「ブラジル被爆者平和協会」が解散
私が、ブラジル被爆者平和協会が昨年12月31日に解散したことを知ったのは、今年の1月10日付で発表された核兵器禁止条約発効を歓迎する声明文ともに送られてきた森田隆会長の「お礼の言葉」が届いたからです。。
解散するに至った経緯が、次のように記されています。
「昨年の12月31日をもちまして、36年間続けてきましたブラジル被爆者平和協会を解散いたしました。解散前に皆様に相談するのが本来の行き方ですが、それが出来ず誠に申し訳なく思っています。
この会を解散しようと会員の方々と少しずつ話し合っていたのは、2019年ブラジルの3病院での現地治療が認められ、それが軌道に乗りもう大丈夫となってきた昨年2月頃です。これで私たちが協会を作るために望んでいた一つの願いが達せられたからです。丁度コロナウイリスの発生が問題になる頃でした。」
これまでの活動についても書かれています。
「また私の名前が明記されたTAKASHI MORITA工業高校、サンパウロ市の名誉市民賞を頂いた事。協会役員がサンパウロ州議会から、州の最高賞である平和に貢献したとする功労章を頂いた事など、また協会の名称をブラジル被爆者平和協会と名付けたことから、今では『被爆者』という言葉が、日本の広島と長崎で原爆被害にあった人々を表す言葉としてブラジルの多くの人々に認識された事など、36年間の活動の賜物です」
解散を決意されたのは、長年要望されていた「現地の病院での治療」が認められたことが大きな要因となったようですが、同時に被爆者の高齢化が進んだことも原因だったと思われます。
同時に送られてきた「声明文」からもそのことが推測できます。「1984年、被爆者17名で設立された『ブラジル被爆者平和協会』は、約270名で、現在の生存者は74名です。協会設立の目的であった”世界の平和”と”被爆者現地治療”を求めて36年間運動を続けて来ました。待望の現地治療は2019年4月より現地医療機関と日本政府間の協定により可能となりました。」
「在ブラジル原爆被爆者協会」の名前での発足した協会は「①在ブラジル被爆者協会は、世界の平和を願い再び原爆の惨禍をこの地上に受けぬよう、すべての国の人々に平和のメッセージを送る。②在ブラジル被爆者協会は、海外に居住するすべての国の日本人原爆被爆者とともに、当然の権利として日本国内の被爆者と同様の原爆被爆者関係の法律の適用を受けるべく、協力に各方面に申請する。」の目的を実現するために活動を続けてこられました。当初の目的には「日本人原爆被爆者とともに」となっていましたが、1998年に在韓被爆者郭貴勲裁判が始まると、韓国被爆者協会、米国被爆者協会のみなさんと共に日本被団協主催の集会に参加し、その後「在外被爆者」の立場で共闘することになりました。そして郭貴勲裁判では、米国被爆者協会倉本寛治会長と共に森田隆会長が原告証人として証言台に立ち「戦争中、そして被爆した時、やはり韓国の方、北朝鮮の方も日本人として参加しておられたはずです。そして、広島、長崎において原爆を受けた時には、私ども日本人と同じだったと思います。国が違い、場所が違っても被爆者には間違いありませんから、そういう方々に、一日も早い援護の手を差しのべていただきたいと、外地にいる日本人として特に裁判長にお願いしたいと思っています。」(証言のママ)と訴えられました。「北朝鮮」という表現ですが、在朝被爆者にも言及されていることが目を引きます。
私と森田さんの最初の出会いもちょうどこの頃です。以後、今も交流が続いています。
日本政府を相手に裁判を起こすことに否定的だったといわれる森田隆さんでしたが、こうした活動を経験する中で、ご自身が裁判を提訴し勝訴を勝ち取ることになったのです。
国内、県内でも高齢化が進み被爆者組織の解散が伝わってきますが、こうした時期に「ブラジル被爆者平和協会」が解散したことは、この間の素晴らしい活動を知るものとしては、本当に寂しく残念な気持ちになります。しかし、協会発足以来その中心として活躍されてきた森田隆会長の96歳という年齢を考えると無理も言えないとの思いになります。
森田さんが、いつまでもお元気でご活躍されることを遠く日本の地からお祈りいたします。
いのちとうとし
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