お好み焼 KAJISAN(かじさん)と森瀧市郎先生
久しぶりに、比治山トンネルの西入口近くにある「お好み焼き KAJISA」に行きました。
最初にお店に入ったのは、数年前。お店の外の値札に「肉玉そば 500円」が目に付いたからです。「今時、肉玉そばが終日500円。安い」と思ったのがきっかけです。この値段、35年前から変わっていないそうです。500円ですが、キャベツがたっぷり入りボリュウムがあります。
後で知ったのですが、このお店はテレビや新聞で何度も紹介されています。ですから知っている方も多いと思います。店を営む梶山敏子さんは、原爆孤児だったからです。最初に店に入った時には、梶山さんが原爆孤児だったことは全く知りませんでした。
そんなに何度も通ったわけではありませんが、2回目だったと思いますが、お好みを焼く梶山さんと話していると、意外な事実を知らされました。
右端奥に鶴見橋があります
話のきっかけが何だったのかは覚えていませんが、「私はね、森瀧先生と少し関わりがあるのですよ。森瀧先生が亡くなられた時に造られた本に、私も追悼文を載せているのです。森瀧先生は、優しかったです。」との話です。この話に出る「本」とは、森瀧市郎先生が亡くなられた翌年(1995年)7月発刊した「人類は生きねばならぬ 森瀧市郎の歩み」と題した「森瀧市郎追悼集」のことです。8人の刊行委員の一人に私も名を連ねていますが、梶山さんの名前はすっかり忘れていました。帰宅してすぐに追悼集を確かめると、間違いなく梶山敏子さんの名前があります。
梶山さんの追悼文は、「広島子どもを守る会代表」として、次のように書かれています。
「今年もお正月明けに、先生から賀状を頂戴致しました。『頌春 ‟いのちとうとし“1994年元旦』と書かれていました。温かくて力強い文字の賀状です。それから三週間もたたない1月25日、先生の訃報に接しました。深い悲しみを覚えています。 思い返しますと、昭和28年、原爆孤児精神養子運動が展開された時に、森瀧先生と初めてお会いしました。原爆で親を亡くした私たちに精神親をさがして下さる架け橋になって下さいました。たくさんの愛情を注いでくださり、今日まで私たちが強く明るく生きてきたのも、先生のおかげと深く感謝しています。32年前に、同じ境遇で結ばれた私たち夫婦の結婚式に列席して下さり、祝辞を頂いたことを鮮明に覚えています。」その後に、先生が亡くなられる3年前に開かれた「広島子どもを守る会 思い出と感謝の集い」で森滝先生と再会したことが懐かしく触れられ、追悼のことばとなっています。
ようやくうろ覚えに思い出しました。この追悼文は、1994年2月5日に国際会議場で行った「お別れ会」の会場で、梶山さんが述べた「お別れのことば」でした。
文中に出てくる「結婚式」は、「広島子どもを守る会」で出会った一歳年上の夫昇さんと1962年3月27日に行われた「テレビ結婚式」のことです。その後、1965年に会社勤めの夫の留守中、自宅でできる手軽な商売ということでお好み焼き屋が開店しました。会社勤めだった昇さんは、仕入れなどの裏方で手伝っておられたようですが、会社を退職してからは一緒にお店に立っておられます。お店は、都市計画や比治山トンネルの開通などで建て替えはあったようですが、ほぼ現在地での営業が続き、今に至っています。
お店の名前は、当初は、息子さんの提案で「梶山」をもじって「かじさん」だったようですが、今のお店に建て替えた時、「KAJISAN」に替えたとのことです。
のれんをくぐりガラス戸を開けると、「いらっしゃい」の元気な声が出迎え、誰にでも笑顔で気さくに話しかけてくれる梶山敏子さん、そしてそれをやさしく見守る昇さんの姿があります。
「KAJISAN」さんは、また立ち寄りたいお好み焼き屋さんです。そして長く続いてほしいお店です。
いのちとうとし
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