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2021年2月 9日 (火)

出雲の建物疎開

1月26日のブログ「広島被服支廠と出雲」(https://kokoro2016.cocolog-nifty.com/shinkokoro/2021/01/post-17533b.html)で、島根県出雲市の建物疎開のことを次のように紹介しました。「終戦も近くなった7月9日には、島根県でも命令が出され、出雲市でも250戸の目標が立てられてようです。校名になっている『今市』は、出雲市の中心部、商店街が密集する地域の地名です。建物疎開の対象となったのは、この今市地区だと思います。完了目標は、8月20日だったようですので、実際に建物疎開作業がどこまで進んだのかわかりませんが、こんな田舎の都市にまで空襲の危険が迫っていたというのですから、戦争の継続などあり得なかったのです。この建物疎開が実際にどう進んだのかを、出雲在住の同級生に依頼し調べてもらうことにしました。」と。

同級生は、「ワン・ライン」という会社を立ち上げ、出雲市に拠点を置き、郷土出雲を紹介する本を中心に出版していますので、何か情報を持っているのではと思い、電話をしました。「建物疎開?調べて連絡するよ」との返事でしたが、すぐその日のうちに電話が入り「わが社で出した本に建物疎開のことを書いたものがあるので、そこをコピーして送るよ」との返事。翌日に、コピー2枚が入った封書が届きました。

出典は、ワン・ラインが、出雲市制50周年を記念して1992年に発行した写真集「出雲 思い出と飛躍」です。この本は、出版時に送ってもらっていましたので、わが家の書棚にありました。

Img019_20210208160801

送られてきたコピーには、ページがきちんと映っていますので、写真集を開き確認しました。該当するページには、「戦火の陰に」のタイトルが付けられ、「戦死者の村葬」と「建物強制疎開」の様子が写真とともに掲載されています。「建物強制疎開」には、当時建物疎開の対象となった場所の地図が掲載されています。そこは、間違いなく、当時の出雲市の中心今市町です。

Photo_20210208160901

右側は、現在の出雲市駅から250メートル北から始まり、現在の出雲市役所方面に230メートル余りが対象となっています。地図をよく見ると、ちょうどこのあたりから北側は道路が狭くなっていたため対象となったように思われます。左側は、上記の位置から東に280メートルほど離れた場所です。いずれも今市町の中心部です。ただ、これだけでは仮に空襲があった場合、どれだけの延焼を防ぐことができたかは、疑問です。地図の下側には、わかり難いのですが、建物疎開途中の街並みを写した写真も掲載されています。

Photo_20210208161001

何時写した写真かわかりませんが、何故か軒先に日の丸の旗が出ているのが不思議です。

建物疎開の情報はこれだけでしたが、1ページ前のコピーも同封されていました。そのページには「銃後の守り」というタイトルが付けられ、3枚の写真が掲載されています。その3枚目は、「女学生も戦力」という見出しが付けられた、126日のブログで紹介した「被服支廠の学校工場」となった今市高等女学校の生徒の写真が掲載されています。

Photo_20210208161002

解説文には「勤労奉仕などに励んでいた女学生も、19年には学校工場化要綱によって工員として働いた。この写真は、20年3月、今市高等女学校(現出雲高校)の卒業写真である。鉢巻きを締めモンペをはいて胸には住所・氏名・血液型を書いた名札を縫い付けている。彼女たちの青春も戦争の中にあった。」と書かれています。

解説にあるように「卒業写真」ですが、鉢巻き姿で映っているのにびっくりしました。学徒動員で作業中に原爆の犠牲となった女学生の集合写真を今までに何枚か見たことがありますが、鉢巻き姿で写った写真は見た記憶がありません。

鉢巻きの真ん中には、日の丸が描かれているように見えますが、よくよく見ると今市高等学校の校章(上の紋)だということがわかりました。卒業写真も鉢巻き姿ですので、毎日工場で働いている時も、鉢巻きを締めて作業をしていたことが想像できます。

Marks

「のどかな田舎だ」と思っていた出雲にも、戦争が身近にあったことを今回初めて知ることになりました。

いのちとうとし

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コメント

いのちとうとし様

偶々、ネットで検索しておりましたら、貴方様の書き込みを拝見いたしました。
広島県立図書館に「鳶色の襟章」と云う本が登録されております。この本は、当時の海軍の技術士官だった方の回想録です。(昭和52年発行)2冊の構成で、「続 鳶色の襟章」の本のP426に「少女たちの歌声」と云う箇所をお読みください。おぼろげですが、ある程度の概略は分かると思われます。
また、アマゾンの古書でも入手は可能のようです。また、この本は、海軍関係者に広く読まれたので、その後、平成4年(1994年)に、「造船士官の回想」と云う名前で、再出版されたそうです。

通りすがりさま
コメントありがとうございます。
貴重の情報提供に感謝します。
県立図書館は、近くですので、調べてみたいと思います。
「少女たちの歌声」、学徒動員で呉海軍工廠に行っていた人たちの声でしょうかね。終戦後、郷里への帰途、広島駅で入市被爆することになった女学生の被爆体験記にも、呉で迎えた卒業式の時、「海ゆかば」を合唱したということが書かれていました。
17日、18日頃もう少しまとめて、に島根学徒報国隊のことを書きたいと思っています。
その時、まだブログ見ていただけるとうれしですね。

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