いのちとうとしの今年最後のブログです。
私(いのちとうとし)が担当するブログは、今年が最後になりました。
コロナ過での一年は、かつて経験したことのない一年になりました。それでも、このブログを書くことによって、多くのことを学ぶことができました。
1月3日の「ヒロシマ 空白の被爆75年」は、中国新聞の元日の1面トップ記事を紹介しながら、最後に「私の『ヒロシマの空白』を埋める作業としてトライしてみたいと思います。年の初めに考えたことです。」とこの一年の抱負を書きました。
この抱負が「どれだけ実践できたのか」の答えを見つけることはできませんが、それでも私なりの「ヒロシマの空白」を埋める作業が、出来たように思います。ふり返って見たいと思います。
1月は「幟町国民学校―二人の被爆体験記」、「千田小学校の被爆樹木などを訪ねて」、そして3月に「原爆犠牲者 追憶之碑 廣島第一縣女」でした。この「廣島第一県女」のシリーズは、広島市が計画した「平和大通りのにぎわいづくり」との関連から調べ始めました。
「千田小学校の被爆石」からは、広島県工の同窓会訪問に繋がりました。ここで、原爆ドームを描き続けた原弘司さんが、県工の卒業生だったことを知ることになりました。その縁に引かれたかのように4月のフジグラン前で行われた「『原爆の絵8号碑』の除幕式」で、原さんの絵に出会うことになりました。そして5月、6月に市内10カ所に設置された「原爆の絵碑」を巡り歩くことになります。それぞれの碑の由来をたどることで、新たなヒロシマと出会いました。安佐南区伴まで出かけることになりましたので、ちょっと大変でしたが有意義でした。
7月の「中国から贈られた被爆者支援カンパ」のシリーズは、余話も含めて5回になりました。ずっと気になっていたことを文章にすることができて本当によかったと今も思っています。
今年の原水禁世界大会は、コロナ感染のため、初めて体験するオンライン集会となりました。私も「碑めぐり案内」を担当することになりました。碑めぐり案内のビデオ撮りも一生懸命に準備しましたが、それを契機にした「市女の慰霊碑」、「義勇隊の碑」余話では、次々と新しい事実にたどり着くことができました。
奥の深さを知ることになり、特に印象深く残っています。7月8月で終わらず、10月にも引き継ぐことになりました。
「ヒロシマ 空白の被爆75周年」に刺激されたわけではありませんが、「原爆犠牲者数」の曖昧さについては、広島のとどまらず長崎についても調べることができました。その結果、広島市の犠牲者に関連する資料は一部ですが修正することになりました。しかし、長崎の原爆犠牲者数の問題については、来年の課題として残りました。
10月に益田市匹見を訪れたことがきっかけとなり、島根県から学徒動員で広島の来ていた女学生が被爆していた事実を初めて知りました。私の母校出雲高校も、前進(戦前)は女学校でしたので、あの時期のことを調べてみたいと思います。
「原爆資料館『海外で暮らす被爆者』展示文の修正」が実現できたのも、このブログのおかげです。「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の銘文」も、どうしても書き残しておきたい問題でした。この「銘文」が、きちんとした扱いを受けるようになるのかは、来年の課題として残っています。
「宇品線のモニュメントを訪ねて」も当初は2~3回で終わるつもりでしたが、8回にもなってしましました。
調べていけばいくほどに、また新たに調べたいことを生れていくことになります。その都度、その都度新たに事実を学ぶことができました。
休みなくブログを続ける事は、悩まされることが度々でしたが、ブログを担当したおかげで「私の『ヒロシマの空白』を埋める作業」も少しは深まったような気になっています。
この一年に感謝しながら、来年もまた頑張りたいと思います。
一年間お付き合いをいただいた皆さんありがとうございました。そして定期的に原稿を寄せていただいたイライザさん、あかたつさん、木原省治さん、遊川和良さん、そして毎月2本の原稿を必ず送っていただいた広教組の皆さん、その他にも地域の活動を知らせていただいた三原地区、府中地区のみなさん本当にありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
いのちとうとし
<編集者>もちろん、明日31日には、正真正銘の今年最後のブログとなる遊川和良さんの「12月のブルーベリー農園その4」を掲載します。
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