学徒動員と原爆被爆その2-鳥取県の動員実態
島根県から呉の海軍工廠への動員実態が、ほぼ把握できたことから、次に調べてみようと思ったのは、「呉海軍工廠への学徒動員の実態はどうだったのか」ということです。
島根県の実態が、島根県立図書館の協力で明らかになりましたので、全体像を調べるため広島県立図書館を訪ねました。いろいろな資料をあたっていただいたのですが、学徒動員で呉海軍工廠へ動員された学校や生徒数に関する全体像を示す資料を見つけることはできませんでした。後日のことになりますが、別の件で原爆資料館の資料室を訪ねた時、「ひょっとすると呉にある大和ミュージアムにあるかもしれないですね」とアドバイスを受け、大和ミュージアムに問い合わせたのですが、「当館には動員数についての資料は所蔵しておりません。」との返事が返ってきました。重ねて「学徒動員に関する資料はどんなものがありますか」と問い合わせたところ、「呉海軍工廠への動員に関する資料は、当館では学徒動員の様子を描いた絵画や、手記、当時使用していた鉢巻きがございます。」とのメールが送られてきました。呉市の市史編さん室にも問い合わせましたが、「動員の受け手である呉海軍工廠側の記録は所蔵していません。」との回答でした。学徒動員の実態は、当然記録されていたはずですが、結局、呉海軍工廠に学徒動員された人たちの記録は現存しないということです。終戦時、軍は大量の文書類を焼却したといわれていますので、その中に含まれていたとしか考えられません。「記録が残されていない」ことに疑問を感じますが、今日はこのことが主題ではありませんので、先に進みます。
県立図書館を訪れた時のことに戻ります。ここでも、全体像を示す資料は見つかりませんでしたが、一つの貴重な資料に出会うことが出来ました。その資料には、「鳥取県の動員実態」が書かれていました。
資料は「『4人の‟勤労動員学徒“日記』~呉海軍工廠・広海軍工廠から」のタイトルが付けられ、発行者として「鳥取敬愛高等学校社会部」と書かれています。
鳥取敬愛高校は、鳥取市内にある私立の高等学校です。このパンフレットは、鳥取敬愛高校社会部の平成19年(2007年)の活動報告が、A4判で130ページ余りにまとめられています。主な内容は、4人(うち2人は呉海軍工廠へ、残りの2人は広海軍工廠へ)の学徒動員日記とそれをもとに調査して明らかになったことです。
豊富な内容ですが、その終わりの方に鳥取県から呉海軍工廠に派遣された学徒動員の人数が書かれています。それは、昭和19年(1944年)9月21日付日本海新聞の記事を書き写したしたもので「学園挙げて勤労動員 広島県へ二千余名出動」(原文は、旧漢字)とのタイトルで、広島県に動員される学校ごとの人数が書かれています。17の学校名と学校ごとに人数が書かれおり、合計すると2400名になります。この人数は、島根県の人数を上回っていますが、その理由は定かではありませんが、島根の今市高等女学校に陸軍被服支廠の学校工場ができたことなどが原因だったのでしょうか。それにしても島根、鳥取の両県あわせると4000名を超えることになります。びっくりする人数です。また、この新聞記事には、「県内出動」として県内に動員された学校名とそれぞれの人数も記載されています。こちらは、12校3473人となっています。両方に名前がある学校が6校あります。
鳥取敬愛高等学校の前身は、「鳥取高等家政女学校」ですが、この学校からは、呉に338名が動員されていますが、このパンフレットで取り上げているのは、別の学校・米子工業学校の動員者です。自分の学校のことは、前年に調査しているようですが、その資料は、県立図書館には存在しませんでしたので、どん内容か確認することが出来ませんでしたので、後日学校に電話をかけて問い合わせました。
このパンフレットに引用された日本海新聞の記事で、鳥取県からの学徒動員の実態を把握することが出来ましたが、パンフレットには、もう一つ「米子工業学校生の入市被爆」に関する貴重な調査報告が記されていました。
その内容は、電話でお聞きしたことや他の被爆体験記と共に次回(24日)紹介することにします。最後に、このパンフレットの「おわりに」に書かれていた次の文章を紹介し、今日の報告を終わります。
「鳥取県からは大勢の学徒が動員されたにもかかわらず、鳥取県にも呉市にも資料が残っていません。終戦直後に軍関係に資料が焼却処分されたからです。」
いのちとうとし
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