中国から贈られた被爆者支援カンパ その2ー広島市に寄託されたカンパ
今日は、第1回原水禁世界大会に参加した中国代表団から寄付された5万元(722万円)が、どのように使われたのかを紹介します。これからの報告は、広島県原水禁の事務局長や代表委員を長く務めた宮崎安男さんが、この大切な記録を残そうと2000年に発刊した「広島平和会館ものがたり」を参考にしています。宮崎さんは、被爆者ではありませんが、当時平和会館の常務理事を務めていました。宮崎さんはこの本のあとがきで「会館は被爆者の家・平和交流のひろばとして、多くの人に愛され活用されてきましたが、会館の維持運営にご努力された方の多くも故人になられ、会館がつくられた経緯や初期の活動のありさまを記録するものがなくなっています」と、この本の出版に至った経緯を説明しています。
中国代表団からの寄付については「ヒロシマ四十年 森滝日記の証言」にも少し触れられていましたので知ってはいましたが、寄付金の配分などについて詳しく知ることになったのはこの本を通じてです。「平和会館ものがたり」も現在では入手も困難になっていますので、一人でも多くの人にこのことを知らせるのも私の任務と思っています。
前置きが長くなりました。中国代表団から寄付を受けた原水禁世界大会日本準備会は、9月19日の会議で次のように配分することを決めます。詳細は省略しますが、722万円のうち、広島には「治療費:250万円、福祉施設基金として40万円の計290万円」を分配することになります。ちなみに長崎には計180万円、焼津には23万の見舞金が分配されています。残りの金額は、その他の地域の治療費や救援運動基金に当てられています。
これを受けて広島では、救援委員会が結成されます。当時広島には、中国からだけでなくその他の救援金や救援物資も届いていたようで、その分配の仕事をするために救援委員会がつくられたのです。
広島にわたされた救援金の配分について、「森滝さんは『治療の促進と命の問題だ』といっていました。『“命の問題・生活の問題・施設の問題”だ』という線がズバリと出されたんです。まったくこれは森滝さんの英断です。そうした森滝提案があり、原対協(財団法人広島原爆障害治療対策協議会:いのちとうとし注)への200万円寄託というのは私が決めたのです」(藤居平一「まどうてくれ」より)。広島での使途は、「いのち、生活、施設」の順で考えるべきだとなり、カンパ290万円のうち200万円を当時被爆者の治療費調達に苦慮していた広島市に寄贈することになったのです。そして、その年の12月14日に寄付しています。その時森滝先生が書かれた「寄託書」の(控)が、「平和会館ものがたり」に収録されています。下の写真です。
字が小さくて読みにくいかもしれませんが、最初に金額につづいて「原爆障害者治療治療資金」として寄付することが明記されています。さらに「付記」として、寄託されたお金が「中国代表団を通じて中国六団体(中国人民保衛世界平和委員会、中国紅十字総会、中華全国総工会、中華全国民主婦女連合会、中華全国民主青年連合会)から日本の原爆被害者救援資金として伝達された」ものであることもきちんと書かれています。
この中国に援助について、「ヒロシマ四十年」で次のように書かれています。当時の担当記者の聞き取りだと思われますが「中国の援助は、被爆者に対する日本政府の関心を呼び起こし、『原爆医療法(昭和32年4月施行)への大きな力となったはずだ』と森滝さんは強調する」と書かれていることが強く印象に残ります。
当時の200万円が、現在の価値でいくらぐらいになるかはっきりとはわかりません。広島市が1995年に発刊した「被爆50周年広島市原爆被爆者援護行政史」によれば、「原対協の活動資金として昭和30年度(1955年度)に広島市から委託された金額が100万円」ですので、大きな金額だったことが分かります。そして森滝先生の「中国の援助は、日本政府の関心を呼び起こし」の言葉を証明するように、同書によれば「原対協の活動資金への国の補助:昭和30年度830万円」であったものが「昭和31年度1675万円」と倍額に増額されています。
中国からの支援金のうちの残った90万円の一部や国内外からの募金を基金とし、その後カンパを積み立てて1959年4月16日に被爆者の憩いの館「広島平和会館」が、大手町8丁目(現在の大手町4丁目のバイパス沿い)に建設されます。「広島平和会館」の歴史については、別の機会にまとめたいと思います。
実は、今回改めて「中国代表団からの被爆者支援カンパ」のこと調べようと思ったのは、この支援金の寄贈を受けた広島市では、このことがどのように記録に残されているだろうかと気になったからです。
その結果は、次回(明後日)報告します。
いのちとうとし
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コメント
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原対協の始まりが分り、勉強になりました。明日を楽しみにしています。
投稿: イライザ | 2020年7月14日 (火) 20時12分