた先生に連れられて8月12日、広島駅に降り、山陽線の列車を待ちました。終戦間近い戦況の中で列車も駅も大混雑。軍公務優先で、私達は乗ることもできず夜を迎えました。原爆投下間もない広島駅は屋根もなく裸電球があちらこちらに下がっていて、その薄暗い明かりの下には全く人とも思えない姿の人が固まり、うずくまっているのです。(中略)小郡から山口線に乗り換え、戦争の傷跡も少ない静かな山々に迎えられて、乙女らしい明るさが徐々に戻ってきました。」

山口県境の益田ということだからでしょう渡辺さんは、山陽線、山口線経由で帰郷しています。

ただ、二人とも広島駅からの線路は違っていても、呉から広島駅経由で帰郷したことに違いはありません。島根に帰郷する人たちは、全て入市被爆することになったのです。

 

次は鳥取県関係ですが、私が見た被爆体験記は3冊ありましたが、学徒動員者の体験記は1編しかありませんでした。米子工業学校の木村朝春さんの手記です。

「8月15日夕方、工廠長から任務を解かれ、学徒は即帰郷せよとの命令。寮を焼け出され荷物は何もなく、風呂敷包み一つ、どこでも寝られる枕替わりであった。

8月16日夜、広島駅に到着。芸備線の列車が無く、その夜は野宿。17日朝になりびっくり。駅前の市街地は一面焼け野原。電車、バスの残骸が点々と見えるだけ。駅及び駅前には、被爆者があふれ、手、足、顔に包帯をした人、この人たちはまだ元気な方々で、、、、、

17日昼前芸備線の列車に乗車。貨物車(郵便車)に乗り、山陰線に乗り換え米子到着、帰省した。」

この手記から、鳥取県でも西部地区の学校は、広島駅を経由し、芸備線、木次線、山陰線を乗り継いで帰郷したことがわかります。島根に帰郷する人たちと同じように入市被爆しています。この手記には、その後被爆者健康手帳を取得する経過も記載されていますが、その内容は明日紹介します。

ところでこの手記には、米子工業学校からの動員人数は「92人」と書かれていますが、「学徒動員と原爆被爆その2」で紹介した日本海新聞には、「150人」と書かれています。どちらが正しいのか、調べるすべがありませんが、気になる数字です。

残念ながら、鳥取市を中心とする県東部からの学徒動員者が、どの経路をたどったのかを示す資料を見つけることが出来ませんでした。

先日に紹介した鳥取敬愛高等学校社会部が、前年には自校の前身「鳥取高等家政女学校の学徒動員」のことを調べていたようですので、学校に電話で問い合わせたのですが「被爆問題は、調査していません。ただ因美線を使ったと聞いています」ということでした。岡山経由で帰る時には、呉線三原経由も考えられますので、広島駅を通過したのかどうか、今のところ確認できていません。

この帰郷の経路がはっきりしていないことが、被爆者健康手帳の取得と大きな関係があることがわかりましたが、その内容は明日報告します。

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2021年3月 1日 (月)

最近、修得した新たな技術 ――iMovieを使う――

最近、修得した新たな技術

――iMovieを使う――

 

新型コロナの感染も相俟って、昨年以来、多くの人が使うことになったコミュニケーション手段の最右翼は、やはりZoomでしょう。それと併用する形でYouTubeの利用も今まで以上に注目されています。LINEの便利さは言うまでもありません。

私の場合、昨年以来いくつかのZoom会議に参加する中で、冒頭の15分から20分のスピーチを事前に録画しておいて、YouTubeに上げておき、自分の持ち時間になったときにそれを流して貰うという方法を取ってきました。

主催者に提出するのは、最終結果の動画の他に、スピーチのテキスト (国際会議の場合は日本語と英語)、パワーポイントのファイル、そして動画のファイルです。

生の講演会の場合、パワーポイントを使うのが定番ですので、パワーポイントのファイルと、スピーチのアウトラインは事前に主催者に渡しておきますし、「動画」の部分は講演そのものですので、それを録画して貰えば用が済みます。この場合、スピーチの原稿は作らずに、必要があれば事後的に講演から「起こして貰う」ことにしてきました。

にもかかわらず、Zoom会議では、スピーチの原稿を事前に作ることにしました。それはは、時間を守るためです。生の講演では、ほとんどの場合時間オーバーになってしまっていたのですが、会場に来られた皆さんは通常、熱心に最後までお付き合い下さいましたので、甘える癖が付いてしまっていたのです。しかしながら、Zoom会議では、時間内に終らせることが大事です。参加者の皆さんの集中力が続く内に、きちんとした内容を伝えることが大切だからです。

生の講演と動画を比較すると、もう一つ大きな違いがあります。それは、スピーチを録画しそれを編集するというステップです。潤沢な資金があるか、有能なスタッフに恵まれていれば、この部分は任せっ放しで良いのですが、これも自分でしなくてはなりません。

ということで、Zoomの会議で最初にパネリストとしてスピーチを行うという形式の場合、次のような準備作業が必要になったのです。

 

