宇品線のモニュメントを訪ねてー余話その3 被服支廠、兵器支廠の引き込み線
今日もまた、11月29日の「宇品線のモニュメントを訪ねてーその3」のその後の調査報告です。この時私は、真ん中ほどに「1939年(昭和14年)当時の駅名の記載がないのは、やはり軍関係の施設があったからだと思えます。兵器支廠、被服支廠の両軍事工場からの物資の積み出し駅として使われていたはずです。」と記述しました。
少し時間が経って「兵器支廠、被服支廠からの物資の積み出しは一般駅からではなく、それぞれの支廠に引き込み線があり、そこから積み出されたはずだ」という、こんな当たり前のことにようやく気付き、当時の様子を記した資料はないかと、調べてみました。
わが家にある資料で簡単に見つけることができました。広島市郷土資料館が、「平成25年(20104年)度広島市郷土資料館企画展」として実施した「陸軍の三廠―宇品線沿線の軍需施設―」で発行した「展示解説パンフレット」に、当時の三廠(宇品陸軍糧秣支廠、広島陸軍兵器支廠、広島陸軍被服支廠)の建物配置図が、掲載されていました。
ここでは、兵器支廠と被服支廠の建物配置図を紹介します。
まず比治山の東側にあった広島陸軍兵器支廠です。このパンフレットには、大正10年(1921年)頃の兵器支廠内建物配置図(アジア資料センター作成)が、掲載されています。全体図です。
宇品線とかかわりのある部分を拡大しました。
この図の左側に走る宇品線に沿う形で、物資積み下ろし用の引き込み線があるのがはっきりとわかります。かなり長い「積卸場」が、はっきりと描かれています。この「積卸場」に向けて縦横にトロッコの線路(図では、「軽便軌道」となっている)が敷かれているのがわかります。ここから、大量の兵器や弾薬が積みだされ、修理の兵器が降ろされたのです。鉄道こそが重要な役割を担ったのです。このパンフレットには、「コラム陸軍兵器支廠大爆発」が囲み記事として掲載されていますが、この大爆発は、地図と同じ年の大正10年(1921年)8月8日だったそうです。「この事故により、近隣住民は避難に追われたり、飛散した弾丸や破片で家屋が破損ており、市民に与えた影響が強かったため、すぐに火薬庫の移転が叫ばれ始めました。」と紹介しています。その後「火薬庫移転」を求める署名活動も行われたそうですが、その結末は、また別の機会に紹介したいと思います。
次は、今全棟の保存を求めて運動が起こっている広島陸軍被服支廠です。この解説パンフレットには、以前にこのブログで紹介した橋本秀夫さんが作図された被服支廠構内図が、使われています。まず全体図です。
宇品線とかかわりのある部分を拡大しました。
よく見ると、この図には、「比治山駅」が明示され、そこから被服支廠の引き込み線が敷かれ、2本のプラットホームを経て、再び宇品線に繋がっていることが、わかります。兵器支廠と同じように被服支廠の各建物を結ぶようにトロッコの線路が敷かれ、2本のプラットホームで積卸されたものが、各工場に運搬され、倉庫(被爆建物として現存しているもの)に保管され積み出しが行われていたことがわかります。
全体図の右上には、兵器支廠の引き込み線も描かれ、そこには「兵器支廠上大河駅」と駅名まで記載されています。
この二つの支廠の引き込み線を見ていくだけでも、宇品線が戦争と深いかかわりを持っていたことが、よくわかります。逆に言えば、宇品線があったからこそ、その沿線に軍需施設が建設されたと言ってよいと思います。
兵器支廠の前身である「比治山兵器庫」が設置されたのは1907年(明治40年)です。
被服支廠の前身である戦地から返ってきた還送被服品の洗濯工場「陸軍被服支廠広島派出所」の建設が決定したのは日露戦争中の1905年(明治38年)1月、翌年11月に完成、そして1907年(明治40年)10月9日に「広島陸軍被服支廠」に昇格します。その後、両支廠とも拡大に拡大を続け、被爆、終戦を迎えることになります。軍都廣島の発展とともに宇品線の役割もますます大きくなっていたのです。
いのちとうとし
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