長崎の原爆犠牲者数―7万3884人
8月9日24時55分から広島テレビで放映された「NNNドキュメント シリーズ戦後75年 8.9長崎が壊された日~下平作江 75年の闘い~」の中で、「えつ」と思う数字に出会いました。この番組は、10歳の時爆心地から約800メートルで被爆し、母、兄、姉を原爆で奪われ、一緒に被爆した妹さんは、10年後に自殺するという苦しい体験を語り続ける下平作江さんをとりあげた作品でした。下平さんは、私たち広島県原水禁が、原水禁長崎大会に参加した時、8月9日の閉会総会前にお参りする城山小学校(当時は城山国民学校)
の生徒でしたので、余計な関心を持ってみました。「観た」と言っても、当日の深夜の放映でしたので、数日後に録画した映像を見たのですが。
その画面を写したものですので、ちょっと見にくいのですが、右下に「死者 7万3884人 負傷者 7万4909人 (昭和20年末までの推定」)」と書かれています。録画した画面ですので、ここで一時停止をして、スマホで映しました。
「えっ」と思ったのは、この数字です。死者数が、一ケタまではっきりと示されていたことです。広島の犠牲者は、「14万人±1万人」と言われているのに、どうして長崎は一ケタまではっきりしているのだろうか、疑問が湧きます。
番組は、長崎国際テレビが製作したものだということが分かりましたので、「視聴者の声投稿フォーム (視聴者の声)」を通じて「この数字の根拠は何でしょうか」と問い合わせました。その日のうちに答えが返ってきました。
「お尋ねの件ですが、原爆資料館のホームページをみると、『死者73,884人 重軽傷者74,909人』と記載されています。『この数字は長崎市原爆資料保存委員会の昭和25年7月発表の報告によったものですが、これが今日の通説になっている』と書いてあります。」
さらに、「長崎原爆資料館のhttps://nagasakipeace.jp/japanese/abm.htmlホームページを開き、「原爆の記録」→「被爆の惨状」→「原爆の威力」の順に開いていくと、上記の記述が出てきます。よろしいでしょうか?」と検索方法まで教えていただきました。
早速、指示された通りに検索していくと、確かに「被害状況」として「回答のとおりの数字と『この数字は』という但し書き」が記載されていました。さらに、死者のみならず重軽症者、罹災人員、罹災戸数、全焼、全壊、半壊についてもすべて一ケタまで明示した数字が記載されています。
しかし、ここにはテレビ画面にあった「昭和20年末までの推定」という「推定」という言葉は全く見当たりません。にもかかわらず「今日の通説」という言葉が使われています。「通説」をどう理解すればよいのかと、他の資料をさがしてみることにしました。
広島、長崎両県市が毎年7月に発行している「原爆被爆者援護事業概要」の長崎市版をホームページで検索しました。その中の「第2 原子爆弾の投下と被害状況」の「2 被害状況」に長崎原爆資料館に記載されている「長崎市原爆資料保存委員会の昭和25年7月発表の報告」の数字が記載されていました。ただし、ここでは前段に「原爆中心地は、ほとんど全滅の状態でたまたま被爆地域外に旅行中の者、又は外出中の者あるいは横穴壕などに入っていたごく僅少の者が被害を受けなかった程度で、町内会長、隣組長等の町内の幹部も大部分死亡又は行方不明となったため、正確な死傷者を調査することは困難であった。」と、この数字が正確な数字でなかったことが推測できることが明記されています。
もう一つは、1976年に広島・長崎市の連名で出された「核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請」です。ここでは、1945年末までの原爆による死亡者数として「長崎は、約7万人(誤差±1万人)」としています。
私が、「死者 7万3884人」という数字にこだわるのは、一ケタ台まで明示するということは「犠牲者の名前が明らかになっている」と誤解を与える危険性があるからです。ここまでの人数を明示するのであれば、その中に外国人被爆者は何人、特に朝鮮半島出身者はと明示されてもおかしくないはずです。
しかし、広島がそうであるように、長崎でも実態調査は事実上困難なのですから、そうであればそのような死者数を掲げるべきだと思います。
長崎市の「原爆被爆者援護事業概要」を調べていると、そこに意外な広島の犠牲者数が明示されていることを知りました。次回報告したいと思います。
いのちとうとし
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