誓願寺訪問記
今日のブログは、広島無償化裁判を支援する会が呼びかけ、昨日午後3時から予定されていた朝鮮学園への高校無償化を実現させるための「「公正な判決および無償化適用を求める街頭行動」の報告をする予定でしたが、諸般の事情により急遽中止となりましたので、こちらも急きょ「誓願寺訪問記」に変更しました。
誓願寺は、1590年に毛利輝元によって、材木町(現在の平和公園の原爆資料館附近)に開基され、1945年原爆によって焼失し、その後一度は中島新町(ご住職の話によれば、現在トヨタカローラ広島があるところ)に移転しましたが、1963年5月3日に現在の広島市西区三滝本町へ再建されました。
これから紹介する誓願寺にまつわる話は、誓願寺の廣瀬隆慶住職からお聞きしたことです。
1963年に三滝に再建する際、準隆前住職がこだわられたことが三つあったそうです。
一つは、山門です。境内入り口には、立派な山門が建っています。JR三滝駅から三滝寺や墓苑に上がっていくとき、この山門の前で道が二手に分かれますので、真正面に見えます。
被爆前の誓願寺には、高さ13メートル、幅9メートルもある壮大な大門があり、「広島っ子は、大きなもののたとえに『誓願寺の門のように』とよくいった」というエピソードがあったようです。ですから、再建に当たっては、山門はきちんとしたものを建てなければならないというのが、前住職の強い思いで、今の立派な山門がつくられたそうです。
二つは、本堂と庫裏の間に作られている池です。かつての誓願寺は、約1万6000平方メートルという広島でも一、二を競うほどの大きさの境内を持ち、そこには瓢箪池があり、沢山の亀が泳ぎ、境内にあった無徳幼稚園の子どもたちの遊び場、そして市民の憩いの場でした。
瓢箪池を再現するのが願いだったようです。しかし、移転後の境内は小さくなり、往時の大きさを再現することはできず、今は小さな池となりましたが、静かなたたずまいを見せています。池には、沢山のハスが植わっています。
三つめは、被爆前の誓願寺にあった茶室を作ることです。残念ながら、今回の訪問では、この茶室は見学することはできませんでしたが、今も現存しているそうです。
誓願寺のホームページでも、「山門、池、茶室が僅かに往時の誓願寺を忍ばせている」と紹介されています。
私が気になったのは、「この境内には、被爆時のものは何かないのか」ということでした。昨日紹介した「佐東町原爆精霊供養塔」の建つ墓地へ移動の前、住職から二つのものを案内していただきました。
一つは、本堂上り口右側に置かれている水盤石(手水鉢)です。天明3年(1783)2月と刻印されています。
原爆の影響で、後側の左右の角が、両方とも欠けています。実は、今回の訪問には同行者がありました。被爆者の森川高明さんです。森川さんは、被爆した年の6月まで、無徳幼稚園に通っていたそうです。帰宅後、私が映した上の写真を送ったところ「手水鉢は、私にとって75年振りの再会でウルウルでした。大切にします。」と返事が返ってきました。
もう一つは、本堂の中に保管されている「釣灯篭」です。
この「釣灯籠」は高さ30cmの鋳物製で、さび付いています。戦前お寺の本堂の四方に掛けてあったものの一つです。原爆投下から5日後にこの付近を訪れた佐伯区石内の窪田さんが、誓願寺境内で拾い、持ち帰って自宅の軒下に吊されていたのですが、被爆後50年目の1995年にお寺に届けられてものです。ところどころが欠け、長年軒下に吊るされていたためでしょうか錆が噴出しています。今はケースに入れられ大切に保管されています。
誓願寺は、他にも歴史的なものが沢山ありますが、原爆と関わる境内の紹介は終わりです。境内ではありませんが、誓願寺を訪れた時にはもう一カ所行ってほしい場所があります。
本堂裏の山手にある誓願寺の墓地に建つ原爆犠牲者の無縁仏をまつる供養塔です。「佐東町原爆精霊供養塔」と同じ段にあります。もちろん被爆してはいませんが、ぜひお参りをしてほしいと思います。
境内には大きなイチョウの木もありますので、秋にはもう一度訪れてみたいと思う誓願寺です。
いのちとうとし
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