海来館の使い方
「海(うみ)」に「来(くる)」と書いて海来館(みらいかん)というのが、上関町上関に在ります。緑色の外観の3階建ての建物で、一見教会かと思わせるようなものです。
原発PR館として、1999年4月1日にオープンしました。記憶では上関町議会の文教委員会所属議員らが中心になって中国電力の要請し、約1億円かけて建設したものです。
PR館といっても、原発が実際に建設されている所のように大金を費やして作られたものではなく、原発とは関係ない畳部屋にマーサージチェアや血圧測定器なども置いていて、住民の憩いの場としても使われていたようです。
僕も上関町に行った時には、休憩のためなどで寄っていました。ここの館長さんは中電本体を定年退職した人が、再就職先としておられるようで、そしてその人たちはかつては上関原発に関係した人で、お互いに知っているという関係でした。上関町に住んでおられると思われる女性の方も働いています。
この度、このPR館の1~2階が町の診療所に転用されることになり、2月から約2か月間工事のために休館し、4月中には海来館は原発PRと診療所として使われることになります。
ここに来た人は18年度までに通算、21万7636人訪れました。開館初年度は1万7273人でしたが、18年度には3分の1の5437人に減少したとのことです。
来館者が多かったのは福島原発事故の直後1~2年ではないかと思います。そして上関原発の計画が停滞している中で、中電にとってもその存在意義が薄くなってきたのではないでしょうか。
PR館が診療所にて転用されることについて、中電は「地域との共存のために貸し出すが、原発の理解活動の後退ではない」とやたらに「後退ではない」と言い訳をしているようですが、この転用でよろしいではないでしょうか。
2~3年前、この建物の雨漏りがあり、大きな修繕工事を行いました。中電で働いている友人は「雨漏り対策工事はやらない」といったらメディアは「上関原発から撤退などと書くだろうからね…」と話していたのを思い出しました。
この転用について上関町長は「原子力関係施設で迷ったが、診療所の開設に間に合わせるにはほかない」と説明し、原発関連の展示物については「投資した中電には申し訳ないが(原発の)色合いはなくし診療所とする」と述べ、撤去する方針だとのことです。
僕は、有効な転用策だと思っています。これをきっかけにして上関原発計画が完全に撤回されることだと思います。
木原省治
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