広陵高校に設置された原爆の絵第2号碑
6月初めの暑い日、安佐南区に設置された二つの原爆の絵碑を巡りました。今日は、広陵高校の正門横に設置された原爆の絵第2号碑の紹介です。
アストラムラインの伴駅(広陵学園前)で下車し、北側丘陵地にある広陵高校をめざし坂道を登り始めました。3安佐南区スポーツセンターと広陵高校の間の道をさらに進み、さらに右折して正門をめざしました。チラシには300mと書かれていたのですが、800mほどありました。マスクをつけて上り道を歩くのはかなり大変でした。
学校に到着するとすぐに事務所を訪ね、「原爆の絵碑を見させていただきたいのですが」とお願いします。事務長と思われる方が、案内してくださいました。「原爆の絵第2号碑」は、正門横(入口から見ると右側)に、広陵高校の慰霊碑に並んで2003年6月27日に設置されています。台座には旧国鉄宇品駅プラットホームの被爆石が使われています。
2枚の絵が設置されていますが、2枚とも16歳の時、爆心地から約2キロの広島市千田町(現中区)にあった広島工業専門学校(現広島大工学部)の教室で被爆された松島圭次郎さんの絵です。右側の絵には、「建物疎開作業中に被爆した子どもたち」の様子が描かれ、「若いいのち」という詩が添えられています。
「あの日の朝/建物疎開に出ていた 子たち/焼かれて ただれて 帰って来た/暁部隊のトラックに/乗せてもらった子らもいた/あの後すぐに 多くの子らが/死んでいっただろうな/楽しい夢も 明るい未来も/あっていたはずの/若いいのちだったのに/君らの叫びと祈りは世界に伝える/安らかに眠ってほしい」
左側の絵は、御幸橋の様子が描かれ、「廣島が死による」という詩が添えられています。
「廣島に原爆が落ちて/本当にひどい有様になった/何百人も火傷を負った人たちの/行列を目にした 御幸橋/一列に並んで倒れていた 欄干石/南側のそれらは川底に落ちていた/橋の中ほどで 思わず立ち止まって/僕は眺めた 野火のように燃える/川上の西岸/激しく燃えていた 家々/天まで上っていた 黒い煙/深くは考えない 愚かな若者だった僕/それでも 生まれて育った/廣島の町/「廣島が死による」/僕は悲しかった」
作者の松島さんは、「ひろしまを語り継ぐ教師の会」会長として国内外で英語での被爆証言に力を尽くしてこられましたが、2014年11月85歳で、その生涯を終えられました。
原爆の絵碑を案内していただいた事務長が、「学校では、毎年1学期末の終業式のあと、全校生徒によって『原爆犠牲者慰霊式』を行っています」と教えていただきました。広陵高校の毎年の慰霊式の様子をアーカイブで見ることができますので、これを引用させていただき、昨年(7月20日に挙行)の様子を紹介したいと思います。
終業式が終わった後、「原爆犠牲者慰霊式」が始まります。最初に國貞和彦校長のあいさつです。「今から74年前、昭和20年8月6日、朝8時15分、世界で初めて広島市に原子爆弾が投下されました。十数万人の人々が亡くなり、広陵高校も先輩38名、教職員2名が犠牲となりました。(以下中略)改めて核兵器の非人道性、恐ろしさを認識し、どのような理由であれ核兵器の使用は許されないこと、廃絶されなければならないこと、そして『平和である今』に感謝をし、核兵器や紛争やテロのない『平和な未来』を実現するために、声を上げていきましょう」。次に放送部のナレーションでスライドの映写。ここで、原爆の絵の紹介もされています。演壇上に映された「慰霊碑」の前に、生徒会役員によって折り鶴と花束が献納されます。折り鶴は、全校生徒一人ひとりが折ったものを生徒会がつなげたものです。
屋内での慰霊式が終了した後、慰霊前で、生徒会の役員と教職員の代表によって慰霊式が行われます。例年は、この慰霊式で折り鶴は献納されるようですが、昨年は雨だったため、屋内での献納になったようです。
広陵高校は、爆心地から南南東約3キロの宇品御幸で被爆しています。御幸橋の様子を描いた絵が使われているのは、そうした縁だと思います。1965年(昭和40年)に建立された慰霊碑も、1973年(昭和48年)の学校の移転とともに、現在地に移されています。
いのちとうとし
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