ヒロシマとベトナム(その14) 被爆75周年 ―ヒロシマとベトナム戦争- を考える〔Ⅰ〕
ベトナムは去る4月30日に「解放統一45周年」を迎え、ヒロシマはまもなく「被爆75周年」を迎えます。
1945年8月6日・8月9日とヒロシマ・ナガサキは究極の無差別大量殺戮兵器である核兵器の被害を受け、75年経た今日なお「殺戮」(遅れた被爆死)は続いています。1975年4月30日の「サイゴン解放」によって、ベトナムは長く続いた植民地支配を脱し、民族の解放と統一を遂げました。
そのベトナムは近年著しく発展を遂げ、「ASEAN諸国のリーダー」と呼ばれるようになりました。しかし、ベトナム戦争中にアメリカ軍が散布した史上最大の化学兵器、猛毒ダイオキシンを含む枯葉剤による深刻な被害をはじめ、ベトナム戦争の残した傷跡は大きく、今なお人々の健康と生命を脅かし国土を蝕み続けています。
ともに、「戦争の世紀」と言われる20世紀の象徴的かつ究極的な戦争被害です。
「被爆75周年」と「ベトナム解放統一45周年」を迎え、ベトナム戦争とその被害、とりわけ枯葉剤被害を通して、「ヒロシマとベトナム」について考えてみたいと思います。
1975年4月30日 「サイゴン解放」(ベトナム戦争終結)
私たちの年代は、45年前の「サイゴン陥落」を伝えるニュース映像が鮮明に蘇りますが、若い人たちの中にはベトナム戦争がどのような戦争であったのか知らない人が多いと思います。
1975年4月30日について、ベトナムの中学3年生の教科書には次のように書かれています。「4月30日10時45分、わが戦車が独立会堂に直進しサイゴンの中央政府職員全員を捕らえた。ベトナム共和国大統領ズォン・ヴァン・ミンは無条件降伏を宣言しなければならなかった。同日11時30分、革命の旗が大統領府の上に翻り、歴史的なホーチミン作戦の全面勝利を知らせた。」と。
写真:南ベトナム大統領府に最初に突入した2台の戦車のうち先頭の中国製T59式戦車(390号)。2台目はソ連製T54B式(843号)、2台とも国宝にっています。
ベトナム戦争について広辞苑には「1960年~1975年、北ベトナム・南ベトナム解放民族戦線とアメリカ・南ベトナム政府との戦争」と書かれていますが、先ほどのベトナムの教科書には「抗米救国戦争の勝利は、21年にわたるアメリカに抵抗する戦争と1945年の「8月革命」から30年にわたる民族解放・祖国防衛戦争を終結させ、わが国における帝国主義の統治を終わらせた。これを基礎に人民民主主義民族革命を全国で完遂させ、国土を統一した。」と記述されています。
ベトナム戦争の性格と「サイゴン解放」の歴史的な意義が端的に表現されていると思います。
大国、列強の植民地支配に抗し続けたベトナムの歴史
その「サイゴン解放」、すなわち「民族解放・祖国防衛戦争の勝利」の深く重い歴史的な意義は、ベトナムの大国と列強支配に抗する長い闘いの歴史にあります。ベトナムは紀元前111年、前漢の武帝時代から938年の「白藤江の戦い」で勝利するまでの1000年にわたり中国に支配されていました。その後、中国の介入を受けながらも約1000年のあいだ独立王朝時代が続きました。
しかし、1858年のフランス軍の侵攻によりベトナム・カンボジア・ラオスを含むインドシナ半島が「仏領インドシナ」として植民地化されます。フランスはイギリスなど他の列強とともにインドやアジアの植民地化を狙い、ベトナムにも17世紀初頭から宣教師を送っていました。1763年にインドにおける権益をイギリスと争う「カーナティック戦争」で破れ、その後、ベトナムへの侵攻を本格的に企図します。1847年の「ダナン砲撃」などを経ながら1858年に本格的な侵攻を始め、1861年までにベトナム全土を植民地化しました。
その後、フランスの植民地支配は、ベトナムの人たちが「日本とフランスの二重の軛(くびき)」と呼ぶ1940年から1945年までの日本軍の仏印侵攻・統治期間も続きます。実効的な支配権は日本軍が持っていました。日本の敗戦間近の1945年3月9日、日本軍は「仏印武力処理(明号作戦)」と呼ばれる軍事作戦でフランス軍をベトナムから撃退しインドシナ半島の支配権を完全に掌握しました。
