原爆の絵第10号碑は、共立病院にあります
広陵高校に設置された原爆の絵第2号碑を訪ねた後、再びアストラムラインに乗り「古市駅」で下車。ここから西方向に歩いて10分ほどのところに広島医療生協協立病院があります。ここに、原爆の絵碑としては、最後に建立された10号碑が設置されています。
1階の受付前には、テントが張られて、訪れる人の体温チェックが行われていました。すぐに絵碑を見つけることができませんでしたので、このテントで検温中の看護師さんに絵碑の場所を尋ねました。
「原爆の絵第10号碑」は、病院の敷地の北東角に設置されています。この絵碑は、2枚の陶板で構成されています。
左側の陶板が、市民の描いた原爆の絵です。ただこの絵は、他の9つの絵碑とは違い、3人(森正喜美子、新澤慶子、佐々木春子)によって描かれた8枚の絵が、西岡真奈美さんの構成で1枚にまとめられています。
真ん中に安佐郡から眺めた原子雲が描かれています。それを囲むように、旧安佐郡(現在の安佐南区と安佐北区)内各地での被爆後の様子が描かれています。市内中心部から避難してきた被爆者の悲惨な状態や看護の様子を描いたものが5枚です。沼田地区に降った黒い雨の様子も描かれています。他の一枚には、可部・亀山の福王寺付近に落ちた落下傘が描かれています。
その内の避難者の列を描いた一枚には「川内村にやっとたどり着いて被災者たち。身体中やけどで手は皮が垂れさがり、赤身が出ているので、痛くて手を下げることもできない。」と説明書きがされています。川内村は、もう一枚の陶板「もう一つの原爆絵図」では、次のように紹介されています。「旧佐東町川内地区では200人近い男性が爆心地の中島町の建物解体作業に出かけたまま還らぬ犠牲者となり、『原爆未亡人村』の悲劇として現在まで語り継がれている」と。この文を読むと、平和公園本川沿いに建つ「義勇隊の碑」を思い出します。
広島市のホームページでは、この碑の説明と共に川内村の犠牲者について「川内村の義勇隊250人は全員が亡くなりました。そのうち温井地区はひとつの地域としては特に多い180人の犠牲者を出しました。」と記されています。また広島原爆戦災誌には、「当日川内村からの義勇隊は約500人。うち先発隊約250人は、現場に到着し、作業に着手中に被爆、全滅の惨劇。これは一挙に未亡人世帯の発生となり、多数の過程を破壊した。後続の250人は、行く途中で被爆し、約200人が負傷、残り50人は無傷で帰ってきた」と記述されています。全滅の犠牲となった先発部隊の多くが、温井地区の人だったことになります。
右側にある「もう一つの原爆絵図」とタイトルの付いた陶板についても簡単に紹介します。
この陶板は、第10号碑が共立病院の創立40周年の記念事業として建立されたことと、先に紹介した「川内村」など、安佐郡内の被爆当時の様子が記載されています。中国新聞の記事によれば、除幕式は、2006年10月14日に行われたようです。さらにこの絵碑には、広電の電車軌道敷石と旧国鉄宇品線宇品駅プラットホームの石の被爆石が使われていることも記されています。
この陶板には、可部線を走るSLの写真が使われています。写真の説明には書かれていませんが、広島原爆戦災誌には、被爆直後広島市内の救援活動に向かった安佐郡の人たちは、可部線三滝駅(横川駅のすぐ北隣の駅で、ここから北は運行していた:当時の可部線は横川駅からほぼ真北に延びていた)までは可部線を利用したと記載されています。そのことを表そうとこの写真が使われたと思われます。
共立病院の一角に立ち、今までに何人かの入院患者のお見舞いで訪れ、その一人が原爆詩人の栗原貞子さんだったことを思い出しました。また、共立病院は、在外被爆者の渡日治療や健康管理手当用の診断書発行などに積極的に取り組んでこられました。青木克明前院長によれば「1990年以降8カ国、563人の在外被爆者が来院された」とのことです。
原爆の絵碑の建立は、この10号で終わりになっています。10か所を訪ね歩きながら、新しく知ることも多く、沢山のことを学ぶことができました。感謝しながら、これで「原爆の絵碑」の紹介は一応の終わりにします。
いのちとうとし
[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
« 朝鮮学園高校無償化裁判控訴審が結審―広島高裁 | トップページ | 6月のブルーベリー農園その2(東広島市豊栄町) »
「携帯・デジカメ」カテゴリの記事
- 2023年11月のブルーベリー農園その4(2023.11.30)
- 広島市主催「被爆建物めぐり2023」―広島高等学校講堂(2023.11.29)
- 2023年11月のブルーベリー農園その3(2023.11.23)
- 2023年11月のブルーベリー農園その2(2023.11.15)
- 2023年11月のブルーベリー農園その1(2023.11.08)
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- ヒロシマとベトナム(その53-1) ~日越外交関係樹立50周年記念訪問―その2-1~ (2023.12.04)
- パレスチナ・イスラエル問題へのつぶやき(2023.12.03)
- パレスチナ国際連帯デーー「パレスチナに涙を」(2023.12.02)
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- ヒロシマとベトナム(その53-1) ~日越外交関係樹立50周年記念訪問―その2-1~ (2023.12.04)
- パレスチナ・イスラエル問題へのつぶやき(2023.12.03)
- パレスチナ国際連帯デーー「パレスチナに涙を」(2023.12.02)
« 朝鮮学園高校無償化裁判控訴審が結審―広島高裁 | トップページ | 6月のブルーベリー農園その2(東広島市豊栄町) »
コメント