「義勇隊の碑」余話
「この付近に、原爆で犠牲になった人たちを慰霊する碑はないですか」と訊ねたところ「川内小学校に慰霊碑が建っていますよ」との答え。
平和公園にある「義勇隊の碑」を原水禁大会のフィールドワークで紹介して以来、地元の川内地区では、「慰霊の碑はどうなっているのだろうか」と気になったいましたので、現地を訪れることにしました。現地を訪れたのは、フィールドワーク余話として紹介した東区戸坂の「持明院」を訪れた日です。せっかくここまで来たのだからと、自転車で安芸大橋を渡り安佐南区に入りました。少しは知っている地理ですので、路地を縫いながら北へと進みました。しばらく行くと、古い農家の前で女性二人の姿を見かけましたので、聞いてみることにしました。最初の問いと答えは、その時の会話です。古い農家を選んだのは、地元に長く住んでおられるだろうと想像したからです。偶然ですが、「ちょうど私の家から、川内地区ですよ」住宅地図を示しながら、川内小学校への道を教えていただきました。さらに「この地図、持っていきなさい」と親切に手渡していただきました。後にこの地図に大変助けられました。
地図を手に、川内小学校に着きました。門に取り付けられたインターホンを通じて、お願いをすると、やがて教頭先生が出てこられ、碑に案内していただきました。
碑には「川内村戦没者戦災者供養塔」と刻まれています。そこには、「原爆」という文字は見当たりません。案内をしていただいた教頭先生に「いわれはご存知ですか」と訊ねたところ、「私は、この学校に4月に赴任したばかりで、何もわからないのです。山陽高速道路の北側にあるお寺のご住職がよくご存じですので、そこで訊ねてみていただけませんか」との答えでした。地図を頼りに何とかお寺にたどり着くことができました。お寺の名前は「浄行寺」です。川内地区温井にあるお寺で、義勇隊で犠牲者を出した家のほとんどが、ここの檀家です。このお寺には、市内のお寺のように、境内には墓地がありません。ちょうど姿を見かけた奥様と思える方に、ここを訪れた趣旨を話しながら「どこかにまとまったお墓はないですか」と訊ねたところ、「ちょっと待ってください。今住職が返ってきましたので」と返事をされ、引き返されました。しばらくすると「どうぞお上がりください。住職が話すといっていますので」と屋内に案内されました。
部屋に入りあいさつを交わすと、ご住職の坂山厚さんが「いま川内幼稚園で、原爆の話をして帰ったところです。どうぞ何でも聞いてください」と快く対応していただきました。坂山さんは、毎年この時期になると川内幼稚園でお話をされるそうです。話しながら分かったことですが、坂山さんは大下学園で先生をされており、以前から私のことをご存じだったようで、時間をとって教えていただきました。「川内村戦没者戦災者供養塔」は、働き手を失った女性たちの互助組織「白梅会」の手で「原爆犠牲者だけでなく、村の戦争犠牲者全体を供養する」目的で
1953年に建立されたため、この碑の名前が刻まれてことが分かりました。
平和公園にある「義勇隊の碑」では、毎年8月6日に坂山住職によって法要が営まれていますが、この川内小学校にある「供養塔」では、毎年地域の盆踊りが行われる日の午前中に法要が営まれているそうです。
坂山さんからは、その他にも沢山お話を伺いましたが、再訪を約束してお寺を辞しましたので、その時に改めて詳しく紹介したいと思います。そのお話の中に出てきた西井麻里奈さん著「広島戦後の復興史」で、新たな「義勇隊の碑」の歴史を知ることになりました。そこで三滝にある「誓願寺」を訪問することになるのですが、そのことは次回紹介したいと思います。
坂山さんから、川内地区温井の共同墓地の場所を教えていただきましたので、浄行寺を辞して、この墓地を訪ねることにしました。
沢山の墓石が並んでいます。その多くのお墓で「昭和二十年八月六日」の命日を見つけることができます。ちょうどお墓参りをされている女性の方がおられたので、聞いてみました。「どなたか原爆で犠牲になられた方がおられるのですか」「はい、私のおばあさんが、今の原爆ドーム当りの清掃に行っている時犠牲になったと聞いています。」との答えです。義勇隊のことを話したところ、「初めて聞く話です。そうなのですか」とのこと。
この会話を思い出し、後日改めて調べ直したことがあります。原爆で夫を奪われた女性19人の証言を集めた「原爆に夫を奪われて」(82年、岩波新書)などの印象が強いため、「犠牲者は男性が多い」と勝手に思い込んでいたのですが、男女がほぼ半数ずつだったことを知りました。
後日改めて訪れた「義勇隊の碑」の裏面に刻まれた犠牲者名でそのことを確認しました。
いのちとうとし
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