フェンスの中に隠れた大田洋子文学碑-つづき
昨日のつづきです。
調べた結果と言っても、すでに多くの人が承知のことですが、少しふりかえってみたいと思います。
このサッカースタジアルの建設場所は、当初中央公園の東半分に広がる自由広場でした。これが、現在予定されている「芝生広場」に変更されたのは、今年に入ってからです。
「平和記念公園など周辺の観光施設へのアクセスや、広場隣に住む基町地区の住民からの要望を考慮した」ことが理由とされていますが、最も大きな理由は「広場東寄りは、地中に広島城の出入り口だった『西御門(にしのごもん)』などの跡が残っている可能性があり、発掘調査などのために建設スケジュールが大幅に延びる」ことだったようです。「広島城の重要な遺跡がある」ことは、昨年末から今年にかけての「自由広場」での掘削調査で、判明したことのようですが、これらは事前の資料調査でもわかっていたはずです。あまりにも杜撰な調査によって計画が進められてきたことが分かります。その結果として「芝生広場」への変更となったようです。
そこで問題になるのが、「芝生広場」の西側にある大田洋子文学碑をどうするかということです。
昨日紹介したように、今までのところ広島市は具体的な移動場所を決めていないとのことです。決めていないというか、決めることができないでいるといった方が良いと思いますが。
ここで問題になるのは、「大田洋子文学碑の移設がどうしても必要だ」というのであれば、なぜ今回の「発掘調査」作業開始前に、きちんと移設場所決め、移設を完了させなかったかということです。そして、事前に関係する人を探して、きちんと説明し、了解を求める努力をするべきだったはずです。残念ながらそのような努力がされた形跡は見当たりません。
そのことは、広島文学資料保全の会が、8月31日に広島市長に提出した「大田洋子『文学碑』についての要望」で明らかになっています。この碑を建立した「大田洋子文学碑建立委員会」は現在存在しませんので、誰に説明するのかという難しい問題はあると思いますが。工事を急ぐあまり、こうしたことがおろそかになってよいはずはありません。
この碑が、この地に建立されたのは「大田洋子が、たびたび広島に帰省し、原爆スラムとよばれた実妹・中川一枝宅を訪ね、『夕凪の街と人びと』の舞台とした」というゆかりの場所であり、多くの人たちの努力によって建立された経緯を考えればおさらです。
除幕式の時写された大田洋子文学碑
私の記憶では、当初この碑は、空鞘橋屋橋東詰め北側に建立された(1978年)のですが、1992年に広島市と重慶市との友好都市提携5周年を記念し「中国式庭園・渝華園(中国庭園)渝華園(中国庭園)渝華園(中国庭園)渝華園(ゆかえん)」が建設されることになり、現在の場所に移動しています。今度の移動は2回目ということになります。
不思議なことがあるものです。この原稿を書いている途中で、紙屋町シャレオで開催されている「第22回古本まつり」(20日まで)をのぞいたところ、平台に積まれた本の中に、1978年9月に発刊された「大田洋子文学碑建立記念誌」を見つけました。
すでに手元にあるような気もしましたが、これも縁かなと、すぐに購入しました。
この「記念誌」の最初のページに建立委員会代表お二人の名前による「御礼」のあいさつが掲載されています。その代表の一人が、栗原貞子さんですから、昨日のブログに書いた「栗原さんが深くかかわった」どころか、その中心だったことがはっきりしました。さらにこの「御礼」の文章からは、募金を呼びかけたわずか四カ月余りの間に「目標額300万円」を超える「365万円」の募金が集まったことが分かります。「記念誌」の最後には「募金協賛・御芳名録」が掲載されていますが、ざっと数えて900を超える個人・団体の名前が書かれていますので、多くの人たちが深い関心を持っていたこともわかります。さらに「碑の建立場所につきましては、大田洋子ゆかりの地であり、新たに整備されました広島市中央公園の、希望しました地を市から与えられました。」とも記されています。
そして「記念誌」に書かれた「経過報告」には、この碑の所有が今どうなっているのかが書かれています。「建立予定地として、最初から市立図書館周辺の地を求めることにし、関係当局の理解ある協力を得て、整地完了前の中央公園の一隅に設計どおりの地が決定しました。なお碑建設以後は、公園施設設置許可をおこなった広島市に寄附、碑および附帯する工作等はすべて市当局の管理に帰属します。」と。
これを読むと「現在の管理者(所有者)は広島市」ということになります。だからと言って建立者の意思を無視してよいということにはならないと思います。
建立者が、設置場所として中央公園を選んだ思いを尊重して、サッカースタジアム建設工事を待たずに、一日も早く新たな移設場所を決め、フェンスの外に移動することを望まずにいられません。
いのちとうとし
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