話すことの大切さ
「三島由紀夫VS東大全共闘」というドキュメンタリー映画が上映されています。まだ観ていませんが、期間中には観たいと思っています。
新聞にこの映画が「問うもの」という記事を掲載していました。三島由紀夫の考えが間違いで。全共闘が正しいとかいうことではなく、この映画が問うているのは「言葉」ということだと思っています。
時代は1969(昭和44)年、三島と全共闘の学生たちが、政治や思想について議論を交わすのです。右翼の三島と、左翼の全共闘とはまさに「水と油」という関係ですが、それがお互いに言葉を交わすことで、両方の接点を見出そうというものです。
最近、言葉を交わすということが極端に少なくなったように思い、たいへん憂いています。
大阪市長が兵庫県との往来を自粛して欲しいと発言し、市長に対し記者は「兵庫県知事と事前話したのか?」と尋ねた時、大阪市長はそれを否定しました。
「痩せても枯れても」行政のトップにいる者が、事前に話してもいないということに、まさに「開いた口が塞がらない」という気持ちになりました。「話せば解る」ということを自らが否定する考え、これは「喧嘩を売った」としか言えません。
新聞は「三島由紀夫VS東大全共闘」について、「体温や汗を感じる対話 重要だと感じる」と書いていましたが、その通りだと思います。
かつて何かに、「絵文字でしか(笑い)の表現ができない時代が来るのでは」というようなことを書いた記憶があります。最近テレビなどで一方方向で「笑い」は提供されるが、それを観ている側は「ブスッー」とした状況でいるというのに、まさに慌てることがあります。「失語症の時代」ということも言われていたと思います。
小学生の頃、近所に住む1級下の友人と近くの銭湯に行き、銭湯で「なんだかんだ」と話すことが楽しみでした。その時間が長すぎて僕はノボセテしまい、脱衣場の長椅子で横になっていたという経験があります。
「以心伝心」とか「ツーといえばカー」とかいう言葉もありますが、たとえそうであったとしても、言葉で伝えることは大切です。
特に云い難いこと、相手が嫌がるであろうことの催促など、伝えたくないことは、だからこそ言葉で伝えることの勇気を持って欲しいのです。
好きな人が出来たら素直に「好きだ!」と伝えること、ストーカーと思われる線は超えない形でなら、聞いた方は悪い気にはならないと思うのですが。僕は云ったことは何度もありますが、残念ながら云われた経験はありません。
木原省治
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