宇品線のモニュメントを訪ねてー余話
11月22日から5回にわたって「宇品線のモニュメントを訪ねて」を掲載しましたが、今日はその余話です。
その一つは、「その1」で紹介した「平和橋」についてです。紹介した「平和橋」の写真は、現在の橋を写したものでした。台風被害に遭った古い鉄橋が、人道橋となり、その橋に付けられた名前が、「平和橋」だったことを紹介しました。
当時の様子を知りたいと資料をさがしたところ、1985年3月広島市企画調整局文化担当が編集し、広島都市生活研究会が発行した「河岸の戦後史 猿猴川」の中に1972年(昭和47年)3月に写した写真が掲載されていました。段原側から蟹屋方面を写しています。
写真の説明文として次のように書かれています。「広島駅から上大河駅までの通勤列車の最後の便。左の平和橋は、宇品線の花崗岩のレンガ積みの鉄橋を利用して、昭和23年に作られた木造ミニ橋でスタートした。」
この説明文では、歩道橋の完成は、昭和23年(1948年)となっています。私は、「宇品線のモニュメントを訪ねて―その1」(11月22日掲載)で「1954年9月の台風」としていますので、改めて調べてみました。どの資料を調べて書いたのか今思い出せないのですが、「1954年」は、私の大きな誤りでした。
調べてみると、この鉄橋が壊れたのは、1945年9月17日に広島市を襲った枕崎台風によるもので、その後10m下流に新鉄橋が作られ宇品線は復活、1948年になって、役割を失った旧橋の橋脚を利用して幅1.5mの歩道橋「平和橋」が架けられたというのが正しいことがわかりました。
戦後は、建物やお店などの名前に「平和」が付けらることが多くあったといわれていますが、この橋に「平和橋」と名称がつけられたのもそうした風潮の一環だったと思われます。ちなみに平和大通りに架かる「平和大橋」が完成したのは1952年です。
もう一つは、宇品線の完成です。宇品線が、わずか17日間という短い期間で完成したことは、これもすでに「宇品線のモニュメントを訪ねて―その1」で紹介しました。いくら軍の命令とはいえ、あまりにもの速さに驚かされます。
「宇品線のモニュメントを訪ねて」を書くにあたり、手元にある安芸書房によって復刻された広島市の古い地図を開いてみることがありました。その一枚に「明治38年大新版 実地踏測廣島市街全図」があります。明治38年(1905年)は、宇品線が全線開通してから11年後です。その地図の「宇品線」が走る部分をコピーしました。
「17日間の突貫工事で完成」が、なるほどとうなずける地図です。宇品線は、起点である広島駅から東に延びた後、急に右に曲がり、猿猴川を渡ると途中一カ所でゆるく左にカーブしてはいますが、ほぼ一直線に南進しています。「なるほど」という理由は、この線路の左右を見るとよくわかります。家が立て込んでいる今では全く想像することもできませんが、大きく右にカーブした後、線路が進む左右は全て田んぼのマークがついています。3分の2ほど進むと、地図では大河通と記載された土手の横を進んでいます。広島駅を出てすぐの愛宕町、荒神町では一部家の立ち退きが必要だったかもしれませんが、その他の場所では、軍命令ですから、土地の借り上げも簡単だったはずです。後は、土砂を投入し嵩上げさえすれば、一応の線路敷は、出来たと思われます。必要なのは、どれだけ多くの作業員を確保するかです。これも軍の命令ですから、確実に確保でき、作業を一気に進んだと思われます。もちろんほとんどが田んぼや干拓地ですから、軟弱地盤をどう強化するかが大変だったと想像できますが。少し難工事だったのは、先に述べた猿猴川に橋梁を家ける工事だったと思われます。
こうして完成し、日清戦争遂行に活用された宇品線ですが、仮設で作られた線路ですので、戦争が終結した翌年1896年(明治29年)12月から本施設工事が行われ、1897年(明治30年)4月に完成し、5月1日から1日8往復の営業運転が開始されました。この時、猿猴川に架かる橋梁の橋台が、石積みになったといわれていますので、仮設時は、木造であったことが想像できます。
次回の余話は、11月29日に紹介した「モニュメントMAP」の三つの駅名(上大河、被服支廠前、比治山)の調査結果を報告します。
いのちとうとし
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