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2021年1月 4日 (月)

「2021年度ヒロシマ平和カレンダー」完成に寄せて

2020年10月、被爆者の切明千枝子さんの体験談を聞いた。「かつて広島の人は『軍都』と呼ばれることに誇りを持っていた」「戦争は加害と被害が表裏一体だ。広島ではつい『被爆地』ということに意識がいき、『軍都』としての加害の歴史が忘れられる。加害の歴史を知って、平和について考えていってほしい」との言葉が今も心に響いている。

2021年度ヒロシマ平和カレンダーは、「軍都だった廣島 軍事都市から平和を祈る街へ」とのテーマで制作された。今回で40作目となるが、正面から「加害」の歴史を扱ったのはおそらく初めてとなる。戦場へ赴く数多くの兵士を見送った宇品港に始まり、「大本営」が置かれていた広島城、大久野島、そして安野発電所等と続く。日本のアジアへの侵略を示す地図も掲載されている。

Photo_20210102141901

2021年度ヒロシマ平和カレンダー

「軍都だった廣島 軍事都市から平和を祈る街へ」

宇品港、広島城、大久野島、安野発電所、韓国・朝鮮人の原爆犠牲、似島、被服支廠等をテーマに作成

http://www.hipe.jp/

「正しく」歴史を学ぶことは必要である。そのことは過去の失敗に学び、それを教訓としてよりよい未来を創っていくために欠かすことのできない営みである。学校現場等で「平和」を考える時、とかく「被爆地」ヒロシマに焦点化したものとなっているように思う。しかし、ヒロシマは194586日を起点にするのではなく、その50年近く前に遡って考えていかなければ正しい歴史を学んだことにはならない。

広島に住む人々の意思に関係なく、為政者により「軍都・廣島」が形づくられていく。日清戦争では「大本営」が置かれ明治天皇が一時住んでいたこともあった。そうして、廣島はアジアを植民地として獲得するための拠点となっていった。町の至る所に軍需工場が立ち並んでもいた。このような歴史の上に86日を迎えたのだ。まさに、加害と被害が折り重なり合っていた歴史がそこにある。加害と被害は必ず根底において結びついている。どちらか一方だけを知るだけでは、一面的なものになる。ヒロシマの歴史について正しく多角的に学ぶことを忘れてはならない。

また、平和について人権の視点から考えると、他者の人権をないがしろにすると、自分たちの人権も同じように踏みにじられることにつながることがあると、ヒロシマの教訓から学ぶことができる。戦争は、人権を完全に否定する。改めて日常的にどれほど人権を大切なものとして考えているか問い直したい。自分の人権はもちろん、近くにいる他者の人権が侵害されている時に、「おかしい」と感じられているだろうか。空気のように当たり前にある人権がないと困ると意識できているだろうか。一人ひとりが人権意識を高めていくことこそが平和な社会を構築していくことに必ず繋がると思う。

切明さんは、「加害の歴史を知らずに、被爆して多大な被害を受けたと語っても空しいだけ」とも述べている。平和な社会は世界の人々とともにつくりあげていくものである。そうであるならば、加害の歴史をしっかり腹に据えて世界の人々、とりわけアジアの人々と向き合わなければならないだろう。

数年前のある教育研究集会で、日本の加害の歴史にスポットを当てた平和教育の実践が発表されていた。それは、15歳で毒ガス製造に携わった藤本安馬さんが、戦後は自らが加害者であることに心を痛め、謝罪の旅を続けるということを扱ったものだった。藤本さんの謝罪に対し、中国の方は、「あなたに会えて良かった。戦争はみんなを不幸にします。二つの国が仲良くなり、平和な世界ができるよう力を合わせましょう」と語った。藤本さんが加害の歴史から目をそらすことなく謝罪の旅を続ける姿に、子どもたちは心を打たれ大切なことを学んだはずだ。

最後にもう一度、切明さんの言葉を引用する。「黙ってじっと座っていても、平和は向こうからやって来てはくれない。一生懸命たぐり寄せて、つかんで、守っていかねばならない」……被爆地として核廃絶を声高に叫ぶことはもちろんだが、同時に「軍都」として栄えた悔恨の歴史を忘れることなく、人権がないがしろにされ、経済や社会において軍事化にひた走る今の世の中について、私たちは警鐘を鳴らし続けなければならない。そのことが、これからの日本を担い、平和な未来をつくる自分たちに託された使命ではないだろうか。

<未来の空>

〈編集者注〉この原稿は、昨年末に送っていただいたのですが、「平和カレンダー」は、毎年4月1日から始まりますので、今日掲載しました。

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