  • パワーポイントで、スピーチのアウトラインを作り、グラフや写真等もその中に入れ込む。
  • パワーポイントを元に、スピーチの読み原稿を作る。必要があればパワーポイントの修正も併せて行う。
  • 必要があれば、英語の (日本語の) スピーチを日本語 (元が日本語の場合は英語) に翻訳する。
  • スピーチを読む。
  • 同時に、そのスピーチを録画する。(三脚が大活躍しました)
  • 動画を編集する。

 

短いスピーチですので、何のミスもなく最後まで読むことは可能なのですが、それでも編集は必要です。テレビのニュース番組でもそうなのですが、一つのニュースを伝えているときに、最初から最後まで、アナウンサーの顔がアップで画面に映っている訳ではありません。現場の画像や、資料になるグラフや数字、そして最近では字幕まで画面に映るのが当たり前です。

そこまで完璧にはできませんが、生の講演であれば、スクリーンに映して見て頂いているパワーポイントのスライドくらいは、私のアップ顔の代りに挿入する必要があります。幸いなことに、iPhoneに付属している動画編集ソフトのiMovieには、その機能が付いています。使ってみるととても使い易いので、皆さんにお勧めします。

iMovie は直感的に使えますので、説明は必要ないかもしれませんが、分り易い説明としては、例えば次のサイトを御覧下さい

 

ここでは、もっと短く、いくつかのポイントだけでもまとめておきましょう。

 ① iMovieを開くと次のような画面になります。

Img_5039   

② ここで「+」を押すと、次の画面になります。これで、「プロジェクト」が始まります。

Img_5040   

③ ここでは、「ムービー」を押します。どのファイルを使って「ムービー」を作るのかを選択できるよう、「写真」内のファイルが現れます。

Img_5041   

④ 最近作ったスピーチのファイルがあるはずですので、それを選んで下さい。ここでは、前の画面で、長さが1624秒という表示のある動画を選びます。タップすると「☑」が付きます。

Img_5042   

⑤ 選択後には、次の画面になって編集が可能になります。下の方の横長の画面は「タイムライン」と呼ばれていて、それをスワイプすることで、動画のどの場面を編集するのかを決められます。縦の線のある場所の画像が上に大きく映っています。

  Img_5043

⑥ タイムラインを右にスワイプして、最初の部分に来ました。最初の誰も映っていない部分は必要ありませんので、削除します。そのために、縦線の部分を削除したい最後の部分に合わせます。

Img_5044  

 ⑦ タイムラインを押すと、下の方に「ハサミ」等の印が現れます。鋏を押して、その上にある「分割」を押すと、タイムラインが二つに分割されます。

Img_5045    

⑧ 要らない方のタイムラインを押すとそこが黄色い枠で囲まれるので、今度は、「削除」をタップすると、その部分が削除されます。動画の途中の部分を削除したいときは、削除したい部分の最初と最後に縦線を合わせて、「分割」をして「削除」する必要があります。

Img_5053

⑨ もう一つ、パワーポイントのスライドを挿入して、一定の時間、私のアップの代りにスライドの画面が現れるようにする方法です。

 最初に必要なのは、パワーポイントのスライドをJPEG形式で保存することです。これは簡単にできます。ただし、ちょっとテクニカルになるかもしれませんので、パワーポイントのスライドの代りに、「写真」内の写真を使うことで説明します。

 [以下、パワーポイントのスライドをJPEGとして保存する方法です。参考のために、ここに記しておきます―――まず、該当するパワーポイントのファイルを開きます。「名前を付けて保存」をタップして、次に保存するフォルダーを選びます。「保存」ボタンを押す前に、その下にあるファイルの形式を、「JPEG」にする、と変更するだけです。その後、「すべてのスライドを変換するか」という、質問が現れますので、「全て」を選ぶと、スライド一枚一枚が、一枚の写真として保存されることになります。大事なのは、このフォルダーがiPhoneからアクセスできるということなのですが、私の場合は、DropboxiPhoneで使っていましたので、そこにアクセスするだけで良かったので、問題はありませんでした。iPhoneからアクセスできるファイルに保存できない場合は、また別の機会に説明します]

 

 ⑩ 縦線のあるところから、別の写真で私のアップ画像を隠すのですが、上の画像の左下に「+」の印があるので、それをタップします。

Img_5054   

⑪ すると次のような画面になりますので、「写真」をタップします。

  Img_5046

⑫ 「写真」のファイルの分類が出ますので、「すべて」をタップ。

Img_5055  

⑬ そこに現れた画像の中から、使うものを選びます。それをタップ。ここでは、最初の方で使った画面を選んでいます。写真が黄色い枠で囲まれ、その下に「+」と「・・・」が現れます。

  Img_5051

⑭ 「・・・」をタップして、次の画面に移ります。

Img_5056   

⑮ 「カットアウェイ」をタップ。それで、元の画面に戻り、選んだ写真が私のアップ像を隠します。

  Img_5052

これだけの知識で、かなり見易い動画ができるのですが、最後に、こうして作った、その結果、日米韓シンポジウムでも評価された動画のサイトを貼り付けておきます。音声が小さいかもしれませんので、調整して下さい。

  

 [2021/3/1 イライザ]

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