「原爆の絵8号碑」の除幕式
3日午前11時、フジグラン広島(中区宝町)で「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」が制作した「原爆の絵8号碑」の移設除幕式が行われました。
事前の中国新聞報道で、今回移設された「8号碑」は、原広司さんの絵が焼き付けられていることを知り、除幕式に参列することにしました。
全員の黙とうで始まった式は、最初に主催者お二人のあいさつです。一人は、「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」会長の岡村信秀さん。岡村さんは、県生活協同組合連合会の理事長でもありますので、「ヒバクシャ国際署名」の活動などを通じて旧知の方です。
もう一人は、今回の「絵碑」の設置場所を提供された株式会社フジ代表取締役会長兼CEOの尾崎英雄さん。
尾崎さんのあいさつは、「昨年の春から初夏にかけて、広島県から場所提供の打診がありました。近くに世界的なホテルも建設されるので、世界の人々にこの絵碑を見ていただく機会となり、核兵器廃絶に繋がればとの思いで、協力することにしました。」さらに「少し長くなるのですが」と前置きし、「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」の初代会長であった小説家・脚本家の早坂暁さんが、株式会社フジの本社がある松山市の隣北条町(現在は松山市に合併)の出身であることを紹介しながら、早坂さんと原爆のかかわりについて話されました。「生家が遍路みちに面した大きな商家で、幼少より遍路に接してきたこと、また、遍路に置き去りにされ、生家が引き取って『妹』春子として育った少女が、広島で原爆に遭い死亡したと思われる。その春子さんを探しに広島に来た早坂さんは、春子さんを見つけることはできなかったが広島の惨状を目の当たりにした。そのことがあったため、この会の会長を引き受けたのだと思います。」この話を聞きながら、確かNHKで放映されたなと思い、帰宅後調べてみました。早坂さんが亡くなられて(2017年12月16日)翌年の夏、「花へんろ 特別編『春子の人形』」として放映されていました。
主催者のあいさつの後、学校法人広島山陽学園専務理事石丸仁土さん、原画制作者米田勁草さんの二人の来賓を加えた4人による除幕が行われました。
爆心地から490メートルにあった山口銀行広島支店外壁に使われていた被爆石を台座に、縦70センチ横1メートルの黒御影石に焼き付けられた3枚の絵の陶板がはめ込まれた「原爆の絵碑」が登場しました。
その後、来賓のあいさつ。最初は石丸さんです。「8号碑が移設されたこの場所は、1966年まで山陽学園山陽高校の校地であった。1945年の原爆投下で校舎は焼失した。教職員と生徒が505人死亡した」とこの場所との縁を紹介。次に米田さんのあいさつです。自分自身は、学童疎開で旧加計町安野の正覚寺にいて被爆を免れたことを話しながら、「被爆者ではないが、忘れることはできない。被爆者の犠牲の上に今の広島があることを忘れてはならない。この絵にカンナを描いたのは、がれきの中から芽を出した初めて最初に見つけたのがカンナだったからです。復興の象徴として描きました。」と絵への思いを語られました。米田さんの絵には、父米田栄作さんの詩「路傍のみどり」の抜粋が添えられています。
「原爆の絵8号碑」には、3枚の絵が焼き付けられていますが、うち左右の2枚が原さんの絵、真ん中が米田さんの絵です。
原広司さんの絵は、原爆投下の翌日7日に入市し目にした光景が描かれています。左側は、11時40分富士見町。
キャプションにはこう書かれています。「『水をくれ―』「水をくれ―」と私に言った。学校から帰る際、先生から『水を飲ませたら死ぬ』と注意があった。私はその場を逃げるように足早に行った。手を合わす姿が今も忘れられない」
右側は、12時10分宝町。
こちらのキャプションは「死体の上に焼けたトタンがかぶせてあった。付近に収容されない死体が多く放置されていた。なんたる光景であろうか。1日前までは戦時下であっても家族があり、元気に生きていたのに…」
40分ほどで、除幕式は終わりました。
「原爆の絵8号碑」の移転までの経緯や、他の「原爆の絵碑」(全部で10枚)のことや台座の被爆石のこと、山陽高校のことなどについて調べてみましたので、改めて紹介したいと思います。
いのちとうとし
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