「赤レンガ倉庫は語り継ぐ―旧広島陸軍被服支廠被爆証言集―」
今日は、一昨日引用した「旧被服支廠の保全を願う懇談会」が発刊した「赤レンガ倉庫は語り継ぐ―旧広島陸軍被服支廠被爆証言集―」を紹介したいと思います。
昨年12月に広島県が「被服支廠の1棟保存、2棟解体」の方針を明らかにして以来、陸軍被服支廠への関心が高まり、保存を求める声が大きくなりました。まさに時宜を得た発刊になりましたが、読んでみるとかなり以前から準備されていたことが分かります。
本は、同懇談会の中西巌代表の「はじめに」につづき「第1部 一人一人の『倉庫も記録』」で、「被爆証言」が載っています。峠三吉の「倉庫の記録」とともに、有名な「峠三吉日記」も8月4日から糸崎の日赤病院に入院する8月20日までの全文が掲載されています。この日記で峠三吉は、近所の河内さんの従妹を探して被服廠のコンクリート大倉庫(日記中の表現)にたどり着き、構内で見たすさまじい光景を8月8日の日記に詳しく書いています。「心を定めて収容所たる会場に足を踏み入れたる時の光景は終生忘れ得ず、また忘るべからざるものなりき」と。
第2部は、「甦る旧広島陸軍被服支廠」です。一昨日広島第一県女とのかかわりとして少し紹介しましたが、被爆前の「被服支廠」の様子が詳しく掲載されています。その中には、建築家橋本秀夫さんが「被服支廠」についてまとめられた「建物詳細」「関連業者」などの貴重な資料が掲載されています。元となった「橋本秀夫の仕事ぶり : 建築家橋本秀夫遺稿集」が、市立図書館にあることが分かりました。しかし3月29日までサービスが休止され、予約以外の本は貸し出しができないということですので、すぐに貸し出しができません。とりあえず予約を入れておきまし。た。
橋本秀夫さんが作図された被服支廠構内図
この第2部には、この他にも以前紹介した被爆者切明千枝子さんが、「自らが被服支廠内の保育所に通ったこと」など近所に住んでいて体験した思い出を克明につづっています。
昨年12月に広島県の方針が発表されて以降、様々な動きや声が上がりましたが、その中で「被爆の歴史」と共に、これまではあまり聞くことがなかった「加害の歴史」という言葉が、多くの人から指摘されるようになりました。この第2部は、「加害の歴史」を考えることになる構成となっています。
第3部は、資料編です。ここには、2013年12月に「旧被服支廠の保全を願う懇談会」発足に向けた初めての講演会が開催されて以降の取り組みや経過が「活動報告」として詳細に記載されています。同懇談会が早くから「被服支廠保存」のために活動されていたことが分かります。その他にも「被服支廠年表」や1992年以降の「旧被服支廠赤レンガ倉庫」を巡る広島市や広島県の動向もきちんとまとめられています。
この本には、古い写真(戦前という意味だけでなく、戦後の貴重なものも)が、ふんだんに使われていますので、それを見ることができるという意味でも貴重な資料です。
多くの人に読んでほしい本ですが、会員配布とのことですので、手に入れようと思えが、会員になる必要があります。
最後に「おわりにかえて 地味な建物だからこそ」を書かれた山野上純夫さんのことについてもう一度触れたいと思います。この文章の中では、山野上さんと被服支廠の関係について「昭和19年6月から20年1月までの半年間、旧制中学校の3年生だった私は、戦時下の通年動員として『広島陸軍被服支廠』の輸送班箱打勤務した」と赤レンガ倉庫で働いた時の様子を記載されています。「1月以降は?」と疑問が湧きます。その答えが、「ふるさと暦」に書かれています。その1月に「戦争に勝つためには科学教育の振興が必要」として全国の3つ(東京、金沢、広島)の高等師範学校付属中学校に特別科学許育研究学校(略称・科学学級)が新設され、山野上さんはその学級の一人に選ばれ、広島高等師範学校付属中学校(現在の広大跡にあった)に戻り、そこで被爆することになります。学業を放棄させられて動員作業に行くのも、学校に戻るのも「すべて戦争のため」に進められたことがわかります。
それが戦争だということを痛感させられます。
いのちとうとし
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