韓国人被爆者崔英順(チェ・ヨンスン)さんの被爆体験手記
今日は、昨日の「益田市匹見町の朝鮮人のお墓」で触れた韓国人被爆者崔英順(チェ・ヨンスン)さんのことです。
崔英順さんの被爆体験は、韓国の原爆被害者を救援する市民の会が、昨年6月に発行した「ヒロシマへ・・・ 韓国の被爆者の手記」に詳しく記載されています。下の写真のように本のタイトルにはハングルが使われていますが、私のパソコンには、ハングルがありあせんので本の題名は「ヒロシマへ・・・」だけにしました。
この体験記が最初に発刊されたのは1987年7月5日ですが、「自分の国が植民地にされてしまうとはどういうことなのか、原子爆弾は人間の生命や生活をどのように破壊してしまうのか、私たちが知っておかなければならないことを教えてくれています。・・・三人の手記をこれからも若い人たちによく続けてほしいと思い改訂版を出版することになりました」(巻頭言より抜粋)との思いで、昨年再刊されました。
この体験記には、巻頭言にもあるように三人の韓国人女性被爆者の日本語でつづられた手記が掲載されています。崔英順さんの手記は「ヒロシマを持って帰りたい」の題で、最初に載っています。崔さんの全ての体験記を紹介することはできませんので、小見出しを列挙します。
「日本へ渡ったアボジ(父)/民族を守り伝えたオモニ(母)/小学校の恩師久保田先生の話/幼なじみの竹内さんの話/ますだ高女への合格/被爆/、いっしょに被爆した人の証言/、帰国/、結婚/、病気がひどくなって/、在日韓国人被爆者を訪ねて/治療なかばで帰国」です。
なぜ益田市匹見(当時は匹見町)に来たのか、なぜ広島で被爆したのか、そして帰国後の生活の様子などが詳しく書かれていますので、今でも入手可能ですので、是非一読してほしいと思います。
私が、この手記を読み、特に関心を持ったのは、広島県外の島根県益田市にあった県立益田高等女学校の生徒だった崔さんが、なぜ広島で被爆しなければならなかったのかということです。
体験記によれば、1941年に益田高等女学校に合格し入学した崔さん(島根県で初めて高等女学校に合格した朝鮮人として新聞でも報道された)は、他の同級生とともに1944年10月に学徒動員によって呉海軍工廠に行くことが命じられます。その後、呉への空襲が激しくなり、翌年1945年3月ごろ、広島市大洲の中国配電の機械工場(現在の中国電機製造株式会社)に移ることになりました。そして、8月6日工場に着き、作業台に向かった時、原爆の惨禍を受けることになり、被爆者として苦難の道を歩むことになったのです。
崔さんの手記を読みながら、10年ほど前に島根県の古本屋で購入した益田市原爆被爆者の会が被爆40周年の1985年に発行した体験集「ピカー益田からのヒロシマ、ナガサキ」があることを思い出し、そこに益田高女の被爆者の体験記はないか探してみました。
「勤労学徒報告隊員」として9人の被爆体験が掲載されています。そのうち3人は崔さんと同じ場所で直接被爆しています。この体験記には、崔さんの被爆者健康手帳取得時、証人になった同級生沢江悦子さんの被爆体験も載っています。他の6人(うち一人は広島県女)の被爆記からわかる別の被爆体験が分かりますので、改めて明日その詳細を報告したいと思います。
ところで、広島県内の学徒動員によって多くの生徒たちが、被爆したことは様々な資料によって知るっていましたが、県外から広島に学徒動員された人たちがおり、被爆した事実をほとんど認識していませんでした。
広島県内の動員学徒により犠牲者を出した学校を列挙した「動員学徒誌 被爆50周年記念」や、これまでも参考資料として何度か紹介した学校の被災状況を記載した「広島原爆戦災誌第4巻」を改めて調べてみたのですが、当然のことかもしれませんが、県内、市内の学校名しか記載されていません。
崔さんの手記から、広島県外からの学徒動員者、ここでは益田高女の生徒ですが、原爆被爆者となっていることを改めて知ることになったのですが、「他そんな学校はないのだろうか?発行されている原爆関係の資料の中でどう扱われているのだろうか?」ということが、気になります。このことは改めて調べてみたいと思います。
いのちとうとし
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