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2020年3月20日 (金)

広島第一県女と旧広島陸軍被服支廠

昨日のブログ「原爆犠牲者 追憶之碑 廣島第一縣女」を書くとき、「赤レンガ倉庫は語り継ぐ―旧広島陸軍被服支廠被爆証言集―」を参考にしました。

この本は、長年旧広島陸軍被服支廠の保存のための活動をしてきた「旧被服支廠の保全を願う懇談会」が、会員配布用として3月1日に発行したものです。旧陸軍被服支廠について、沢山を資料や証言によって編集され、貴重な内容となっています。改めてきちんと紹介したいと思います。

私が昨日参考にしたのは、終わりの方に編集されている「被服支廠年表」です。この年表には、原爆投下前後に広島第一県女の名前が何度も出てきます。最初に出てくるのが「昭和19年(1944年)10月13日、県立広島第一高等女学校3年生が学徒動員される(昭和20年3月まで。安佐郡川内村の疎開作業場での作業は終戦まで)」です。広島第一県女の3年生の生徒は、被爆時には川内村の分工場で作業をしていたので、直接被爆を免れることになったのです。もし、被服支廠に動員されたままだったら(4月以降も数名が継続動員されたようです)、広島第一県女の犠牲者は、301人よりもっと多くなっていたと思われます。一方で、川内村の文字を見て思い出すのが平和公園の本川沿いにある「義勇隊の碑」のことです。

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原爆投下当時、同じ川内村からは建物疎開作業に従事する義勇隊として250人が、動員されこちらは全員が亡くなっています。特に、温井地区は180人もの犠牲者を出し、残された老人、子ども、女性は厳しい生活を強いられたといわれています。不思議な巡り会わせを感じます。

この本で紹介されている被服支廠での作業の様子は、広島第一県女の学徒動員者の体験が大きくページをとって紹介されています。

二番目に書かれているのが、昨日紹介した「昭和21年(1946年)1月22日 広島県立第一県高等女学校、分散授業場としてレンガ倉庫を利用する」です。この年表によれば、昭和22年(1947年)5月19日に、レンガ倉庫から木造建物へ校舎が移転されていますので、約1年3カ月、レンガ倉庫が教室として使われていたことが分かります。

Dsc_4705  

ところで、この「赤レンガの倉庫を語り継ぐ」は、山野上純夫さんの「おわりにかえて」と題する文章で終わっています。山野上純夫さんは、京都在住のジャーナリストで、元毎日新聞の記者として広島勤務をされた経験も持っておられる人です。山野上さんとは、ドイツ在住の被爆者外林秀人さん(すでに亡くなっておられますが、何時か機会があったらこのブログで紹介したい)とのかかわりで知り合いになった方です。そんな縁があり、「おわりにかえて」を最初に読みました。山野上さんも一時期、勤労動員で被服支廠に配属されていたことが分かりました。その縁でこの文章を執筆されたようです。

その山野上さんには、被服支廠だけでなく広島第一県女ともかかわりがあるのです。以前山野上さんから送っていただいた著書「記者生活60年 ふるさとの暦」(2012年刊)には、妻の里子さんが、広島第一県女の1年生だったことが書かれています。里子さんは、原爆投下の1カ月前軍人だったお父さんの指示で、一家をあげて実家がある兵庫県の農村に疎開され、被爆することなく生き残ることができています。広島第一県女の1年生は、土橋付近の建物疎開への動員で、223人が亡くなっています。

この文章を書きながら、久しぶりに山野上さんに話が聞きたいと思い自宅に電話をしました。リハビリで入院中のため本人とは話ができませんでしたが、電話口に出られたのが妻の里子さんに、その後のことを訊ねました。「広島へは帰られなかったのですか」「いえ、その年の11月に広島に帰りました。草津の方に友人と先生がおられるということを聞いたので、訪ねました。その頃、草津のさくら寮で授業が行われましたので、東雲から毎日電車を乗り継いだり歩いたりして通いました。そして翌年1月から私も赤レンガ倉庫で授業を受けました。あの倉庫は、本当に懐かしいです。その後有朋高校をへて皆実高校を卒業しました。」「原爆投下当時1年生でしたよね」「そうです、多くの同級生が亡くなりました。彼女たちに『生き残って、何かしてほしい』と背中を押されるような気持で、自分にできることはと考えて生きてきました」。

まさか、赤レンガ倉庫で授業を受けた本人からお話を聞けるとは、不思議な縁を感じながら、ブログの原稿を書いています。

いのちとうとし

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