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« 4月のブルーベリー農園その4(東広島市豊栄町) | トップページ | 新型コロナウイルス断想・その2 ――「当事者意識」の欠如、ノブレス・オブリージュ―― »

2020年5月 1日 (金)

新型コロナウイルス断想・その1 ――「お手本」を示すのはリーダーの義務――

新型コロナウイルス断想・その1

――「お手本」を示すのはリーダーの義務――

 

   「安倍宣言」、つまり安倍総理が2月28日に発した「全国一斉休校要請」についての「記録」は、最初に考えていたより少し長くなりましたが、一応、形ができたような気がしています。不十分な点や、偏見、誤った解釈、事実の取り違え等、お気付きの点があれば、御面倒でも御指摘下さい。より分り易く改善して、後世への記録として残しておきたいと考えているからです。

そして何より「工場長」さんに感謝しています。私の守備範囲はそれほど広くありませんので、それを補完してしかも大切な事実の指摘や、方向性についてのアドバイスなどなど、何時ものことですがとても勉強になりました。その結果も生かして、一つ二つ、問題提起しておいた方が良さそうなことも見えてきましたので、「断想」として、不定期にアップさせて頂きます。

今考えているテーマは、

  • 総理大臣を初め、リーダーたちの「当事者意識」の欠如--これが今回のテーマです。
  • 日本で死者数が少ない訳――私自身の偏見・独善的見方でしかない可能性があります。
  • 英語で読んだ、新型コロナウイルスの分り易い解説紹介。

もし、こんなテーマを一緒に勉強しよう、という御提案を頂ければ、私のできる範囲で情報を集めて、「工場長」さんにもアドバイスを頂きながら取り組んでみたいと考えています。

さて、「国難」、「世界難」とでも言える今回のような危機に直面したときに、国や世界のリーダーたちには、当然、重要な役割を果すことが求められます。「義務」と言っても良いでしょう。思い付くままにどの様な決定をしなくてはならないのかを列挙してみても、大切な事ばかりいくつも頭に浮びます。感染を広げないためにはどうすれば良いのか。様々な活動の自粛をしたり、世界的には国境封鎖や都市封鎖をするのかどうか、そして仮にそれほど大胆なアクションが必要だったとして、いつからいつまでどの程度の制限を加えるのか、さらには、その間にも日常生活が維持できるようなシステムをどう構築するのか。医療体制をしっかりと組み立て、患者たちの命をどう守るのか、そして様々な規制の結果として大きな影響を受ける経済を破綻させないための緊急システムをどう作るのか。コロナ危機脱出後の都市・国家・世界像を描きつつ、それに役立つしかも今でなくてはできない準備をどう始めるのか等々、リストを作り始めれば尽きることはありません。

我が国のリーダーに話を限っても、感染予防のために、早い時期から国民への協力要請を熱心にしてきたことも大切です。最初の内は、①換気の悪い密閉空間、②多くの人の密集する場所、③近距離での会話、の三つの条件が重なる場を避けるための行動をするようにという呼び掛けでした。「近距離」が約2メートルということもかなり広まっていました。たとえば、広島カープの入場券発売が3月1日にありましたが、待っている人は、直径1.8メートルの丸いカーペットの真ん中に立って、隣の人との距離を2メートル取るよう、球団が丸いカーペットを販売所前に敷き詰めていました。

この3条件が「三密」と呼ばれることになったのは、私の気付いた限りでは、小池都知事の3月25日の記者会見でした。この用語が使われることで、何をすべきなのかが分り易く伝わるようになりました。

「換気の悪い密閉空間」、「多くの人の密集する場所」、「近距離での密接した会話」、これら3つの密を避けていただく、そのような行動をお取りいただきたいと存じます。これを「ノー3密」と呼んでおります。

さてここからが問題提起です。これだけはっきりとしたメッセージが出されているのですから、これを聞いた人は「全て」「No 3密」の行動をしていて当然ですよね。その「全て」の中には当然自分自身、そして自らの属する組織も入ります。でも次の画像を見て下さい。

Photo_20200424210101

知事も含めて誰もマスクをしていませんし、隣同士の距離も近過ぎませんか?記者席もかなり「密」です。そして総理大臣の記者会見も同様です。全国民にマスク配布を発表した3月28日の記者会見でもマスクはなし、そして「密閉」「密集」「密接」と3拍子揃っています。

Photo_20200424210102

その後、こうした状態は改善されましたが、「アベノマスク」とまで揶揄された決定が説得力を持たなかったのは、「あなた方にはマスクが必要。でも私たちにはマスクは不要」というメッセージも一緒に伝わったからなのではないでしょうか。

