千田町一丁目町民慰霊碑・ふりかえりの塔
鷹野橋交差点の南側緑地帯に、1977年8月に千田町一丁目町内会のみなさんが建立された「千田町一丁目町民慰霊碑・ふりかえりの塔」が建っています。
「ふりかえりの塔」の周りは、町内会の皆さんのお世話だと思いますが、いつもきれいに整備され、先日訪れた時には、水仙のつぼみもが大きく膨らんでいました。
訪ねたことのある方はご承知だと思いますが「ふりかえりの塔」の左側には碑文を刻んだ石が配置されています。少し長いのですが引用します。
「ピカ…ドン 崩れた家々は たき火のように燃え拡がり はりの下敷きとなって あちら、こちらで助けを求める悲痛な叫び 迫りくる日の海の前に 人の力は あせれど弱い 「逃げて早く逃げて…」と叫ぶ いとしい人の声もとだえた今 後ろ髪を引かれ 振り返ってはころび 火の粉を浴びながら また 振り返る 偲い残り あの日あの時を 再び繰り返してはならない」
わが家の近くですのでよく見かけていたのですが、改めて訪ねてみようと思ったきっかけがあります。それは、べつのことで調べたいことがあり、「『ヒロシマ・ナガサキを考える』の復刻版」(東京在住の詩人・石川逸子さんが1982年から2011年5月まで100号を発行)をめくっていたところ、46号(1993年発行)に掲載された「兵隊たちが歩いた町」と題する西本宗一(むねはる)さんの被爆体験記が目に留まったからです。
西本さんが当時住んでいたのは千田町一丁目で、広島高等師範学校付属中学校の正門前(現在の旧広大跡地にある正門)だったそうです。「電車道のすぐそばで、夜になるとその電車道をよく戦車隊、自動車隊、騎兵隊、軍靴の音高く歩兵隊らが軍歌を歌いながら宇品に向けて行進し、宇品港からアジア各地に出港していました。軍刀を下げた将校に敬礼して、返礼してもらっては得意がるような子ども時代でした。とにかく兵隊の姿が目立つ町でした。」当時の軍都廣島の様子が浮かびます。
この後、西本さんの証言は被爆体験へと移ります。家族は5人。原爆の爆風によって倒れた家の下敷きに。「母は全身、血に染まっていました。姉の頭は見えました。がれきの中に閉じ込められていて、・・・いくら呼びかけても反応がありません。」通りすがりの学生や消防団なども助けようとしてくれたのですが「これはだめだ、と言って立ち去りました。」「母は血を流しながら放心したみたいに座込んでいました。やがて風が強くなって、日が迫り、火の粉が飛んできます。熱いんです。私は、逃げようと母に言いました。日赤病院に逃げるということは、日頃よく教えられていましたから、私は母の手をひぱって、日赤病院の地下室に逃げました。途中のことは何も覚えておりませんが、母が何度も立ち止まり、振り返っては手を合わせていた姿だけは鮮明に覚えています。私と助け出せない姉・妹の間で母はつらかっただろうと思います。」
このあと、西本さんは「『ふりかえりの塔」の碑文」を紹介し、「今年(1992年)の夏、初めてその碑文を私は見たのですが、千田町一丁目にはわが家と同じような体験をした人がたくさんいることを、改めて知りました。」
西本さんの証言は、その後被爆体験だけでなく戦争の告発と続きます。全文紹介したいのですが、今日はここで終わりにします。広島中央図書館も所蔵していますので、関心のある人はぜひそちらで読んでみてください。
「ふりかえりの塔」はこれまでも何度も訪れ、その度に「碑文」を目にしていましたが、西本宗一さんの被爆体験記を読んだ後で訪れた今回は、その時の情景を具体的に想像することができるとともに、碑を建立した人たちの決して忘れることのできないあの日への思いを知ることができました。
いのちとうとし
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