軍歴と原爆死没者調査
1月7日の「父の入営」を読んでいただいたお二人から、貴重なアドバイスをいただきました。
お一人からは「軍歴を、ご存知ですか。陸軍だと、残っています。広島県庁に、尋ねる。ありました。」と書かれ、後に自分のお父さんの軍歴を調べたことが書かれていました。
もうお一人からは、「私は、母方の祖父のことで、昨年、広島県庁に問い合わせたことを思い出しました。」「知人から、広島県は、昭和初期からの兵籍簿が疎開してあったため、本籍が広島県内で陸軍に入営していれば詳細な軍歴の記録があると教えてもらい、県庁に電話して名前を言えば、記録があるかわかるというので、援護恩給グループの直通電話(082-513-3036)へ問い合わせをしてみたのです。」と教えていただきました。
貴重な情報です。原爆で焼失したと思われていた「兵籍簿」が、疎開によって残っていたのです。
「父の入営」を書くまで、父の軍歴を調べようと思ったことはなかったのですが、これを機会にきちんと調べてみたいと思います。シベリア抑留からいつ帰国したかもわかるはずですから。
父の軍歴とは別に、以前から「軍歴」というか「兵籍簿」(今回初めて正式な名前を知ったのですが)については、強い関心を持っていたのです。それは、以前何度か書いたことのある「原爆犠牲者数」を調べるためです。
「原爆犠牲者数」がはっきりしない大きな理由の一つに「当時、広島に軍人が何人いたのかはっきりしない」ということが挙げられています。もう一つの理由となっているのは「朝鮮半島出身者」についてです。「朝鮮半島出身者」の被害については、様々な推定数が、発表さえています。しかしまさに「推定」と言うほかありません。軍人以上に具体的な資料が無いためです。「当選半島出身者の被害」の問題は非常に重要な問題ですが、別の機会に改めて検証することにして、今日は「軍人」について考えてみたいと思います。
私は、「原爆犠牲者数がはっきりしない」理由の一つに「軍人」があげられていることにずっと疑問を感じていました。だいぶ前になりますが「軍人の犠牲者について、誰かこれまでに調べた人はいないのか」と、あるマスコミ関係者に聞いたことがあります。「爆心地復元地図作りに努力された広大の湯崎稔教授が、当時広島にいた部隊の生存者をさがして、手紙を送り調査をされたことがあったようですが、なかなか情報を提供してもらえず、断念されたようです。その他には、あまり記憶がないですね」との答えでした。湯崎教授は、広島県の湯崎知事のお父さんですが、1984年に54歳という若さで亡くなられました。もしもっと長生きされておれば、この調査も別の形で進んだかもしれないと悔やまれます。湯崎先生は、私の知る限りですが、1982年の「平和のためのヒロシマ行動」やその年の統一原水禁世界大会の実行委員会で、学者文化人の運営委員として活躍されていました。当時私は、その事務局員を務めていましたので、湯崎先生とは何度かお話をしたことがあります。飲み屋にも連れて行ってもらったこともありますので、湯崎先生のことはよく覚えています。ただそのころは、まだ原爆犠牲者数など深く考えることはありませんでしたので、先生にそんな大事なことを聞くことなどありません。今から思えば、貴重な時間だったのにと悔やまれます。
と書いているうち、いつものように前置きが長くなってしまいましたので、本題の「軍歴と原爆死没者調査」については、明日に引き継ぎます。
いのちとうとし
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