その後1945年8月15日の日本の無条件降伏に伴い、フランスが再び介入を始めます。一方、抗仏・抗日闘争を戦っていたホーチミンは日本軍を武装解除し、9月2日にハノイでベトナム民主共和国の「独立宣言を発します。そしてフランスとの「抗仏戦争(第1次シンドシナ戦争)」を展開し、1954年5月の「ディエンビエンフーの戦い」でフランス軍を撃破しました。
1966年にピュリツァー賞を受賞した沢田恭一の「安全への逃避」。沢田恭一は1970年10月、カンボジアで取材中に襲撃され亡くなりました。
1954年のフランス軍敗退後、アメリカが軍事介入を始めます。南北の分断固定化を図り、南ベトナムにゴ・ジン・ジェム政権を傀儡擁立して軍事顧問団を送り込み、ピーク時54万3千人もの軍隊を送り、5万8千人の戦死者を出したベトナム戦争が1975年4月30日まで21年間続いたのです。
ベトナムの人々は1847年のフランスのダナン砲撃に始まった侵攻と植民地支配から1975年4月30日までの、実に130年にも及ぶ長く苦難の民族解放闘争の末に、ベトナム全土の解放統一という悲願を成就させたのです。
少し長くなりましたので、続きは明日報告します。
(あかたつ)
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コメント
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勉強に、なります。アメリカ軍は,58000人の戦死者と、あります。現在のアメリカのコロナの、死亡者は、その2倍ですか?パリの和平協定から、一年後に、終戦でしたか。その一年間、爆弾を、落としまくったとか。自分の単純な頭では、その間,休戦・停戦かと、思ったのですが、その反対でした。戦争しまくりました。私のような平和ボケには、わかりません。
投稿: 野田 | 2020年7月 5日 (日) 02時14分
野田さん、コメントありがとうございます。
ベトナム戦争でのアメリカ軍の戦死者、5万8,220人は、派遣された874万4,000人の6.7%に当たります。第2次世界大戦では1,611万2,566人が派遣され40万5,399人、2.5%の戦死ですから、いかにベトナム戦争が悲惨で壮絶だったか。
コロナでアメリカの死者が10万人を超えた4月末、「米国の新型コロナ死者数、ベトナム戦争の米国人犠牲者数超える」と報じられましたが、それほどに「コロナ禍」は深刻ということなのでしょう。
ところでベトナム人戦争でのベトナム人の犠牲者数ですが、北ベトナム軍110万人、南ベトナム軍22万人、計132万人が戦死。民間人は南北合わせて440万人以上です。600万人近くの犠牲は「国民の6人に一人」と言われています。
本当に、つくづく「ヒドイ!」と思います。
そうですね、「パリ和平協定」の2年後に「サイゴン解放」(ベトナム戦争終結)ですね。
1972年6~9月、南北国境線(軍事境界線)のまち、クアンチでの81日間の攻防戦が戦われ、米軍・南ベトナム軍が敗退し、ベトナム中部地域が開放されます。このクアンチ攻防戦の結果と米国内での反戦運動の高まり、日本や世界でのベトナム戦争反対運動などもあり、1973年1月に「パリ江和平協定」が結ばれ、米軍は撤退を始めます。
その後は、「ベトナム人同士を戦わせる」との方針で軍事顧問を残し、南ベトナム軍の支援を続けますが、1975年4月30日、その拠点サイゴンが陥落しベトナム戦争が終結します。
私たちは2009年からクアンチ省と交流を続けています。
コメントをいただいたお礼と思って書きましたが・・・・、長々と申し訳ありません。
野田さん、あらためましてコメントありがとうございました。
ヒロシマとベトナムにこだわり続けたいと思っていますので、引き続きよろしくお願いします。また、コメント送ってください。
投稿: あかたつ | 2020年7月 9日 (木) 07時08分