西応寺は、被爆前も現在地にありました
5月24日のブログ「峠三吉の墓―西応寺」で、被爆前の西応寺がどこにあったか、?マークを付けながら、私なりの見解を紹介しました。
ところが、一昨日の広島原爆資料館見学で、この問題の解決を得ることができました。結論は、ほぼ今西応寺が建っている場所に、被爆時もあったということです。「ほぼ」というのは、戦後区画整理などによって新しい道路が作られたりしているからです。
思いがけないことからの確認でした。原爆資料館を見学されたことのある人には、理解できると思いますが、本館2階の展示室の見学を終えると北側の通路を通って、東館へ移動することになります。私もこの通路を東館向かって歩きながら真ん中まで来た時、平和公園を訪れている人は、何人ぐらいかなと思い慰霊碑の方向を眺め、写真を撮りました。午前9時半頃ですが、ほとんど人影が見当たりません。
写真を撮り終え振り返った壁面に、平和公園となっている旧中島地区の被爆前の復元図2枚が目に入りました。左側の大きな地図は、1960年代の爆心地復元運動で作成されたものです。黒ずんでいて見にくくなっています。右側の1枚は、中国新聞が1997年から2000年にかけて特集連載した「ヒロシマの記録―遺影は語る」のまとめで制作されたものにさらに原爆資料館が広島大学原医研の協力を得て作成した復元図です。
この新しい復元図には、中国新聞平和メディアセンターの「平和公園(爆心地)町並み復元図」では、詳細が記入されていない「中島新町」の南側部分全体が、きちんと書き込まれています。
「西応寺」の文字(逆向き)がはっきりと見えます。これで被爆前の西応寺のあった場所が確認できました。西応寺さんから電話で教えられてとおりです。ただ、「ほぼ」というのは、新しい道路のことだけではなく、よく見るとわかるのですが、現在は東向きに建っている西応寺が、地図では南向きだったことが分かるからです。
原爆資料館見学後、学芸課を訪ね、地図の所在を訊ねました。この地図だけが印刷されたものはないそうです。「2000年に、国立平和追悼祈念館をつくるための発掘作業の報告のための企画展『一瞬に消え去った爆心地の街』のパンフレットに入れるため、作成したものです。残念ですが、この地図だけが印刷されたものはないのです」との答えでしたが、最終的には、原本と思えるものから拡大コピーしたものをいただくことができました。何か引き寄せられるように感じで、短期間に宿題の一つが解決したような気分です。
今回の原爆資料館見学ではもう一つ、西応寺の原爆の絵第1号碑に関わる出会いがありました。それは、昨日もちょっと紹介をした地下の特別展示室で開催されている「新着資料展(2018年度)」に展示されている原爆の絵です。
私が「出会い」といったのは、その中に第1号絵碑の作者である木村秀男さんの作品が5枚展示されていたからです。見たことのある絵ですが、びっくりしたのは絵の大きさです。全部1メートルを超えるような大きさです。絵は、コピーされたものが展示されていますが、原爆資料館に確認すると、全部原寸大ということです。一番の大きな絵は、写真の左側に映っている絵碑と同じ構図の「原爆投下直前」の絵です。この絵だけ左下隅に「H17.7」と制作年月が記入されています。原爆の絵碑第1号は、2000年8月3日に建立されていますので、木村さんは、その後もづっと描き続けておられたことが分かります。
木村秀男さんが亡くなられ息子さんが、19枚の絵を寄贈されたそうです。そのうちの5枚が今回の「新着資料展」で展示されています。以前に木村さん自身が寄贈されたものと合わせ、合計26枚の絵が原爆資料館に収蔵されることになりました。
もし、原爆の絵碑第1号を訪ねていなければ、こんなにきちんと見ることはなかったかもしれません。
原爆資料館には今でも資料の寄付があるようですが、2018年度は「70人から613点」の寄贈があったそうです。その中から132点が今回展示されています。
被爆前の広島の様子を写した写真が何枚もあります。原爆資料館に行ったら、地下の展示室まで足を運ばれるとよいと思います。
いのちとうとし
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