広島YMCA本館の外壁に設置された「原爆の絵第3号碑」
「原爆の絵碑」のつづきです。第2号碑は、安佐南区伴東にある広島広陵高校に設置されています。同じ安佐南区の中州にある広島医療生協広島共立病院には、第10号碑が設置されていますが、両方とも自転車で行ける範囲(他の8カ所は自転車で巡ることが可能)を超えていますので、「いずれ」ということでまだ訪れていません。
今日は、広島YMCA本館に設置された「原爆の絵第3号碑」を紹介したいと思います。
広島YMCAは、爆心地からは約680mの距離ですから、「原爆の絵碑」の中では爆心地に最も近い場所になります。2003年8月6日に設置された3号碑には、外壁に沿う形で6枚の絵が使われています。
6枚のうち4枚は壁と同じ垂直に、2枚は道路面と同じ平面に設計されています。垂直に並ぶ4枚の左上は、「ノーモアヒロシマ」と書かれた森下清鶴(弘)さんの書です。森下さんについては、次回の第4号碑で詳しく紹介したいと思いますので、今日は省略します。力強い文字です。右上は、四國五郎さんの「平和行進 ヒロシマに到着」の絵です。原爆ドームをバックに、夏の暑さの中を歩き続け、無事に到着した親子の姿が描かれています。
2段目の2枚は、両方とも石倉宏さんの絵です。左側は「爆風で飛んだ電車」、右側は「福屋百貨店の残骸」とタイトルが記載されています。「電車」を描いた左側の絵に添えられた文章には「8月10日革屋町電停附近」とありますが、この2枚を見ていると、福屋百貨店前の電車の中で被爆した石田明さんのことを連想せずにはいられません。瀕死の重傷を負いながら、お母さんの懸命な看護で一命をとりとめ、生涯を被爆教師として闘い抜かれた石田明さん。改めて石田明さんの遺志を引き継がなければと思います。
福屋百貨店は、今も被爆建物として現存しています。広島原爆資料館のデータベースを検索したのですが、石倉宏さんの絵は登録されていませんので、石倉さんの詳しい情報を得ることはできませんでした。ただ、参考資料として登録されている「1978年3月20日刊『老人大学文集第3集』 広島市社会福祉協議会」の中に「おすすめします。マンガの特技 講師 石倉宏」という項を見つけることができます。この本は、広島市中央図書館に収蔵されていますが、現在館内での閲覧ができませんので、今のところこれ以上の情報を得ることはできませんでした。
一番下段の平面に設置された2枚は、島谷茂登さんが描かれた「炎上する中心部Ⅰ」炎上する中心部Ⅱ」です。
すさまじい紅蓮の炎に燃え盛る様子に目を奪われます。島谷さんも広島原爆資料館のデータベースを検索したのですが、絵は登録されておらず詳しい情報を得ることはできませんでした。
この「原爆の絵第3号碑」の台座も広島電鉄提供の被爆石が使われています。
広島YMCAには、「原爆の絵碑」の壁の裏側にもう一つの慰霊碑があります。「済美学校の碑」です。
ここには、被爆時、日本陸軍将校の親睦組織であった偕行社が、 軍人や上流階級の子弟教育のために開校した「済美学校」があり、登校していた生徒全員が被爆死したとされています。台座の下碑文には「昭和20年8月6日 原子爆弾により校舎は壊滅し 職員生徒多数死没した」とだけ記され、具体的な犠牲者の数は刻まれていません。
学校は、被爆した年の12月10日に廃校になりましたが、1955年(昭和30年)8月の原爆10周年記念日を機として、男女卒業生が集まり「済美校友会」が組織され、1970年(昭和45年)に校舎跡に記念碑が建立されました。1955年8月は、第1回原水爆禁止世界大会が開催され年です。
男女の児童像によって形作られた記念碑の背面の壁には、峠三吉の原爆詩集に納められている「墓標」が刻まれています。
「君たちはかたまって立っている/さむい日のおしくらまんじゅうのように/だんだん小さくなって片隅におしこめられ/いまはもう/気づくひともない/一本のちいさな墓標// 「斉美小学校戦災児童の霊」 //焼煉瓦で根本をかこみ/三尺足らずの木切れを立て/割れた竹筒が花もなくよりかかっている(以下略)」
かつては、ここに本館への入口の一つがありましたので、本館を使用するときよく目にした記憶があります。ただ、現在はすぐ奥に「YMCA幼稚園」があるため、本館への入り口としては使用されなくなっていますのでこの碑を見る人も少なくなったのではないかと思います。
いのちとうとし
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