金崎是原爆絵碑「あの日、この地で 閃光」-原爆の絵第7号碑
原爆の絵第7号碑は、西区福島町の福島生協病院の東側道路側に設置されています。
この絵碑には、「金崎是原爆絵碑」と作者の名前が付けられ、完成日は2005年8月6日です。
第7号碑の特徴は、作者の名前が付けられているとともに、添付されている絵は、最も多い10枚で構成されています。
右側の大きな台座に設置された絵は、真ん中に「消えた風景」と題する被爆前を描いた絵が縦に2枚並べられています。
上側は、子どもの福島川の土手で遊ぶ子どもの様子が、下側は、当時のこの付近で日常的だったと思われる住民の生活風景です。被爆前の街の様子を描いた絵があるのは、ここだけです。
この絵の左右に、被爆直後の様子を描いた絵が、2枚ずつワンプレートにデザインされています。左側の2枚には、「火葬」と「逃げる」のタイトルがつき、当時の様子を記したキャプションがついています。
右側の2枚のタイトルは、「閃光」と「下敷き」です。
この2枚にもキャプションがついています。「下敷き」のキャプションには、「まっ暗闇の中で、気がつくと家の下敷きになっていて、腹の下でカアチャンと子供の泣き声がしました。息苦しく、倒れた柱の下で力の限りもがききません。声を限りに助けを求めました。」と書かれています。
モニュメント全体の左側部分には、独立した3つの台座に、それぞれ1枚の絵が付けられています。
この3枚の一番右の絵には、「ピカドン」のタイトルが付けられ、モクモクと立ち上る原子雲、その下に逃げ惑う市民の姿が描かれています。
左側2枚は、被爆後しばらくして起こった平和運動の様子を描いた「闘い」と戦後の発足した福島生協病院の様子を描いた「地域医療」の2枚が設置されています。
これらすべての作品を描いた金崎是(カネサキスナオ)さんは、被爆時28歳で「廿日市にあった宇品造船廿日市工場で勤務中に被爆。すぐに福島町の自宅に帰り、妻と子どもを探すため、己斐国民学校へ行き、惨劇を目撃。」(「広島原爆資料館平和データベース」より)という体験を持つ被爆者です。そして、その体験をもとに、1989年4月には、原爆絵本「天に焼かれる」が出版されています。
この原爆絵碑には、「天満神社(中区加古町)」と「宇品線、宇品駅のプラットホーム礎石」の2か所の被爆石が使われています。宇品駅のプラットホームについて、少し調べてみました。1986年に宇品線が廃止されて以降もプラットホーム縁石は残っていたようですが、2004年5月に南道路建設のため、一部をモニュメントとして残し、撤去されました。その時、「被爆者の描いた原爆の絵を街角に返す会」の土井さんたちが譲り受け保存されていたものが、この第8号絵碑の台座に使われてようです。昨日紹介した「プラタナスの碑」(第7号絵碑)は、2004年11月に完成していますので、「宇品駅の被爆石」が台座に最初に使われた可能性もあるのですが、明記がされておらず確認できませんでしたので、ここで紹介することにしました。
宇品駅のプラットホームについては、一度きちんと調べてみたいと思います。
いのちとうとし
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