このことを、ずばりと伝える慣用句が英語にあります。「Do as I say, not as I do.」です。たとえば、自分の子どもに「早く寝なさい」といったとして、「でも、パパは早く寝ないじゃない」という答えが返って来たときなどに、「私の言う通りにすればいいの。私がすることを真似しちゃ駄目。」と答えるような場合に使われますが、世界中の多くの親たちには親しみのある言葉でしょう。

またまた長くなってしまいました。まだ言いたいことがありますので、次回に続きます。

 [2020/5/1 イライザ]

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コメント



イライザさんにアドバイスなど恐れ多いことですが「英語で読んだ、新型コロナウイルスの分り易い解説紹介」に一番興味があります。これは新型コロナに限りませんが、日本語で見る世界と英語で見る世界の乖離が大きくなる一方で、同じNHKですら、国内向けと海外向けではニュアンスだけでなく書かれている「事実」すら違うように思います。学生の頃から英語が最も苦手な教科で専らGoogle頼みなので、是非、正確なニュアンスを含めて知りたいところです。

Do as I say, not as I do.


一つ賢くなりましたw ありがとうございました

とにかく膨大な情報が出ている中、読めていないものも多くあります。かなり遡りますが、昨年の10月18日、ニューヨークでは「次に起きるパンデミックはコロナウイルスによる」ことを想定して、世界経済フォーラム、ビル&メリンダ・ゲイツ財団、ジョンズ・ホプキンス健康安全保障センターの共催で「EVENT


201」として開催され、新型コロナウイルスは、18カ月以内に6500万人の死者を出し、世界経済を大暴落に追い込んでいくというシミュレーションがされ、動画も公開されていますが、これも興味はあるのですが、結構長く英語は2倍速では無理なので、まだ見ていません。
https://www.youtube.com/watch?v=AoLw-Q8X174&list=PL9-oVXQX88esnrdhaiuRdXGG7XOVYB9Xm

巷では「コロナ自粛疲れ」なんて言われていますが、私のコロナ疲れは、コロナ対策によって次々と露呈されるリーダーの無能ぶりへの怒り疲れです。


後手後手行き当たりばったりとしか見えない日本政府のもとで、日本人の死亡者数の少なさは不思議です。
なぜなのか、そのことに私は一番関心があります。しかし、下手に死者数の少なさを口にすると、日本政府の対策が良いのだと勘違いされるので、普段は口にしません。
イライザさんの独善的見解を楽しみにしています。

911もイスラム国もそうでしたが、我々はまた壮大なドッキリショーの中にいるように思います。

立て続けのコメントで失礼します。


日本ではよく「安全と安心は違う」ということが言われます。私も日本人なので分からなくはないのですが、どちらかと言えば、私自身は、安全が確認できれば安心、そうでなければ安心できないと、あまり違わないのですが、色々な場面で、結構違う使われ方がしていると感じることがあります。

そもそも「安心」にピッタリする英語も思い浮かばないのですが、どうなのでしょうか。

「工場長」様


続けてのコメント有り難う御座いました。それと、「工場長」さん御自身が書かれている「タウンNEWS広島平和大通り」でも、コロナウイルスについての論考をアップして下さり、今回は「パルスオキシメーター」がテーマですが、とても勉強になります。念のため、URLです。

http://hiroshima.moe-nifty.com/blog/2020/04/post-1f802b.html

英語のサイトでも、それほど広範囲を守備範囲にはしていませんので、かなり偏っていると思いますが、いくつかは御紹介する積りです。

ニューヨークでの「EVENT 201」についての報道を読んだような記憶がありますが、その時点ではまだその重要性に気付いていませんでした。時間があれば、記録を読みたいと思います。

「⑦パパ」様


コメント有り難う御座いました。

日常的に繰り返していることでも、言葉にしてラベルが付くと、客観視できるというメリットがあるようです。

「三原の暇人」様

コメント有り難う御座いました。

独断と偏見ばかりのまとめになりますが、反論等も大歓迎ですので、宜しくお願いします。

「ビビり」様


コメント有り難う御座いました。

「ドッキリショー」という感覚、分ります。同時に、田舎に住んでいると外の世界とは切り離されているせいで、実感がわかなくなる時もあります。

「工場長」様


コメント有り難う御座いました。

「安心」には色々な意味があり、一番普通に使われている場合は、何らかの心配事から解放される時だと思います。その場合は「relieved」が良く使われるようです。まさに、何かから解き放たれる感じです。その他「reassured」とか「peace
of mind」等もありますし、「feel
safe」などがピッタリする場合もありますので、個々のニュアンスで決めるのが良いのではないかと思います。

