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2020年9月 1日 (火)

劣化した政治の「震源地」はどこか? (5) ――憲法違反の小選挙区制度 (4) ――

劣化した政治の「震源地」はどこか? (5)

――憲法違反の小選挙区制度 (4) ――

 

 《両院の可決がなければ法律はできない》

前回の問題提起を思い起して頂ければ、もう皆さんには何が問題なのかお分りだと思います。憲法は、国会に衆議院と参議院を設置し、それぞれが意味のある活動を行い、採決を通じてその意味を表明することを大前提としています。そして、衆参両院で可決されなければ基本的には法律はできないのです。そんな場合でも、両院協議会の可能性を認め両院で協議ができるメカニズムを用意しています。しかし、その両院協議会が成案を得られず、打ち切りを決めたのであれば、当然、元の大原則である憲法59条の第一項に従って、法律案は廃案になる、つまり法律にはならないという結論が論理的な筋道です。

政治の根幹にかかわる問題について、杓子定規に考えるだけではなく高度に政治的な配慮や駆け引きがあるだろう、ということはほとんどの人が認めている考え方だと思います。しかし、憲法を字義通り素直に読むという立場も重要です。その立場からの問題提起を最近では、『法学セミナー』の9月号の62ページから69ページに、「憲法を、文字通りに、素直に読んでみませんか」として掲載して頂きました。その立場からは、国権の最高機関としての国会の存在意義とその国会が賢明な判断を行うために二院制を採用しているという大前提の意味も重要です。

 

《土井議長の役割》

宮川隆義著『小選挙区比例代表並立制の魔術』(政治広報センター刊、1996)では、小選挙区制が導入された国会での最終段階を次のように捉えています。「憲法と国会法を遵守すれば、この政治改革関連4法案は、両院協議会決裂の段階で廃案になったはずだった。細川・河野のトップ会談を斡旋した土井たか子衆議院議長の仲裁案は、『施行日を空白にして議決し、施行日の決定は各党協議機関に委ねる』という、事実上の廃案だった。土井議長の仲裁通りに妥協しておけば、政治改革熱病が醒めた時期に、頭を冷やした与野党で現実的な最終決着がつけられるはずだった。」

宮川氏も「憲法と国会法を遵守すれば、この政治改革関連4法案は、両院協議会決裂の段階で廃案になったはずだった」ことを確認しています。つまり憲法と国会法が守られなかったために、小選挙区制が導入されたのです。

宮川氏の記述は土井さんに好意的な解釈をしていますが、それを要約すると、土井さんは4法案を廃案にしたかった。そのためにトップ会談を斡旋して、廃案にするための自分の「仲裁案」を示した、ということになります。でも、本当に廃案が目的なら、仲裁などせずに、両院協議会の報告をそのまま受ければ良かったのではないでしょうか。協議が決裂したのですから、憲法と国会法の規定に従ってこの法案は廃案という結果になったのです。このシナリオの方が簡単で手続き的にも問題がなかったはずです。

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加えて成田氏の述懐を信じると、土井さんは議長権限を逸脱して、両院協議会決裂の報告を受け取らなかったことになります。両院協議会の議長が公式にその結果を報告に来た以上、それは「報告」であって、議長が決定する権限を持っているのではありませんから、それを受けないということはあり得ません。きつい表現をすれば、これは憲法59条違反です。

もっとも、日本の官庁では、届や申請を受け取らないでいじめをするという慣行が広く行われています。以前、北九州市で問題になり、未だに全国的に行われている、生活保護申請の不受理が典型例です。これはもう「慢性的な病」とでも言っても良いほどだと思います。だからこそ、「定期的」と言って良いくらいの頻度で、マスコミが取り上げることになっています。

広島市でも、特別支援学校の設置場所について広島県との協議を申し入れた際に、理由もなしに、ということは県の恣意的な「いじめ」とさえ解釈できるのですが、申し入れが受け入れられずに一年も放置されていた経験があります。まさかそれと同じレベルでの対応ではないと信じていますが、一国の政治について、しかもこれほど重い課題を扱うに当って、こんな疑問が浮かぶような対応、それも憲法違反と考えられる対応がなされていたこと自体、私にはショッキングな発見でした。

高度に政治的判断があり、善意で、しかもこの法案を通してはいけないという熱い思いがあったのかもしれません。そしてそのためには、少々超法規的な手法さえ辞さないという覚悟で行動したのかもしれません。そうだとしたら、他の超法規的手段も考えられたのではないでしょうか。例えば、両院協議会を開く請求を数日先延ばしにする、ということもできたのではないかと思います。国会の会期が終了すればそれで廃案になったのですから。

成田氏の回想も、当時の総理周辺の裏の動きが分って興味は尽きないのですが、政治的な駆け引きに重きが置かれ、手続きとしての合法性や憲法の原理原則に照らしての判断についての記述ではない点が残念だと思います。当時、権力の中枢にいた人々は、憲法59条に従っての手続きを取っているのですから、当然、59条についての判断があったはずです。それがどのようなものだったのか、言語化されていないのかもしれませんが、是非、言語化した上で後世に残しておいて貰いたいと思うのは私だけでしょうか。

 [2020/9/1 イライザ]

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コメント

これらを、ことアベ政治に慣れきった人に知らしめるには。
ι(´Д`υ) ← 絵文字できり表現できません😢

また、記憶をひっぱり出してアレコレ言ってもセンナイことですが、
筑紫さんが番組で、採決前だったか、
「ダメだったら変えればいいじゃない」とあっさり。
(向かって左に石川真澄さん(たしか)右は誰だったか)
そんな!もっとキッパリ反対してよと😣
大ファンだっただけに、これだけは残念でした。

「硬い心」様

コメント有り難う御座いました。

当時の日本社会全体は、熱に浮かされてしまっていたように思います。冷静に物事を判断すること等ほとんどの人には不可能だったのかもしれません。でも、冷静に判断し行動していた人間もいたのです。

その一つのグループは、小選挙区制を実現するために、熱に浮かれされてしまった衆生を陰で操って、小選挙区を実現してしまった人たちです。もう一つは、私たちのように、馬鹿正直に「裸の王様」だという指摘をしたグループです。

当時、政界のリーダーだと多くの人々が考えていた人たちも、結局のところ、熱に浮かされてしまっていたことが分り残念ですが、コロナ対策では、情報の開示が進んでいることもあって、真のリーダーとそうでないまやかしのリーダーとの差が歴然としてしまいました。

今という時代の特徴であるそのような利点を生かして、もう一度、小選挙区制についての反省に基づく行動をしなくてはならないと思います。

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