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2020年3月21日 (土)

弱者に冷たい日本の法律制度 ――弱者が裁判で問題提起するまでは「放置」――

《簡単にお浚い》

これまで、新憲法の制定時に、最高裁の判事も含めて、当時の日本政治の枢要な立場についていた人々が、仮に憲法の精神、特に基本的人権の大切さを血肉として身に付けていたら、つまり内面化していたら、死刑は違憲であり憲法遵守義務は法的義務だという判断をしたであろうと推測しました。これを短縮して、「国は憲法の価値観を内面化していなかった」と述べても良いように思います。

つまり、現実として憲法は内面化されてはいなかったのですから、基本的人権を中心とする憲法の精神に優先する何かが入り込む余地があったはずなのです。前号ではそれが「国体」であり、特に家族制度と仇討という柱に支えられていたのではないかという仮説を紹介しました。それに加えて、新憲法の神髄が、国ならびに日本のエスタブリッシュメントにとって、最優先されるべき信念体系ではなかったことを示す重要な事実があります。それを疑問の余地なく示すためには、当時の文書やその後の研究を調べる必要があるのですが、現在、私の置かれている環境では市民図書館やネット上のウイキペディアの類にしかアクセスできません。従って、詳細な検証は何方か志のある方にお願いしたいと思っているのですが、ここでは数例を元に、私の推論を示しておきます。

新憲法が効力を持つと、それまでは認められていなかった具体的権利が基本的人権として認められることになります。そして、それまで効力を持っていた法律の中でも憲法に則していないという理由で無効になる物が出てきて当然です。それは、98条が規定しています。再度条文を引用します。

第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

誰が考えても違憲でしかない法律 (あるいはその一部) はあった訳ですから、その法律は無効になり改正されるか、廃止の後に新しい法律が作られるという手続きが必要だったはずです。その前段として、新憲法施行前の法律について、基本的にはどのように扱うのかという基本方針がなくてはなりません。それには次の二つの可能性があります。

    ① 既存の全ての法律は無効であると考え、合憲であることが確認された段階で効力が復活する。違憲の法律は改正、廃止等される。

  ② 既存の法律は、憲法制定時には有効であると考え、その後、違憲性が認められれば、その時点で失効する。

さて、ここで当時の為政者たちが基本的人権を我が国で最大限尊重するという憲法13条の規定に文字通り忠実だったと仮定すると、どのような行動を取ったのだろうか考えてみましょう。基本的には①を認めることになったでしょうが現実的には、合憲か違憲かを判断するにも時間が掛ります。しかし、違憲の法律をそのままにしておくのは、国民の基本的人権を蹂躙することですから、一日でも早く無効にし改正する手続きを取らなくてはならなかったでしょう。

となると、一定の期間を設けて、その間に全ての法律を検証して、基本的人権に抵触するようなものについては迅速に改正の手続きを取るという方針の下、法律の洗い直しと合憲化を図ったはずです。しかし、現実には「一定期間」は設けられず、積極的に基本的人権の回復を図る措置は取られなかったと考えざるを得ないのです。その対極とでも言える姿勢で、基本的人権の回復は、人権を蹂躙された社会的弱者に任され、裁判で訴えるだけの力のない場合には、違憲状態が放置されて来たとまで極言して良いように見えるのです。

そういわざるを得ない状況であったことを示すために、これまでに取り上げた死刑、そして婚外子の相続を再度、考えてみましょう。死刑が合憲かどうかは、新憲法に新たに追加された36条の「拷問と残虐な刑罰の禁止」と直接関わりがありますから、基本的人権を尊重する立場からは、旧刑法の死刑の項目を削除すべきかどうかを検証し、その理由を国民に分り易く説明する義務はあったはずです。

しかし、死刑の合憲性についての判断は、1946年に起きた殺人事件で死刑の宣告をされた被告が最高裁判所に上告することで手続きが始まり、1948年に下された判決で結論が出されています。時期的には微妙なのですが、死刑が宣告された背景には、被告が殺人罪だけでなく、後には違憲とされた尊属殺人罪でも立件されたという事実があります。殺人罪だけでは死刑に至らなかった可能性も考えると、死刑を宣告された弱い立場の人間による問題提起によってはじめて、その当否を検証することになっています。この後ろ向きの姿勢には疑問を感ぜざるを得ません。

それ以上に問題なのは婚外子の相続を規定した民法900条です。先月号でも指摘したように、親を選べない子どもの人権ですから、親の行動の結果責任を取らされる謂れはありません。にもかかわらず、この条文は生き残っただけではなく、弱い立場にある婚外子から何度か訴訟が提起されているにもかかわらず、最高裁は2013年以前には「合憲」の判断をしてきたのです。

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浅川澄一:福祉ジャーナリスト(元・日本経済新聞社編集委員)による、

2018年12月26日付ダイヤモンド・オンライン中の記事、

「「未婚ひとり親」差別発言は日本の少子化対策に逆行する」中のグラフ

新憲法制定当時、そしてその後の為政者たちが、基本的人権を国民が享受できるように最大限の努力をしていないことは明白だと思います。特に、ここに例示したように、弱い立場にある人たちの基本的人権を守るどころか、違反行為を放置していたのですから何をか況やです。

国はじめ、枢要の地位にある人々、エスタブリッシュメントが、弱者の権利を蔑ろにしてきた軌跡を辿る上で、「弱者」の中でも忘れてはいけない「被爆者」や「外国人」にも注目する必要があります。これら二つのグループへの国、その他の権力者の対応を見ることで、国と権力の特徴付けが可能になります。

[2020/3/21 イライザ]

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