今日も、政府の専門家会議の会見があり、ソーシャルディスタンス、フィジカルディスタンス、三密回避、色々言われていましたが、最近では見ることのないような過密な会見でした。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

正に、「Do as I say, not what I do.」の世界でした。しかも尾身副座長はかなり頻繁に手でマスクを触っていました。手で顔を触るよりは良いのでしょうが--。

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コメント

イライザさんにアドバイスなど恐れ多いことですが「英語で読んだ、新型コロナウイルスの分り易い解説紹介」に一番興味があります。これは新型コロナに限りませんが、日本語で見る世界と英語で見る世界の乖離が大きくなる一方で、同じNHKですら、国内向けと海外向けではニュアンスだけでなく書かれている「事実」すら違うように思います。学生の頃から英語が最も苦手な教科で専らGoogle頼みなので、是非、正確なニュアンスを含めて知りたいところです。

Do as I say, not as I do.
一つ賢くなりましたw ありがとうございました

とにかく膨大な情報が出ている中、読めていないものも多くあります。かなり遡りますが、昨年の10月18日、ニューヨークでは「次に起きるパンデミックはコロナウイルスによる」ことを想定して、世界経済フォーラム、ビル&メリンダ・ゲイツ財団、ジョンズ・ホプキンス健康安全保障センターの共催で「EVENT 201」として開催され、新型コロナウイルスは、18カ月以内に6500万人の死者を出し、世界経済を大暴落に追い込んでいくというシミュレーションがされ、動画も公開されていますが、これも興味はあるのですが、結構長く英語は2倍速では無理なので、まだ見ていません。
https://www.youtube.com/watch?v=AoLw-Q8X174&list=PL9-oVXQX88esnrdhaiuRdXGG7XOVYB9Xm

巷では「コロナ自粛疲れ」なんて言われていますが、私のコロナ疲れは、コロナ対策によって次々と露呈されるリーダーの無能ぶりへの怒り疲れです。
後手後手行き当たりばったりとしか見えない日本政府のもとで、日本人の死亡者数の少なさは不思議です。
なぜなのか、そのことに私は一番関心があります。しかし、下手に死者数の少なさを口にすると、日本政府の対策が良いのだと勘違いされるので、普段は口にしません。
イライザさんの独善的見解を楽しみにしています。

911もイスラム国もそうでしたが、我々はまた壮大なドッキリショーの中にいるように思います。

立て続けのコメントで失礼します。

日本ではよく「安全と安心は違う」ということが言われます。私も日本人なので分からなくはないのですが、どちらかと言えば、私自身は、安全が確認できれば安心、そうでなければ安心できないと、あまり違わないのですが、色々な場面で、結構違う使われ方がしていると感じることがあります。

そもそも「安心」にピッタリする英語も思い浮かばないのですが、どうなのでしょうか。

「工場長」様

続けてのコメント有り難う御座いました。それと、「工場長」さん御自身が書かれている「タウンNEWS広島平和大通り」でも、コロナウイルスについての論考をアップして下さり、今回は「パルスオキシメーター」がテーマですが、とても勉強になります。念のため、URLです。

http://hiroshima.moe-nifty.com/blog/2020/04/post-1f802b.html

英語のサイトでも、それほど広範囲を守備範囲にはしていませんので、かなり偏っていると思いますが、いくつかは御紹介する積りです。

ニューヨークでの「EVENT 201」についての報道を読んだような記憶がありますが、その時点ではまだその重要性に気付いていませんでした。時間があれば、記録を読みたいと思います。

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。

日常的に繰り返していることでも、言葉にしてラベルが付くと、客観視できるというメリットがあるようです。

「三原の暇人」様

コメント有り難う御座いました。

独断と偏見ばかりのまとめになりますが、反論等も大歓迎ですので、宜しくお願いします。

「ビビり」様

コメント有り難う御座いました。

「ドッキリショー」という感覚、分ります。同時に、田舎に住んでいると外の世界とは切り離されているせいで、実感がわかなくなる時もあります。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

「安心」には色々な意味があり、一番普通に使われている場合は、何らかの心配事から解放される時だと思います。その場合は「relieved」が良く使われるようです。まさに、何かから解き放たれる感じです。その他「reassured」とか「peace of mind」等もありますし、「feel safe」などがピッタリする場合もありますので、個々のニュアンスで決めるのが良いのではないかと思います。

今日も、政府の専門家会議の会見があり、ソーシャルディスタンス、フィジカルディスタンス、三密回避、色々言われていましたが、最近では見ることのないような過密な会見でした。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

正に、「Do as I say, not what I do.」の世界でした。しかも尾身副座長はかなり頻繁に手でマスクを触っていました。手で顔を触るよりは良いのでしょうが--。

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