2月22日という日
「2月22日、今日は何の日?」ラジオでは1905(明治38)年のこの日、島根県の竹島が日本に正式に編入された「竹島の日」と伝えていました。
僕にとって2月22日は、中部電力が計画していた三重県の芦浜原発建設計画が撤回された日として忘れられない日です。2000年2月22日、当時の北川正恭(きたがわ まさゆす)三重県知事が県議会で「計画の推進は現状では困難、白紙に戻すべきだ」と表明しました。その理由として、計画発表から37年もの間、地元住民を苦しめてきたのは三重県にも責任があるとしました。
芦浜原発は1963年、熊野灘に面する三重県度会郡南島町(現・南伊勢町)と紀勢町(現・大紀町)にまたがる地域に計画されたものです。計画から37年経って撤回されたのです。
37年の歴史をひと言で語ると、それは壮烈な戦いでした。暴力事件も起こり、まさに血の出る歴史でした。そのことを書いた石碑が、当時の南島町役場、現・南伊勢町役場の中庭に建立されています。この石碑の文章が最適だと思います。
芦浜原発を止めたまち
芦浜原子力発電所設置計画が、昭和38年に公表されて以来、南島町は一貫して原発反対を表明。紀伊長島事件を始め、再三に亘り海上デモや抗議集会を繰り返し町民が大きな負担と苦悩を背負いながら37年間、原発反対を訴え続けてきた。
「三重県に原発いらない県民署名」には、81万人余の県民の方々から署名を頂き、三重県知事に提出。
平成12年2月22日、県議会開会の冒頭、北川知事が「地域に混乱をもたらした責任の一端は県にもある。芦浜原発は白紙に戻すべき」と宣言され芦浜原発問題に終止符が打たれた。
此の碑は37年間の苦悩の戦いが、二度と繰り返さないことを祈念して建立する。
2000・2・22
南島町
「二度と繰り返さないことを祈念して…」と書かれていることが、現在、上関原発計画の中で展開されていることは、本当に許されないことだと思います。
僕も三重県内で当時、戦いの先頭に立っていた方に話しを聞いたことがあります。南島町古和浦(こわうら)で漁業を営みながら、夫婦で反対運動の先頭に立っておられました。自宅を訪ね、時間の経過も忘れて話し込んだのを思い出します。
その後は年賀状だけのやり取りだけになりましたが、昨年の暮に奥さんからご主人の喪中ハガキが届きました。そしてこの夫婦のことを扱った78分のドキュメンタリー映画も完成しています。タイトルはずばり「原発夫婦」です。
24日、三重県津市で「=芦浜原発白紙撤回20年記念イベント=『三重県に原発がない理由』」という集まりが開かれ350人が集まりました。朝日新聞の三重県版には「芦浜原発計画 今も住民に亀裂」という大きな記事も掲載され、これから9回シリーズで連載もされるそうです。
木原省治
<追記>お願いしていた木原さんの原稿が届きましたので、昨日の「つづき」は明日掲載します。(いのちとうとし)
[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
« 広島市のにぎわいづくりと平和大通り | トップページ | 新型コロナウイルスと差別とメディアと »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 原爆被害を調べる人のためのガイドブック「ヒロシマ調査・研究入門」(2025.04.29)
- チェルノブイリデー座り込み(2025.04.27)
- 「屍の街」の章題―つづきのつづき(2025.04.28)
- 「屍の街」の章題―つづき(2025.04.26)
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- チェルノブイリデー座り込み(2025.04.27)
- チェルノブイリ原発事故から39年(2025.04.25)
- 三原地区の4月の「19日行動」(2025.04.22)
- 府中地区 4月の「19日行動」(2025.04.21)
- フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会実行委員会が中電へ要請書を提出(2025.04.11)
コメント