被爆75周年の8月5日
被爆75周年の原水禁世界大会は、例年と大きく様変わりして形で迎えています。
8月5日は、例年ですと「原水禁世界大会」の二日目、朝から市内各会場で分科会が開催され、私もどこかの分科会に参加し、年によっては講師などを務めていました。そして午後は国際会議、連合の平和集会への参加などなど日程がびっしりと詰まっていました。
このブログにも何度か書きましたが、今年はオンライン集会が中心で、5日も当然のことですが、屋内での集会は一切企画されませんでした。この日の午後1時から分科会などが、YouTubeでオンエアーされました。http://gensuikin.peace-forum.com/2020/08/03/online-link-catalogue/から検索することができます。
そんなこともあり、今年は、例年は参加できなかった行事に久しぶりに参加することができました。
最初は、午前10時から始まった「韓国人原爆犠牲者慰霊祭」への参加です。2014年に広島県原水禁の代表委員になって以来、原水禁大会の行事と重なるため、出席できなくなっていましたので、7年ぶりの参加となりました。
会場は、平和公園内の「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」前です。
式の最初は、「国民儀礼」でしたが、韓国国歌は録音されたものが流され、参加者の斉唱はありません。例年式の冒頭で行われる韓国民族舞踊による追悼の舞も今年は実行されませんでした。コロナ対策と思われます。続いて今年新たに13名が追加され、総数2,773名となったが死没者名簿が、13人の故人のお名前が読み上げられる中、代表の手によって奉納されました。続いて3人の方からの追悼の辞。そして、参列者全員が慰霊碑への献花です。用意された菊の花を手に、私も献花し、深い哀悼の意を表しました。今年の式典には、国連事務局次長で軍縮担当上級代表の中満泉さんも参列されました。
いったん自宅に帰り、午後1時からは広島県原爆被害者団体協議会(坪井直理事長)の「被爆75年原爆死没者追悼慰霊式」に参加させていただきました。県被団協の追悼式は例年8月6日の午前中にメルパルクで開催されていましたが、今年初めて、日にちが変わり、場所も平和会館での挙行となりました。ごく身内だけでの開催ということを聞いていましたが、近所に住んでいるということで勝手に参列させていただきました。
黙とうの後、箕牧智之理事長代行の開会あいさつ、続いて坪井直理事長の「追悼のことば」を植田雅軌(まさのり)副理事長が代読。「人類を滅亡させる原爆の悲劇で亡くなった方々の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げます。世界の状況は一喜一憂の断末魔と言えます。コロナ問題、人種問題と言った人類の将来は平面的生き方では成立しません。立体的な情けが最優先です。ともかくいずれの世にもネバーギブアップ」。坪井さんらしい「追悼のことば」でした。植田副理事長は、「追悼のことば」を代読する前に「昨日坪井理事長と電話で話しました。元気のお声で、安心しました」と坪井さんの現状を紹介されました。その後、各界からの追悼メッセージが紹介され、続いて参加者全員が献花をし、「追悼慰霊式」が終わりました。
午後2時過ぎに、平和公園で共同通信の兼次亜衣子記者の取材(原水禁大会のフィールドワークについて)を受けた後、少し時間がありましたので、原爆資料館1階で開催されている「礎を築く―初代館長長岡省吾」の企画展を参観。狭いスペースですが、充実した内容です。来年の2月23日まで開催されていますので、みなさんにもぜひ見てほしい企画展です。午後3時半に6日の記念式典のリハーサルが行われている慰霊碑前で、原水禁本部の藤本泰成副議長と合流し、慰霊碑への献花。
広島県原水禁からは、佐古正明代表委員、渡辺宏事務局長そして私が参加しました。例年は海外代表が広島到着時に行っていましたが、今年は海外代表もネットでの参加となり、日本側だけの献花となりました。
夕方6時半から連合広島が行う原爆ドーム前の集いにも参加する予定でしたが、急きょ連合だけでの集会開催に変更となったため、8月5日の行事はこれで終了しました。
今日(6日)は、これから原爆ドーム前に行き、原水禁が主催する「原爆ドームを囲むアピール」行動に参加します。その様子は、明日報告します。
いのちとうとし
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