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2020年10月19日 (月)

第13回中国人受難者を追悼し平和と友好を祈念する集い

昨日午後1時半から、安芸太田町坪野の中国電力安野発電所内に建つ「安野中国人受難之碑」前で、「第13回中国人受難者を追悼し平和と友好を祈念する集い」が開催されました。

毎年この集いには、中国の遺族代表が参加していましたが、今年はコロナの影響で不参加での開催となりました。

全員で黙とうをささげた後、主催者を代表して「広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会」世話人代表の足立修一弁護士が「中国のご遺族をお招きすることができませんでしたが、今後も『継承する会』として、和解事業によって築かれた日中間の友好と交流を深め、被害者の追悼、歴史の継承を、皆さま方とともに継続していく決意を申し上げる」とあいさつ。

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続いて中国から届いた「安野中国人受難者・遺族」からのメッセージが読み上げられました。「本日、ここで追悼活動が行われることには二つの意義があります。一つは、今年は抗日戦争勝利75周年であることです。もう一つは、記念碑の除幕式10周年であることです。(中略)この記念碑は、歴史を継承し続けるだけでなく、中日人民の友好の証人であることを固く信じています。日中両国、そして両国人民が世代を継いで友好でありますように!」

続いて来賓のあいさつ。橋本博明安芸太田町長、藤井慧心善福寺住職、頼信直枝広島県教職員組合執行委員長と続きました。中国駐大阪総領事館からは何振良大使級総領事のメッセージが届きました。

あいさつが終わり、竹内ふみのさんによる追悼のための二胡の演奏です。

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演目は「燕になりたい」です。遠く離れた異国の地に強制連行され、強制労働を強いられた受難者の人たちの「故郷に帰りたい」という思いを込めて作られた曲と感じました。竹内さんには毎年二胡を演奏していただいています。続いて、参加者全員による献花です。竹内さんの二胡の演奏が続く中、一人ひとり思いを込めての献花が続きます。演奏された曲目は「陽関三畳」です。「陽関三畳」は、中国唐時代の詩人王維が作った別れの歌で「別れを惜しむ」ことを意味しているそうですが、こうした追悼の場にもふさわしい曲でした。竹内ふみのさんいつもありがとうございます。41名の献花が終わり、集いは終了しました。

例年は、この後発電所の上にある導水路まで上がり、当時に思いをはせるのですが、今年は中止することになりました。

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集い終了後、場所を善福寺に移し、追悼法要です。安野に強制連行された中国人は360名ですが、29名が再び故郷に帰ることなく、命を失っています。3人は、日本に来る途中で、5名は、原爆によって命を奪われました。21名は、この地安野で過酷な労働を強いられ命をなくしています。そのうちの5名の遺骨が、ここ善福寺にあずけられていましたが、1958年に中国に送還されました。現在、その遺骨は中国の天津にある「在日殉難烈士・労工紀念館」に、日本から送還された他の遺骨とともに安置されています。

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善福寺では、毎回「安野中国人受難之碑」前の集いの後、追悼法要が営まれています。今回も藤井住職の読経によって法要が営まれ、全員が焼香をしました。藤井住職のご厚意で、日本式の焼香と中国から持ち帰られた中国製の線香が準備され、いずれかで焼香することになりました。多くの人が、「香も中国に届け」と中国製の線香を手に、頭を垂れました。

最後に、川原さんが「中国から来た遺族たちは、碑前での集いではなかなか心を落ち着けることができなかったようですが、善福寺の追悼法要でようやく『非常に慰められ、本当の意味で和解の気持ちが湧いてきた』と話されていました」と、ここで営まれる法要の意義を語ってくれました。

法要の最後は、栗栖薫さんの証言です。当時中学生だった栗栖さんが見た中国人の様子を、当時を思い出しながら話していただきました。

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「交代時(当時は2交代で作業)、行進中掛けていた『イー、アール、サン』と掛け声も数カ月後には、疲労のため声が聞こえなくなった。トンネル内は水だらけ、その中に浸かりながらの作業。1945年になると食べるものも毎食こぶし大の万頭が一個になってしまった」などなど。栗栖さんは、1998年1月に提訴した広島地裁の審理で証言台に立ち、当時の様子を詳しく証言されています。来日した中国人の人たちにも語りつづけてこられました。

これで全ての日程が無事に終了しました。中国の遺族代表が参加しないつどい・法要は少し寂しさを感じました。ぜひ来年は来日できるよう今から祈っていたいと思います。

いのちとうとし

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