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2020年7月 6日 (月)

ヒロシマとベトナム(その15) 被爆75周年 ―ヒロシマとベトナム戦争- を考える〔Ⅱ〕

「枯葉剤被害者の日」 8月10日

枯葉剤といえば、多くの人が“ベトちゃん・ドクちゃん”を思い起こすのではないでしょうか。残念ながら“ベトちゃん”は2007年10月、26歳の若さで亡くなりました。弟のグエン・ドクさん(39歳)は入退院を繰り返しながらも活発な活動を展開されています。私も1998年に初めて出逢い今日まで交流を続けています。これらについてはまたの機会に報告します。

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HVPFの招きで初めて広島を訪れたグエン・ドクさん。(2016年10月)

アメリカ軍がベトナムで最初の枯葉剤攻撃を行ったのは1961年8月10日、ベトナム共和国軍のマークをつけたアメリカ軍機がラオスとカンボジアの国境に接するベトナム中部高原のコントゥム省での実験散布でした。

この8月10日は「枯葉剤被害者の日」(祭日)として定められています。日本の「8月6日」と同趣旨です。

アメリカ軍が最初に枯葉剤を散布したコントゥム省こそ、“ベトちゃん・ドクちゃん”の生誕地なのです。(下地図の真ん中国境付近の緑色の丸印)農業を営んでいた二人の母親は直接枯葉剤を浴びたのではなく、戦争が終結する一年前に移住し、汚染された井戸水を飲んでいたということです。

以降、「ランチハンド作戦」と名付けられた軍事作戦が、1971年1月10日の最後の散布まで10年間にわたり繰り返されました。

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1961年~1971年におけるベトナム共和国への枯葉剤空中散布(赤色)。アメリカ合衆国陸軍省資料より。(「ウィキペデア」フリー百科事典より)

その間に散布された散布薬液総量は9万1,000㌧、散布面積は240万㌶を越します。結果、480万人以上もの人々が被曝し、100万人以上に何らかの障害・疾病をもたらしていると言われています。正確な人数は把握されていません。

南ベトナムの耕地全体の5%以上と森林の12%、海辺のマングローブ樹林の40%以上が枯死しました。中国地方全域にほぼ相当するほどの地表に、くまなく、そして繰り返し・繰り返し「毒薬」ダイオキシンを浴びせたのです。そのダイオキシンが今なお地中に潜み、食物連鎖を通して人々の健康と生命を脅かし、破壊し続けています

 日本にも枯葉剤作戦が準備されていた

もう一つ、枯葉剤に関し意外と知られていない事実を、2005年8月15日付けの新聞「農業」に掲載された中村梧郎さんの取材記事をもとに紹介します。中村梧郎さんは、ベトナムでの枯葉剤被害を記録し続ける報道写真家で『母は枯葉剤を浴びた』やグラフィックレポート『戦争の枯葉剤』などで著名な方です。

アメリカは第2次世界大戦末期、日本への枯葉剤作戦を準備していました。アメリカ軍のプロジェクトチームは当時、「原子爆弾」と「枯葉剤」の両方を開発していました。そして1945年に原爆、枯葉剤作戦とも準備を完了し、原爆を搭載したエノラゲイとボックスカーはテニアン島へ、B29を改造した「枯葉剤散布機」をグアムに集結させていました。

 戦争末期の日本は大変な食料危機に陥っており、大都市周辺の米や野菜の産地を全滅させれば、何10万何百万の餓死者が出るという作戦で、8月の原爆投下でも日本が降伏しなければ11月に枯葉剤作戦を決行することになっていました。8月15日、日本の無条件降伏で枯葉剤はそのままストックされ、ノウハウも含めてベトナムで使われたのです。

 

 今号から幾度かにわたり、「被爆75周年 ―ヒロシマとベトナム戦争-を考える」シリーズを書き進めたいと思っています。月一度のペースで、今回を含め12月までの6回程度と考えています。次号(8月5日)は、枯葉剤(ダイオキシン)の毒性と人体や自然環境への影響について考えてみたいと思います。

(あかたつ)

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