新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その2 ――そのためにも、「成功例」から学ぼう――
新たな決意で核のない平和な世界を目指そう・その2
――そのためにも、「成功例」から学ぼう――
前回は、核兵器禁止条約が発効した後の目標として、「2040ビジョン」を提案しました。
2040ビジョン
- 出発点: 今
- 最終目標: 2040年までに、核なき世界の実現と核の脅威からの解放を達成
- 中間目標: 2030年までに、日本政府が核兵器禁止条約を批准する
この目標達成のために、これまでの「成功例」から教訓を汲んで、さらには新機軸も加えてがばろうという趣旨なのですが、まずは、核兵器禁止条約以前に達成された重要な成果をいくつか挙げておきましょう。
- 1963年の部分核停条約は、大気圏内での核実験を禁止しました。これは、ビキニ環礁でのアメリカの核実験の結果、第五福竜丸が被曝したことから核実験禁止運動が起り、1955年には原水爆禁止世界大会が開かれるという、世界規模での核実験と核兵器に反対する運動の成果でした。
- しかし、フランスと中国はこの条約を無視。特にフランスは南太平洋で大気中核実験を続けました。それに対抗してオーストラリアとニュージーランドが1973年に国際司法裁判所 (ICJ) に提訴し、フランスは核実験を中止しました。それに力を得て、核兵器が国際法違反であることを、ICJの勧告的意見として認定して貰う世界法廷運動 (WCP) が1986年に始まり、その結果、WHOと国連総会における多数決の決議として、ICJに勧告的意見をまとめるように要請することが決りました。それに応えて1996年にICJは、「一般的には」という条件付きではありますが、核兵器の使用と使用するという脅迫は国際法違反であることを認めました。
- ICJによる勧告的意見の採択要請が世界的に支持されたのは、1970年代から1980年代にかけて起きた世界的な反核運動があったからです。その象徴が1978年、1982年、1988年に開かれた、第一回から第三回までの国連軍縮特別総会です。1982年のニューヨークにおける100万人デモ・集会は、忘れられない出来事でした。アメリカでの核凍結運動がその中心的存在だったのですが、遂には、1986年にレイキャビックで開かれたアメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長との首脳会談で、全面的核廃絶の合意に達するという成果を挙げました。これは、ある反核運動のリーダーの言葉を借りると、「High Priesthood of Nuclear Technocracy」によって葬り去られましたが、世界の世論が二人の首脳の間の合意という大きな成果を挙げていたことはもっと良く知られるべきですし、このような合意を実現させるための次のステップについても、私たちがしっかり準備をしておくべきことを教えてくれています。
- 勧告的意見の重要な影響が、スコットランドのグリーノックという地域における裁判に現れました。1999年10月21日、スコットランドのグリーノック裁判所の判決では、「国際トライデント・プラウシェアー 2000」に属するアンジー・ゼルダー、ウラ・ローダー、エレン・モクスリーの3人が無罪になりました。この3人は、トライデント潜水艦の運用に必要な実験器具を破壊した罪で告訴されていたのですが、被告の無罪主張の根拠は、ICJ勧告的意見とニュルンベルグ原則でした。もっとも、この判決は後にスコットランドの刑事上級裁判所で覆されたのですが、無罪そのものは確定しており、核廃絶運動における非暴力・抵抗という手段が国際的に認められたという大きな成果です。
- 勧告的意見と同じ年、1996年に採択された包括的核実験禁止条約は、まだ効力を持っていませんが、それでも1996年以降の世界の核実験数は、それ以前と比べて限りなく「ゼロ」に近付いています。これも、世界の世論の力です。
- 1972年の生物兵器禁止条約、1983年の特定通常兵器使用禁止制限条約、1992年の化学兵器禁止条約、そして世界的に注目された対人地雷禁止条約は1999年に発効しています。これらの条約もWCPやTPNWと同様の作戦に依存しているのですが、核兵器廃絶に注目するという立場から、詳細は割愛します。
- 2014年には、二つの大きな出来事がありました。一つは、マーシャル諸島共和国が、核保有9カ国をICJに提訴したことです。それは、「誠実な交渉義務」を規定しているNPTの6条に違反しているという訴えです。事実、これらの国々は、核兵器禁止のための様々な機会を無視し続けて来ていましたし、その後、国連総意が設置した「公開作業部会 (OEWGと略)」には不参加でした。管轄権の問題で、ICJからは却下されましたが、世界世論を喚起し、多くの支持を得る上では重要な役割を果しました。
- もう一つは、スコットランドがイギリスから独立すべきかどうかについての住民投票がスコットランドで実施されたことです。独立の目的は、外交・防衛や予算の面でイギリスからの独立を目指すことでしたが、端的に表現すると、核兵器を廃絶して非核保有国として独立し、NATOからも脱退するということなのです。残念ながら、独立には至りませんでしたが、イギリスがEUから離脱した現在では独立賛成派が勝つ可能性も見えて来ています。
- そして、2017年に核兵器禁止条約が採択されました。
それでは、これらの成功例を元にして「2040ビジョン」実現のために、まずどのような出発点があり得るのかについて、次回から考えて行きましょう。
[2021/1/11 イライザ]
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オーストラリア⇒確か、映画『渚にて』On the Beach 1959の
主題歌♪waltzing matilda♪ワルツィング・マチルダ を
国歌にした→だけあって→そういう毅然とした素地はあった
わけねと→でも何か不確かと🔎→国歌でなく愛国歌愛国歌だった!
→「非公式の国歌」でもあるとかだけど。
ショーン・コネリー⇒”ScotlandForever”の刺青を腕
だかに入れていた→スコットランドが独立するまで
帰らないとかのバハマで結局、生を閉じたが、知名度を活かして
一肌も二肌も、いや咳払いひとつでもしてくれていたら
効果絶大であったろうに、残念。
この前のEU離脱国民投票の時に、非核・脱NATOという
スコットランドの気骨を知りました。
(先週金曜日(緊急事態..初日)と今日、用事で池袋へ。
デパートへは寄りませんでしたが山手線も街中も人の出は
変らずです)
投稿: 硬い心 | 2021年1月12日 (火) 15時00分
「硬い心」様
コメント有り難う御座いました。コメントのお礼が遅くなりましたが、その理由の一つは断水です。
我が家は大丈夫だったのですが、この地域の複数個所で水道の凍結が原因の漏水があったようで、二日間断水になりました。飲み水は、近くの市民センターで配ってくれましたし、トイレは井戸水を使いましたが、ライフラインが停止すると、通常の気持で仕事が出来なくなるのですね。まだまだ、「悟り」には程遠いことが分りました。
「成功例」はもっとあるのですが、例えば、オーストリアの活躍はもっと注目されて良いと思っています。何れ、取り上げたいと思います。
別件ですが、広島市の中心部の全ての住民にPCR検査をすることになったようです。遅きに失してはいますが、全国に広がることを祈っています。その前に、広島市からちょっと離れた我が田舎にも広がると良いのですが。
投稿: イライザ | 2021年1月15日 (金) 12時24分