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2021年1月17日 (日)

コロナ対策で重要な役割を担う保健所が半減していました

コロナ感染拡大の中で、重要な役割を果たしているのが各地の保健所です。

保健所の感染症を担当する部署からの情報をもとに都道府県は毎日「感染者数」を発表していますが、保健所への負担が集中する中で、人手不足もあり、「コールセンターの電話がつながらない」「検査が遅れる」など保健所に関わる問題を指摘する声があがっています。

コロナ禍で重要な役割を果たす保健所は、全国に何カ所あると思われますか。結論から言えば、2020年現在全国で469の保健所があります。保健所は、おおざっぱに言えば「保健所は住民が病気にならないよう予防や健康づくりを進める『予防・防波堤』の行政機関」ということです。

コロナ対策が進む中で、保健所の人員配置やシステムの問題などが指摘されていますが、私がここで問題提起したいことは、この保健所の数です。

日本の保健所は、1937年に制定された保健所法によって、最初は政府(当時の厚生省)の機関として全国に49か所設置されました。

戦後は、1947年9月5日に制定された「地域保健法」が根拠となって、保健所は地方自治体の機関として設置されています。その後少しずつ増えて続け、1992年には、全国で852保健所が設置されていました。この時が、最大数でした。

ところが、1994年に「地域保健法」が改正というか「改悪」され、その後、保健所は、どんどん減少していきました。

その推移が、下の表です。

 Img009_20210116150301

2020年4月現在では、469カ所に減少しています。最も多かった1992年と比べると減少数は、383保健所で減少率は45%にも達しています。ほぼ半減と言ってよいでしょう。その中でも特徴的なことは、そのうちの258か所が、90年代の8年間に減っていることです。減少数全体の67.4%という高い数字になっています。

1990年代初め始まったのが、「効率化」「無駄を省け」の大合唱による行政機構の縮小再編成、つまり行政改革です。まさに保健所の減少もこの行政改革の流れの中で進んだわけです。この時期の行政改革の先駆けは、80年代の中曽根行革ですが、90年代に入り大きな役割を果たした一人が、小沢一郎さんだったことを私は忘れることができません。

保健所は、上の表のように、設置者によって大別すると都道府県が設置するもの(約75%)と一定規模の市((1)政令市(2)中核市(3)政令で定める市(4)特別区)が設置するもの(約25%)に分かれています。

参考までに県内の保健所設置状況を紹介します。広島県は、保健所が4、支所が3となっています。最も多かった時には、12カ所ありました。広島市は、現在1保健所です。他の政令市も、保健所は1ですが、古くからの政令市例えば、横浜市は、18の支所が置かれています。広島市より後で政令市となった仙台市は、それぞれの区ごとに国支所を設置しています。中核市の福山市にも保健所があります。

感染症対策を行う保健所がいつも大きな役割を果たすようなことは、無いに越したことはありません。できるだけない方が良いのです。しかし、万が一の緊急事態に備えて準備しておかれているのが保健所だったはずです。それを崩してしまったのが、行革だったのです。、コロナ感染が深刻な時期にこそ、行革がもたらした負の遺産と向き合い検証することが、次の過ちを繰り返さないことにつながると私は思っています。

いのちとうとし

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