碑めぐり案内が復活しました
毎月10日と25日に「原発問題の特集」記事を書いていただいている木原省治さんから、コロナ禍で途絶えていた「碑めぐり案内」が久しぶりに再開できた様子を知らせる番外編が、写真とともに届きました。
9月9日、待ちに待っていた修学旅行生への碑めぐり案内を行いました。スケジュール表を調べてみると2月19日以来です。コロナ禍で広島への修学旅行が中止になり、原爆資料館も閉館になっていたので本当に久しぶりという感じでした。
この度案内をしたのは三重県四日市市の中学校、それでもコロナを心配してとても対策をしておられました。資料館の見学も、入場者の人数制限が行われているので普通なら全員が入るのですが、分散して行うということでした。
本来なら約130人の生徒たちが資料館見学の後は、みんな揃って宮島での宿泊となるのでしたが、もう1泊広島市内に泊まり10日に資料館見学となっていたのでした。
そこまでして広島に来てくれたというのが、最大の喜びというか感激でした。僕の自己紹介をしたときに、そういう気持ちが高ぶってきて少し声が上ずった感じになりました。
案内役も生徒4~5人に一人というように分けられました。一グループの人数が少ないだけ、やり易かったという感じではありましたし、平和公園内内にはまだ修学旅行生の姿は無く、案内も余裕を持って出来るという状況でした。
コロナ禍の中で、修学旅行生らのバスが停車するスペースにはほとんどバスを見られなかったのですが、それでも4~5台は停まっていたでしょうか。
少し涼しくなっていて、空気がカラッとした感じではありましたが、マスクをしているので、生徒たちも汗を流しながらで頑張りました。僕が担当したグループは5人だったのですが、一生懸命に聞いてくれて「しおり」にメモしていました。時間は1時間と短く、案内には1時間30分は欲しいのです。生徒たちも「短すぎ」と話してくれました。これは僕を喜ばせようとした忖度があったのかも知れませんが、単純に喜びました。
学校からは「案内コースはガイドさんに任せます」と聞いていましたが、「韓国人慰霊碑」と「原爆の子の像」は入れて欲しいとリクエストされていました。このように自らの希望を言われるのがとても嬉しいのです。
1時間という時間はあっという間にやってきましたが、最後に「大きくなって、また広島に来ることがあったら、中学校の修学旅行で広島に来た時に案内のおじさん話してくれたなあーと思い出してくれたら嬉しい」と話したら、大きくうなずいてくれました。
広島修学旅行は少しづつ復活しているようですが、平和公園の中を多くの生徒たちが「しおり」を持ちながら、ワイワイと行き来している光景が早く戻ってほしいものです。
木原省治
木原さん、ようやく復活した修学旅行のの様子が伝わる嬉しい便り、ありがとうございました。
いのちとうとし
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