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2020年6月28日 (日)

原爆資料館の1枚の展示文に疑問を感じました

広島原爆資料館の常設展示が終わろうとする東館の2階に「ヒロシマの歩み」と題する展示コーナーがあるのをご存知でしょうか。このコーナーでは「1、戦時下の広島と戦争 2、広島の復興 さまざまな支援 3、平和な世界をつくる」をテーマに写真と解説パネルで構成されています。館内を見学し、ここまで歩みを進めると、かなりの時間が経っており、そして多くが文字解説のパネルとなっていますので、じっくりと見たり読んだりする人の姿はめっきり少なくなっている気がします。

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しかしよく読むと、パネルの記載が気になる1枚があります。その1枚は、このコーナーの真ん中ほどにある「広島の復興 様々な支援」の中の「海外で暮らす被爆者」を紹介したパネルです。その全文を紹介します。

「広島・長崎で被爆後、故郷に帰国した外国人被爆者やさまざまな事情で海外に渡った日本人被爆者には、長い間、被爆者援護制度が適用されませんでした。1967年(昭和42年)の韓国原爆被害者援護協会の発足をはじめ、在外被爆者への援護を求める運動が大きくなり、1980年(昭和55年)、海外で暮らす被爆者の渡日治療が始まりました。2001年(平成13年)から在外被爆者への援護制度が順次見直され、現在では被爆者が居住する国の日本領事館などで被爆者健康手帳や諸手当の申請ができるようになり、諸手当の海外送金も行われています。」

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私が気になるというのは、その文章の終わりの方にある「2001年(平成13年)から在外被爆者への援護制度が順次見直され」という「2001年」という記述です。その理由は、後で詳細に記載します。

実は、昨年2月に資料館を訪れた時に疑問を感じ資料館に訊ねました。しばらくするとメールで回答がありました。「この展示文は、広島市の「在外被爆者への支援」に記載されている文章を根拠にしたもので「2001年の判決を受けて『在外被爆者に関する検討会』が設立され、その報告を元に徐々に支援事業が実施された、との理解に基づいています。」という内容でした。

私は、この回答には納得がいかず再び原爆資料館を訪れ、もう一度質しました。その途中、たまたま通りかかった館長から「他にもパネルの文言の中で、修正が必要なものもある。ただ、今は4月の本館リニューアルで大変なので、少し時間をください」といわれ、今後の経緯を見守ることにしました。

ところが、コロナ禍後の再開初日(6月1日)、久しぶりに資料館を訪れた時に改めて確認したのですが、展示文は以前のままでした。

どうしても納得できなかったため、6月8日に今度は理由を明記し、文書で原爆資料館の見解を尋ねることにしました。私が修正を求める理由は次の通りです。


1、記載されている「2001年から在外被爆者への援護制度が順次見直され」のうち、2001年に見直されたものは、具体的に何を指しているのでしょうか。

2、「在外被爆者への援護制度が順次見直された」ことで、最も重要なことは、2002年郭貴勲裁判の大阪高裁判決で国が敗訴し、翌2003年3月1日に「402号通達」が廃止され、同年から海外在住のまま、被爆者援護法が適用され、手当が支給されることになったことです。

3、「402号通達」が在外被爆者への援護法適用を違法に阻害していたことは、「①上記援護法適用によって支給されることになった『健康管理手当』の出国によって停止されていた未払い分については、時効が適用されず全額支給となったこと。②2007年の韓国人元徴用工裁判において、『402号通達が違法」とされ、一人当たり120万円の賠償金支払いが命じられたこと。」で明らかです。

4、以上のことを考えると、在外被爆者への援護で重要なことは、国外に在住していても援護法が適用されるようになったことであり、したがってパネル記載文について「2003年から海外在住者に対し援護法の一部の適用が開始され、」とすべきだと考えます。それは、「在外被爆者を援護法適用から除外する」という誤った政策があったことを正しく伝える上からも必要なことだと考えます。


一週間ぐらい過ぎたころ、原爆資料館から電話がありました。「広島市の記載とも関係あり、資料館だけで判断することが来ません。市と協議することにしましたので、もう少し時間をください。」とのことでした。

今、資料館からの回答待ちの状態ですが、遅くとも、8・6までには返事が欲しいと思っています。どんな回答になるかわかりませんが、回答が出れば当然のことですが、必ずこのブログで紹介したいと思っています。

いのちとうとし

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