憲法違反が続くのは何故なのか? ――結論が先にあったから――
《簡単にお浚い》
前回も確認したように、字義通りに読むと死刑は違憲であり、憲法遵守義務はその通り義務なのですが、現実には最高裁が死刑は合憲であるとの判決を出し、憲法遵守義務は「道徳的要請」なのです。ということは、我が国の司法関係者の間には憲法より優先される価値とか世界観があって、それに従って憲法が解釈されているという「仮定」でも設けない限り説明が付きません。別の言い方をすれば、新憲法の解釈を曲げてでも守らなくてはならない何かがあったに違いない、ということなのです。
《結論が先にあった?》
では、最高裁や権力の側にいる人たちは何を守ろうとしていたのでしょうか。それは、一つには死刑制度なのですが、その背後にあるのは、長い日本社会の伝統である家族制度であり、それを支えるための敵討ちという制度だと考えられるというのが今回の主張です。
この両者を含むより広い概念としての「国体」という言葉を使った方が良いのかもしれません。それは天皇制そのものなのですが、「国体」には、天皇制を支える諸々の制度や価値観等も含まれますので、本稿ではその中でも重要な「家族制度」と「敵討ち」を抜き出して考えています。
天皇制とは形式的には家族制度を権威付け、諸々の「家長」から成る「家族」の中での「家長の家長」が天皇だという形なのですから、家族制度を否定してしまったのでは天皇制そのものが成り立ちません。その家族制度の中でも、少し小さい規模の江戸時代の藩を考えてみましょう。藩も一つの家族に準えられていましたが、そのシステムの中に存在する多くの家々の間の力関係を調整する手段としては、目付等の司法制度がありました。しかし、その底流には仇討制度がありました。それが義務付けられていた場合もありました。自らの生命によって責任を取るという武家社会の基本的な考え方が、家族の一員に対する最大限の侮辱、特に理屈の立たない殺人に対しての報復としての仇討ちとして、武家階級の究極の正義実現手段になっていたのです。
しかもそれは、武家階級に止まらず、日本社会の中では「仇討ち」が道徳的なレベルでの基本的な位置を占めるまでになったのです。それは、つい最近までは、紅白歌合戦以上に年末の「赤穂浪士」をテーマにした大物俳優総動員の大型ドラマなしには年を越せないくらい定着した事実から容易に類推できることです。仇討ちが神聖化されたと言って良いでしょう。
そして、世論調査によると日本人の85パーセントは死刑制度に賛成しています。それは、「仇討ち」の神聖化されてきた歴史と無関係ではないはずです。その「仇討ち」メンタリティーは、明治時代になると国家の枠組みの中に吸収され、死刑制度を頂点とする系法体系に生まれ変わりました。その中で、死刑が究極の罰則として存在し続けていることが、この体系の要であったことは容易に理解できるはずです。
こうした歴史と多くの人々の思いとがあり、それが、死刑は「合憲」だという判断をささえていると考えると、それなりに「死刑合憲論」の依って立つ根拠が分るような気がします。これは、昭和23年の最高裁の判断が、結論ありきだと言っていることになるのですが、そうとでも考えない限り、あれほど非論理的な理屈を採用することは難しいのではないかと思われます。
日本式の家族制度を保存して行こうという考え方は、当然、民法にも現れています。たとえば、婚外子 (かつては非嫡出子と呼ばれた) は、相続に当って嫡出子の半分しか遺産を相続できないという差別的な民法900条があったのですが、これは新憲法施行の際には全く顧みられず、それから60年以上経って、2013年にこの規定が制定されてから115年振りにようやく削除されたのです。「家長」が妻以外の女性との間にもうけた子どもに対する家族の憎しみ等の感情もこの差別を助長していたのですが、「家長」は非難の対象にはならず、親を選べない子どもの人権が認められないという状態が戦後60年以上続いていたのです。それだけではなく、婚外子の人権を守るために、何度か訴訟が起こされ、婚外子差別は違憲であるという主張が行われたにもかかわらず、そのたびに最高裁は、この差別は「合憲」だという判断を下していたのです。つまり、憲法より優先される価値や世界観が日本社会の動きを左右していたことが明らかに示されているのです。
そして権力者の側には、社会的に弱い立場の人たちの人権をより頻繁に侵害する傾向のあることから、「無謬性神話」に近付きたいと思います。
[2020/3/11 イライザ]
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