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2020年6月 9日 (火)

原爆の絵第9号碑『動員学徒の碑』と広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク

原爆の絵第9号碑は、中区千田町にある「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」の一角に設置されています。

「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」については、このブログの前身「ヒロシマの心を世界に」の2016年4月14日の「散歩の道すがら」(https://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-ddf0.html)で、一度とりあげていますので、そちらを読んでください。

「原爆の絵碑」について「散歩の道すがら」では、「今回、初めて気が付いたのが「ガラスの刺さった痕が残る壁」のモニュメントの横にあった「原爆の絵『動員学徒の碑』」である。以前に訪れたことがあると言っても十数年前だから、私が知らなかったのも当然かもしれない。後でわかったことだが、この碑は2005年8月6日に建立されたとのこと。碑の説明文には、「この絵は、原爆が投下された翌日広島赤十字病院玄関前(当時)の円形の花壇に並べられた中学生(絵の中に書かれた文章では、広島二中の一・二年生)の遺体が、円形に並べられていた様子を描いたものだ」と書かれている。さらに「動員学徒として約6000人の中学生の命が奪われた」ことも記載されている。ひまわりの花弁のように並べられた子どもたちの姿。何とも言いようがない。」と紹介し、被爆後治療のためこの広島赤十字に来られた森滝市郎先生のことも紹介しています。

Dsc_60289

当時は「原爆の絵碑」ということに関心が薄かったのでしょう、この絵碑が市民の手によって設置されたことや9番目の碑だということなどは、全く触れていません。

4年振りに「原爆の絵碑」を見ようと改めて現地を訪ねました。メモリアルパークの景色は今回も同じように見ることができましが、「原爆の絵碑は」と思って訪ねましたので、前回とは少し違う感じで見つめることになりました。4年前のブログでは「ガラスの突き刺さって痕が残る壁のモニュメントの横」と書いていますが、実は、その位置はメモリアルパークの一番奥だからです。

Dsc_6033

小さすぎて分かりにくいのですが、「爆風でゆがんだ鉄製の窓枠」のモニュメントの右奥、街灯の下に原爆の絵碑があります。

 原爆の絵第9号碑は、2005年8月6日には病院の敷地内に設置されましたが、メモリアルパークが完成した2014年7月2日に、現在の場所に移設されています。2006年に映された写真を見ると、広島赤十字・原爆病院の前庭に、広島赤十字病院の慰霊碑の右横に並ぶ形で設置されているのが分かります。設置場所は、この絵に書かれている「日赤病院玄関前の花壇」とほぼ同じ場所だったことが想像できます。その写真、著作権の問題があり、残念ですがここには掲載できません。ネットで検索すれば、見ることが可能です。

この「原爆の絵『動員学徒の碑』」の作者は、河野きよみさんです。この絵は、原爆資料館に所蔵されており、良く取り上げられています。平和データベースには、作者による説明が次のように書かれています。

「『日赤の花壇の上の遺体』 姉を探して、矢賀駅から瓦礫の上を歩いて漸く辿りついた。広島の赤十字病院の玄関前の花壇の上に、私と同年齢の広島県立第二中学の二年生の生徒たちが、まるで材木のように重ねられていました。彼等は、建物疎開のために屋外で作業するため、放射能を浴びて亡くなられたのでしょう。火傷はなく全く無傷のままに息絶えていました。同学年の私は強いショックを受けました。現在の建物が出来るまで、花壇は残っていて蘇鉄が緑に茂っていました。日赤に行った時には、いつもその花壇に手を合わせていましたが、十年前に立派な病院に建て替わり花壇はなくなりました。あの死体の山の中に未だ息のある人があったのではなかろうか。何人の人の遺骨が、お母さんの胸に抱かれたであろうか?と今も思うことがあります。 合掌 『名札みな広島二中と書きてありいくばくの骨母に抱かれしか』 きよみ」。 河野きみよさんは、当時14歳。

第9号絵碑にも、被爆石が使われているようですが、その説明はどこにも書かれていませんでした。使われている絵が1枚だけなのは、この碑だけです。

Dsc_6313

いま、広島赤十字・原爆病院の敷地に残っている被爆モニュメントは、電車通りに面して建つ病院の門柱だけです。

これで中区、西区に設置された原爆の絵碑8つの紹介が終わりました。安佐南区にある二つの絵碑も最近ようやく訪ねることができましたので、改めて紹介します。

いのちとうとし

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