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2020年12月16日 (水)

宇品線のモニュメントを訪ねてー余話その2 宇品線・駅名の変遷

今日は、11月29日の「宇品線のモニュメントを訪ねてーその3」で紹介した「上大河・兵器支廠前・比治山」の三駅の駅名変遷について、改めて検証します。

調べ直してみると、この駅名はめまぐるしく変遷していることがわかりました。それを教えてくれたのは、2012年7月に発行された「長船友則著『宇品線92年の軌跡』」です。これからの記述のほとんどは、この本「宇品線92年の軌跡」に記載されていることです。

宇品線の所有者の変遷

駅名が目まぐるしく変わる原因の一つが、宇品線の所有者の変遷があります。宇品線が、日清戦争の開戦とともに軍用線として敷設工事が始まり、17日間の突貫工事で8月20日に竣工し、大きな役割を果たしたことはすでに紹介しました。

日清戦争終結後、当時山陽本線を運営していた山陽鉄道が、陸軍省から線路を無代価で一年ごとの継続(ただし、有事の時は何時でも取り上げられる条件)で借り受け、昨日紹介したように、1897年(明治30年)5月1日から、旅客業務を開始し、1906年(明治39年)まで営業を続けます。この間に何度も軍の都合で、運休となったようです。1906年には、山陽鉄道株式会社が国有化され、陸軍、逓信両大臣の協議により鉄道作業局の所管となります。1919年(大正8年)8月には、旅客業務が廃止され、宇品線の名称が消え、貨物専用線となりますが、1930年(昭和5年)12月になって、芸備鉄道が、旅客業務を開始します。

1937年に芸備鉄道株式会社が、再び鉄道省に買収され、国有化され終戦を迎えます。そして、1949年に発足した日本国有鉄道(国鉄)が所有し、1986年10月1日に全線が廃止されます。国鉄が分割民営化されJRが発足するのが、1987年4月1日ですから、宇品線の最後は国鉄だったことになります。

駅名の変遷

広島駅と宇品駅とでスタートした宇品線ですが、1930年の芸備鉄道による旅客業務開始から、中間駅として大須口、東段原、被服支廠前、丹那の4停留所が設置され、翌1930年には、愛宕町、女子商業前、大河地蔵前の3停留所が追加設置されます。その後も人絹裏駅の設置や駅名変更などが繰り返されますが、ここからは「上大河・兵器支廠前・比治山」の三駅の変遷をたどりたいと思います。もう一度、11月29日に使った絵を掲載します。

2011291

同じ駅名が登場しますので、わかり易いように、広島駅からの距離ごとに駅名の変遷をたどります。

広島駅から2.4kmに設置された駅です。絵では、「上大河駅」となっています。

ここに最初の駅が設置されたのは、1932年9月で、駅名は「兵器支廠前」です。そして1937年の国有化の時「比治山」と変わり、1943年に休止となります。1947年3月に「上大河」で復活し、1972年に廃止になります。

次は、広島駅から2.7kmに設置された駅です。絵では「被服支廠前駅(戦後)」となっています。

この駅は、1930年12月に「被服支廠前」としてスタートします。1937年の国有化の時「上大河」となり、2.4kmにあった駅が「上大河」として復活した1947年に廃止になりました。ですから絵で(戦後)となっていますが、「被服支廠前」駅は戦後には存在していません。

次は、広島駅から2.9kmに設置された駅です。絵では、「比治山駅(戦前)」となっています。

この駅は、1903年に設置されますが、1919年8月に廃止となり、その後復活することはありませんでした。

わずか500mの間で、3駅の名称が複雑に使用されていることがわかります。そして戦後(1947年)には、兵器支廠跡(現広大病院)に広島県庁や広島財務局などが入居することになったことから、最終的に2.4kmの現広大病院正門前にあった駅に集約されたものと思われます。

この中で、特に興味を引いたのは、「兵器支廠前」と「被服支廠前」の駅名でしたので、広島県立図書館が所蔵する「時刻表復刻版」をさがしてみました。この両駅名が載った時刻表は「昭和10年十月」号の一冊だけでした。しかし、駅名が書かれているのみで肝心の時刻表はありません。

Photo_20201215134001

Photo_20201215134002

この時刻表には、「人絹裏」駅もあります。

広島駅―宇品駅間の距離は、わずかに5.9kmしかありませんが、一番多い時は、9駅がありました。しかし所要時間はあまり変わらなかったようです。1934年(昭和9年)12月の時刻表には、「運転時間17分を要し」とだけ書かれていました。1946年(昭和21年)2月の時刻表では、中間駅が5駅しかありませんが、それでも時刻表の所要時間は、18分です。1964年(昭和39年)10月の時刻表でも中間駅は5駅ですが、所要時間は16分です。近距離路線だった宇品線の所要時間は、時代や駅数とはほとんど関わりなく16分から18分の所要時間だったようです。

調べてみると不思議なことに沢山であった「宇品線のモニュメント」を訪ねる散策でした。

いのちとうとし

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