新型コロナ感染と政策と責任と
2020年12月2日現在、コロナ感染者は全世界で新規感染者数491,420人、累計感染者数は63,360,234人(WHO発表)、国内は新規感染者数2,434人、累計感染者数153,488人(JX通信社発表)と、依然感染拡大が止まる気配を見せません。
新型ワクチンの話題はニュースになりますが、私たちが摂取できるまで、あとどのくらいかかるのでしょうか?また、副作用の心配は?まだまだ心配事が減る様子はなさそうです。
しかし、政府による様々な政策は果たして『功を奏している』のでしょうか?感染拡大が収まらない中での「Go To キャンペーン」、そして、海外からの観光客の受け入れ再開。「なぜ観光部門だけ?」と思わざるをえない政策ではないでしょうか。「案の定」感染者数は増加してしまいました。しかし、政府は、このキャンペーンを来年の6月まで延長するといいます。その後は、「オリンピック」。私は唖然としてしまうのです。
滑稽なのは、このキャンペーンを一時停止するか、休業要請を出すか、など多くの判断は各都道府県知事に一任されていることです。国が始めたキャンペーンに、『乗るか』『反るか』は各自が判断してほしいと。東京都知事が『はぶてる』のも当然かと思います。
一度、国が始めた施策を、「責任」だけは各自治体に丸投げする姿が、私には極端かもしれませんが、1939年に勃発した「ノモンハン事件」と重なる様に映ってしまいました。
戦時中、満州に日本陸軍最大とも呼ばれる部隊が編成されました。関東軍です。一時は47万人のも兵士が配置されたともいわれます。ノモンハン事件とは、モンゴル人民軍と旧ソビエト連邦軍対日本軍が引き起こした国境紛争です。
当時、国境があいまい(日本軍が勝手に主張する)である満州北部で、最大で日本軍2万5000人、ソビエト・モンゴル軍5万7000人が激突し、紛争ではなく、事実上戦争状態へと突き進むのでした。日ソ両軍が入り乱れ、激しい地上戦が繰り広げられ、81年経過しても、モンゴルの大平原には当時のおびただしい塹壕跡、不発弾、人骨さえも、そのままになっています。
結果は、日本軍の大敗退となり、多くの兵士の命が失われました。当時、昭和天皇直属にあった陸軍参謀本部(大本営)は、関東軍の暴走を止めるどころか、黙認していました。驚くべき事実は、このノモンハン事件へ至るまでに、たった一人の陸軍参謀が立案し、関東軍を丸め込み、大本営の命令にも従わず、敗北したという事実です。しかも、その参謀はその敗北の責任を、現地の師団長に押し付け、戦死または自決へと追いやったのでした。
あいまいな意思決定、そして情報を軽んじ、責任をなきものにした大本営。この事件の教訓は活かされぬまま、国民には伏せられたまま、1941年12月8日に開戦。さらに多くの罪なき犠牲を重ね、1945年8月15日に至ります。
さらに驚愕な事実は、この参謀は戦後も海外に潜伏し、戦犯を逃れ、あろうことか、1950年代には衆議院議員や参議院議員になり、国会に努めたという事実です。
作家の司馬遼太郎さんは、この事件を作品化しようと取材を続けましたが、「ばかばかしくなり」「日本人であることが嫌になった」と断念されたそうです。興味のある人は、NHKオンデマンドで、「ノモンハン 責任なき戦い」という特集番組があります。
さて、かなり話の筋がずれてしまいましたが、現時点でこの世界規模の新型ウィルスの感染拡大に対し、今しなければならない事はなんでしょうか?「自助」?「公助」?「共助」?
私の私見ですが、今真っ先にしなければならないことは、責任のなすりあいや、防衛費拡充だのと言っていないで、医療関係機関や、医療従事者への予算措置や、福祉、子育てなどに早急に対応し、少しでも感染拡大の防止になる「命を守る施策」が必要でなないでしょうか?場当たり的な「現金支給」などではなく、本当に困っているところへの底支えが、全く措置されていないように見えてしまうのです。
熊雄
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